ロラはたった一言「えっ」と云ったがそのえっの中には驚きの表情と、何を言っているんだという、二つの意味が内包されているように見える。
そしてそのあとに、込み上げてくる子供のような笑みがあり、私は高所で足を踏み外したかのような寒気を覚えた。
白髪が何を言っているんだ、そう笑われているように聞こえる。良くしてやって、なに図に乗っているのかと。そう突き付けられているよう感じた。
友人。
これまで虐げられてきた私にとっては、最後の努力ともいうべき勇気をふるい起こして出した言葉だった。生涯孤独なのだろうと、思いながら私は生きてきたのだ。
深い失望を感じる。
ロラに対してではなく、初めて、自分の白髪に。もし自分の髪色が彼女と同じ栗毛だったら、こうはならなかっただろうと。
地面に心臓が落ちたような気分に、ロラはぼろぼろな体など気にもせずに、涙と笑みを同時に出して唇を痙攣させている。嘲笑われているのか、単に愉快だから笑っているのかは分からない。
「申し訳ありません、あの」
たまらず、その意味を聞く。
嘲笑ならば早く答えてほしい。もう、そうされるのは慣れているのだから。
「えっ、あ! ごめんごめん。友達になって、なんて言われたことなかったからさ!」
絞められた首が緩められていく。
嘲笑されていたわけではないらしい。
なるほどたしかに、村という閉鎖的空間で、わざわざ友人になるかの確認などしないか。だがそれは村というコミュニティの話であって、私にとってはその限りではないのだ。
街中でコートのフードを取る、同等かそれ以上の勇気。
私はあなたに、悲しい目をしてほしくないのだ。それが独りよがりであっても。
「すごい真剣な顔で、笑っていてほしい、なんて言うからどんな凄いこと言われるんだろうって思って。ちょっとどきどきしちゃった」
ロラは照れながら微笑んだ。顔は少し赤らみ、頬には涙が伝わる。それでも、先刻よりも明るい、笑顔といった風。
是か非かはともかく、私の言葉は友好的に受け止められたらしい。
そう理解して、続ける。
「カルムに赴任したとき、誰とも関わらず責務を全うしようと思っていました。……傷つきたくないから。
ですが、ロラ。あなたが初めに話しかけてくれたのです。あなたが初めて、私のこれまでを肯定してくれたのです。ですが、まだ言えていない言葉があるのです。私は、その傷ついた手を取りたい。
許されるでしょうか?
私のありがとうは、あなたに伝わるでしょうか?」
涙目で、つねに潤うロラの目。
そしてそれにより、私の中の得体の知れない感情が生まれる。私が流す涙ほど、意味のないものはないと思っていた。だがどうだろう。目が焔のように熱い。目が痙攣して、ひとりでに涙がわくようにあふれ出てくる。
「生きていて、本当に良かった」
心から、嬉しかったのだ。
あのような登場で、当初は意識もなく。それでも目覚めの一声を上げたとき、本当に。
私は衝動的に、彼女の手を取った。まったく一瞬の、前後の思慮など考えていない行為。
前に私が過去の告白をしたとき、ロラはこの手を握った。つまり、恐らくはこの衝動はその経験から引っ張られたもの。それが私を突き動かしてしまったのだといえる。
当のロラは、もう涙の出るにまかせていた。
「心配かけてごめん、騎士様」
演技をしているかのような、綺麗な泣き方だった。
「いいえ、いいのです。仕方ありません」
仇敵と思わしき相手が深い傷を負って逃げている、そんな状況ならばたしかに後先考えずに追ってしまうのも納得できよう。私は、それを否定できない。
私とロラは、それからひたひたと時間を流し続けた。
月のない、星だけが浮かぶ夜。
あれからさほど時間は経っていないように感じるが、夜はとっくに深く、昏い闇で包むほど濃くなっていた。その中で、持ってきたランタンが辺りを煌々と照らす。
ロラの周りには、燈火のように焔の魔法が浮かんでいた。片手が塞がらないところを見るに、便利に思う。
「ロラ」
いつまでも隣でこうしているわけにはいかなかった。
私は少し彼女を見つめたあと、すっと立ち上がる。あの魔獣との縁を終わらせに、私は来たのだ。
「私は、あの魔獣と決着を着けに行きます。村の騎士として、白髪の者として。そして、あなたの友人として」
とても悩まし気な表情だった。このまま共に帰還すれば、一旦は平和を享受できる。それでも終わらせに行くのは、行かなければならないと思ったからだ。
闇は持っていくと約束した。
それに、どちらにしろ私が白髪である限りきっとあの者との縁は長引き続けてしまうだろう。
私は三つの思いを持って、魔獣と対峙しに行くのだ。
「……ホントは行ってほしくないよ。元々アタシの恨みつらみだし。でも、騎士様もあの魔獣には用があるんだよね?」
頷く。
微笑んだその目元は赤く、そして泣きつかれた様子が見て取れた。
「じゃあ、待ってる」
言って、ここに居座るからと言わんばかりに私のコートに改めて包まった。傷ついたその身を帰らせるのは、あまりにリスクが伴うため、私はそれを非とは言わなかった。
「では、必ず戻ってきます」
「うん。あ、ちょっと待って」
と、ロラは気が付いたかのように声を上げて腰のウエストポーチから何かを取り出す。
それは小瓶に入った、翡翠色の液体だった。
「これは?」
受け取りながら、そう問う。
「獣に害のある魔法液。ずっと研究してたんだ。魔獣に効くのかは分からないけど」
理解した。
ここ最近根詰めて研究をしていたのは、私の手に在るこの小瓶のためだったのだと。ずっと、彼女は敵意を魔法薬の研究という方法で研いでいたのだ。
「ありがとうございます。確かに」
言いながら、思う。
恐らくは使わないだろうと。
私は、あの魔獣とは向き合いに行くのだ。
「行ってまいります」
言う。
「いってらっしゃい」
聞きたかったその言葉を受け取ると、私はそうして魔獣に会うための歩を進め始めた。