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episode37 「同胞、君は」

 先刻に弾んだ呼吸を、すっかり太息に出して落ち着かせながら岩山を登っていく。辛うじて進んでいく道が在り、特に整備されているわけではない。先日魔獣討伐に行く際にもこの道を行ったが、その際は登頂したわけではなく、突っ切ったというほうが正しいだろう。迂回する手間よりは、この一枚岩を最短で乗り越えた方が早いと判断したまで。

 ゆえに、頂部がどうなっているか細かくは知らない。だがロラが魔獣と対峙した後であったことから、そこまで登頂に時間のかかる場所ではないのだろう。

 そして、その予想は当たっていた。

 足場になりそうな地点を見つけては跳躍し、飛び移っていく。外見の印象と同じように、岩肌も頑丈で、着地する程度では崩れ落ちていくということはなかった。まあ、流石に少し出っ張っている程度地点に飛び移れば砕けて落ちてしまうだろうが。

 無心に、心を無風のように落ち着けて登っていく。

 岩は見た目に違わず巨大で、止まらずに跳躍し続けたにも関わらず多少時間を要してしまった。数にするなら、大体三十分といったところか。

 そうして岩肌を飛び上がり続け、一枚岩の断層を突き抜ける洞窟があった。いいや、道中にもそれらしきものはいくつかあったが、いずれも魔獣が隠れるには小さい穴。

 しかし半ばより少し上、そこに大口とも言える巨大な穴があった。魔獣も、入るならばここだろうというほどの大きさ。

 しんと沈んだ、湿気のある空気が突き抜けてくる。

 洞窟内に入るとその空気はより一層重くなり、夜空以上に暗くなった。水の中に潜ったかのような、そんな圧迫感が覆う。

 その底がどれほど深いのか、何が在るのか、私は比較的夜目が利くほうだが注意深く見てもランタンの灯りが照らす範囲以外は何も見えない。ただ、眼がしんしんと痛むだけだ。

 洞窟にしては虫が少ない。恐らく群がる要因の一つであるコウモリがいないのだ。

 考えられるのは、この穴には主がいるということ。そのためコウモリたちは昼間、捕食されるのを恐れここを棲みかとしていない。足元に散らばる骨たちは、かつてはいたという名残なのだろう。

 その中で、ひとつだけ行動的な生命体がいる。入り口からもある、ぽつりぽつりとしたたり落ちた血痕。量からして人、多分ロラのものだろうが、それを舐めにくる存在。

 容貌は茶色いカエルに近しい。二股に分かれた緑色の舌で、一心不乱に血痕を舐めている。血はもう液体ではなくなっているものの、関係ない。彼らが目的にしているのは、血液に含まれる鉄分である。

 これらもまた魔的な存在。

 一体、私に這い寄ってくるが、無心に蹴り飛ばす。それで、他の個体は警戒して近寄ってこない。

 やがて大きい広間に到達し、中央に鎮座する何かが見えた。視認した途端、私の心の臓が一つ、強く鼓動を打つ。そんな存在。

 昼間の規格よりもだいぶ縮んでしまっているが、それでも巨狼の二倍ほどの大きさはあろうか。

 ランタンは赤黄色く光り、雲の中に浮いた月のように思わせる。


「……やっぱり来たね」


 低い、押しこもった声。昼間より声量もなく、弱々しい。

 丸くなり休息状態に入っていた魔獣は起き上がり、憎々しげとも優しげとも取れぬ顔つきでこちらを見た。


「来ねばならないと、思いました」


 私と、私が自分以外の代わりにと背負ったものたちのために。

 魔獣の眼前へと歩いていくと、その鋭い双眸を縫い付けるようにして見た。


「同胞、君はどうしてあの村に?」


 問い、魔獣は目線を私に合わせるように手足を落ち畳むと、いわゆる伏せの状態になった。


「私は元々兵士でした。ですが、厄介者として身分だけ押し付けられ左遷された。あの村には騎士として就任したのです」


 へぇ、そう呟いて魔獣はにやりと笑った、ような気がする。

 狼は笑わないから。


「騎士の役目を賜ったということは、少なくとも武勲を立てたんだね。大したものだ」

「……偶々です」

「武勲なんて、あれこれ言って消されてしまうものだと思ってたからね」

「口実、でしょう。白髪を追い出すための」


 それでもさ。

 ははは、と笑う声を上げて魔獣はどこか無邪気で。昼間に襲撃してきた者とはまるで別物ではないかという二面性が垣間見えた。恐らくはこちらが本来の人格なのだろう。


「それで、彼らが君に友好的なのは、一体どういう風の吹き回しなの」

「村人は国の歴史を学んでいません。必要性がありませんので」

「なるほどね」


 中には長鎗の彼女のように歴史を学んでいる者もいるが、しかしそれはいま告げる必要はないだろう。


「私からもお聞きしたいことがあります」

「なんだい」

「元々は人間、なのですか」


 疑問であった。

 どうして私と、フリストレールの者ではない長鎗の彼女には友好的なのか。姿を一度見たとはいえ、白髪の者であったというのは仮定にすぎない。

 だが彼もこうして対話を望むのなら、それを明確にするいい機会だと思う。


「……あぁ、そうだよ」


 言って、眉間に嵐の前の稲妻のように閃く一つの表情がある。恐らく私に対しての怒りではなく、迫害してきた者たちに対してだ。


「僕が生きていた時に、ちょうど迫害が始まった。元々は鍛冶師だったんだ、見習いだけどね。


 突然だった。朝いきなり憲兵さんが訪ねて言ったんだ、お前ら白髪を迫害するとね」

 ああやはり、彼こそあの夢の主人公だ。

 どうして夢を見たのかは分からない。彼が直接私に訴えてきたのか、それとも散った何者かの無念がそうさせたのか。

 たしかなのは、あの夢は白髪である私が見るべくして見たのだということだ。


「広場で問われたんだ。フリストレールから出て行くか、それともここで火あぶりになるかをね」


 彼は拒み、そして火あぶりになったのだろう。まるで罪人であるかのように。

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