強い憎悪と、恨み。それらを双眸に焚き、猛毒のような気持ちが、全身からどろどろと滲み出てくる。
彼らは何も犯していない。
だがあの王と、大臣により罪人に仕立て上げられてしまった。夢の通りならば、戦争に敗北したのは白髪に密偵がいたから、と。
しかしカタツムリの魔獣ははっきりと、白髪らに押し付けたと言っていた。
従って、その怒りには正当性がある。
獰猛な、轟くような思いが雪のように降り積もり、彼の心内を埋め尽くしてしまったのだ。
虫唾が走るくらいに。
ましてや彼は理不尽に処刑までされてしまった。私のような生き地獄とは、また違った地獄。憎しみを持つのは道理である。
私も、この状況が当然だと慣れてしまわなければ、彼のようになっていただろう。
フリストレールの人間であれば襲う。
あの言葉は魔獣の怒りが込められた、呪いめいた言の葉であった。
敗戦はもう五百年も昔の話である。であれば、彼はどれほどの憎しみを以て今までこの国を荒らしまわっていたのだろう。それも、忘却というおあつらえ向きの魔法を有して。
むしろ、フリストレールの村という存在が枯渇していないだけ、まだ温情すら感じられた。いや、殺し続ける、というのが目的なのかもしれない。殲滅してしまったら殺せないため、あえて残してやっているのだ。
「コレール様はどうして、魔獣の姿に?」
人の姿を取っていたときに名乗った名を以て、問う。それが真名か偽名かは分からないが、少なくとも名前を偽る必要性はない。なぜなら、誰も覚えていないのだから。
「それは言えない」
射殺すかのような目つき。
禁忌に手を染めたのか、恐ろしい魔法使いが口にしてはならないと、口を封じたか。ともかくそれは明かせないらしい。
だが彼は、分からないとは言わなかった。従って、あるのだ。魔獣になる方法が。
そういえば、王は滅び去る直前に女性の声が聞こえたと言っていた。死の直前、赦されよという声が。
「人が魔獣になる、というのを知っているかのような口ぶりだね。会ったことがあるのかい、誰かに」
カタツムリの魔獣である王。
口に出そうとして、喉につかえる。果たして告白していいものなのか。
自分を地獄へと墜とした張本人が、自分と同じ魔獣になっているということを。彼はそれを知って、平静でいられるのだろうか。
彼自身の口振りは温和だ。
だがその内にある怒りは、落ち着いてと言って鎮まるようなものではない。そして、押しとどめろと言う権利は誰にもない。
慄然として、唾を呑む。
ただ、口にしなければ話が進まないのもまた事実である。
逡巡が自分を押さえこもうとしたが、しかし私はそれを押し切った。
「先日、巨大なカタツムリの魔獣と邂逅しました。そしてそれは、私たちの迫害を始めた王でした」
言った、途端。
ガラスの表に傷を付けるかのような不気味な歯ぎしりの音。そして、赫怒の心により前足が地面を引っ搔いている。
恐らくは無意識に。
「……アレはなんて?」
「悔いておりました。自分が浅はかだったと」
「そんな言葉、信じられるわけがない」
「自分も、赦すことはできないと。そう伝えました」
当然だ。
そう吐き捨てる魔獣の声は、徐々に大きさを増しているように感じ取れた。損傷を負い、弱っている身など関係なしに。
言葉の選択を間違えようものなら、即座に怒りに任せて暴れ出しそうなその雰囲気。
「その魔獣は? 殺したんだよね」
頷く。
相対している魔獣の眼はぎらぎらと燃え盛っており、大口からは硝煙が漏れ始めていた。怒りに任せて光線を放とうと口内にエネルギーをため込んではいるが、理性でそれを寸前で押しとどめているのだろう。
熱した鉄板を冷水に浸したような、そんな音がする。
発生してしまった熱を、どうにか消し去ろうと抗っているのだ。
「魔獣は言っていました。自分は王の器ではなかったと。もし自分が怠惰ではなく、大臣の言う言葉に耳を貸さなければ、もう少し違かったのではないかと」
前足が憎々し気に叩きつけられる。
私も、あの瞬間は正気が失われてしまった。なので、いまこうして魔獣が苛々と前足を叩きつけ歯を軋ませている心情は理解できる。恐らく、この国でそれに同情出来るのは私しかいないだろう。
そして、その大口が開けられてしまった。
怒りの感情を、抑えきれなかったのだ。
途端にその口からは赤い赫奕が吐き出され、それは眼前の私に叩きつけられる。
一度目は気絶。
二度目は一応耐えきっている。
だが、熱い。
「何故だ!?」
叫びと共に熱量が増す。白髪である私など意に返さず、光線に怒りの感情を乗せる。焼き付くような痛みが全身を駆け巡り、心臓が締め付けられるような息苦しさ。
同意する。
その怒り、憎しみ。
私は魔獣のそれらを肯定し、また彼には主張する権利があると思う。ゆえに、私は吐き出された憎悪の光線を、無抵抗で受け入れる。
「何故君は、そう平静なんだ!?」
熱い。
苦しい。
だが彼が人であったときの苦しみは、きっとこんなものではない。私は私の中に在る何かの影響で、苦しみは最小限に抑えられている。
白髪である彼の苦しみは、きっと白髪である私にしか受け止めることができない。
「怒り、憎しみ! 君にはそれが感じられない! 君ならば理解してくれると思った! 何故だ!? 君はフリストレールが憎くないのか!?」
いいや、たしかにあの瞬間、怒りは湧き上がった。
理解も出来る。
ゆえに私は、この国の皆があなたを理解しなくとも。私だけは、肯定しよう。
怒り。
憎しみ。
だが私は、この国の。
カルム村の騎士なのだ。
私はロラの思いの代行人としてここにいる。
護るべき場所に被害を出したお前という魔獣を、私は決して赦しはしない。