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episode34 *sang

 ほどなくして轟音のあった地点に到着すると、そこには黒ずみがかった、花弁の破れた大輪の押し花めいた血痕があった。恐らくは魔獣のもの、人がこんなに大量の流血をしてしまったら死んでしまうだろう。それが、進んだと思われる方向にくねくねと這うようにして在った。

 人間にはありえないほどの出血なのだろう。未だに血痕が残っているということは、ようやく乾いた、というほどの量なのだ。出血は夕方前の話で、それがこうして残っているということが、それを物語っている。

 ただ、今回に至ってはその量が魔獣の後を追う手がかりになるため、その大出血の要因となっただろう彼女の一撃には、感謝するべきだろう。

 獣とそれを追う猟師のように、血の跡を雁行していく。

 ランタンの灯りが研ぎ澄まされたように輝き、その周りだけに仄暗い光を落としている。

 林の中ということもあり、警戒を火のように燃やす。ただでさえ木々からこちらの様子を隠れて窺えるという状況に、私はいまランタンで片手が塞がっている。こんなときに獣の類に襲われれば、遅れを取ることは避けられない。私の剣は、両手で持たねばならないのだ。

 ロラを見つける前に別の何かに襲われて撤退、などあってはならない。

 故に、耳を澄ます。

 もし仮に、血の匂いに誘われてあの巨狼たちに出会いでもしたら、一巻の終わりである。

 だからといって、歩を止めることはしない。ただ前に、こん血痕を追って。

 ただ林の中を歩いているだけなのに、獣の巣穴を歩いているような感覚。この辺りで巣を持つ獣というと、第一にファリニッシュ・レッドを思い浮かべる。

 そういえば、あの魔獣は拠点に帰れたのだろうか。事を振り返ると、あの個体は不憫であった。生息していた洞窟を野盗に追い出され、餌を求めてカルム村へ迷い込んだ。

 だがそれも追い返されて、あの巨蜴の魔獣はどこへ行ったのだろう。あれからしばらく経つが、再び村にやってきたという話はない。

 元の巣に戻れたのか、それとも新たな定住の洞窟を見つけたのかは分からない。

 何とも知れない夜鳥の鳴き声が、拍節器のように一定間隔で聞こえ続けている。初日の夜と似て非なる囀り。あのときはたしか、鳥たちは捕食者に捕まってしまったんだっけか。

 だがいまは、空間的な広がりを持つ囀りだけが、この林に存在感を示している。捕食は生存に欠かせない行為だ、それは仕方がない。なので、特にあのときの巨狼たちを責めるなんてことはしない。

 ただこの瞬間だけは、その行動をしないことに対し有難さすら感じる。

 そうしていると、林を抜けた。

 血痕は徐々に薄くなっていき、一枚岩の前で完全にその痕跡が失せてしまった。代わりに、そびえ立つ岩に大量の血液がこびりついている。恐らく、塞がりかけていた出血箇所を押し付けた跡だろう。

 人ならばそもそもこの程度の距離で出血が止まるわけもないが、魔獣ならば再生するらしい。

 追跡していたのは血痕だったため問題なかったが、ここからはそれがない。林からまったく見当たらないあたり、どうやら魔獣は足跡を隠す術があるようだ。

 どうしようかと、視線を漂わせながら考えあぐねる。魔獣の痕跡は途絶えてしまった。ここからは予感だけで追跡しなければならない。

 そして、元々この一枚岩は巨蜴の魔獣の住処がある地点だ。ファリニッシュ・レッドは洞窟から出てこないらしいため、基本的に遭遇する危険性はないだろうが、間違えて竪穴になっている場所に入ってしまった場合は気を付けなければいけない。

 辺りをぐるりと見渡す。

 たしかに身を隠すのに、この一枚岩は最適だ。いくら魔獣が巨体だとしても、この岩に対しては隠れ蓑に使用できる大きさに成り下がる。

 もし岩場で血が止まり、予測できない場所へ逃亡しているとしたら、それはもう夜に対処できる範疇ではない。だが、ここまで歩いてきて未だロラが見つからないのも事実である。

 泥沼に落ちたように悩んだあと、私は結局一枚岩を探してみることにした。どのみち、ここでないなら探すのは困難だろう。

 最低限、ロラを見つけ出して帰るまでは到達したい。そしてそのロラは、村を出て数時間といったところのはずだ。私がロラに話してしまった、林の辺りで魔獣が音を立てたという戯言を彼女が信じたなら、こちらのほうに来る可能性は高い。

 ふと、ロラの足跡はどうなっているのだろうと思い付く。林ではそれらしいものは思い出せない。

 理由として、恐らくは私が魔獣の血痕だけを見ていたからだ。しっかりと周囲を探せばあったのかもしれない。これは私の失態だ。だが恐らくロラが同じ方向に来たのなら、足跡を探すのは今からでも問題ない。

 そして、それはすぐに見つかった。

 ロラは普段外に薬草などを取りに行く際、ヒールブーツを履いて外出する。踵の高い、足跡が残るなら真ん中は地面に着いていないため残らない靴。それが、血がこすり付けられた場所の近くに残っていた。

 あまり岩場を往く履物ではない。乱石が、彼女の足を緩めるはずだ。恐らく跡を追えば、近いうちに発見できるだろう。

 そう頭上を見上げると、同時。

 酒樽が転げるように、ごろごろと何かが落ちてきた。

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