大剣を振り上げる。
「同胞、どうして僕を斬る?」
「私の友人を傷つけたためです」
「……さっきの、魔法使いの子かい」
同意するように首肯する。
恐らく魔獣にとっては、フリストレールの国民と同等の存在。だが私にとっては、初めてできた友人である。従って彼女を傷つけた魔獣を討伐するのは道理だろう。
もちろんそれだけではない。村の騎士として、害を為した存在を討伐する。だがしかしそれは、既に名言していることだ。なので、改めて言う必要はない。
「そうかい。白髪を、受け入れてくれる人がいるんだね」
しんみりとした口調で、慈悲深いとすら形容できるほど優しい言い様だった。
「僕は僕の怒りを以て、どんな事情であれフリストレールの民であるあの子は赦すことはできない」
白髪の境遇から、その言葉は仕方がない。白髪が受けた理不尽、それに対して彼は憤怒しているのに、私の友人だからロラだけは赦してほしいという主張は通らないだろう。
私の友人を傷つけたから、というだけで私情であるのに。白髪の赫怒を引き継ぐということに対し例外を作るのは、あまりに不誠実だと思う。
「だけど、受け入れよう。同胞になら、この怒りを持っていってくれるというなら。僕を討伐することを」
言って、前胸を見せつける姿勢。恐らくは狼の心臓部分、そこを刺しやすいようにしてくれているのだろう。
だが村長に一刀され、長鎗の彼女の投擲を受けてなお、その日の内に血が止まる生存力。心の臓を一突きした程度で、果たして斃れてくれるのか。本人が差し出しているくらいだ、死には直結しているのだろうが、怪しい。
振り上げた大剣を腰の付近まで下ろし、切っ先を魔獣の胸元へ向ける。
突きの構え。
ぐっと、剣を握りしめながら思う。
随分あっさりと、自分の退場を認めるのだと。彼は少なくとも五百年、国民を憎み殺してきたはずなのに。私はその思いを継ぐだけで、彼らの恨みを晴らすと明言したわけではない。
彼はきっと、その怒りを分かってほしかっただけなのだろう。理解してもらいたかっただけなのだ。本当に、ただそれだけのはずなのに、ずっと長い間、共感してくれる者すら現れなかった。同族はすっかり、フリストレールという国からいなくなってしまった。
孤独だったろう。
私という存在が現れるまで。
赫怒さえなければ、彼は心優しい性格のままその生涯を終えられただろうに。
「同胞」
馬のような優しそうな目つきで、魔獣は胸を張る。
「はい」
それに、私はできていたかは分からないが、なるべく不愛想ではない声色で返す。
「名前を、教えてくれないか」
一瞬だけ、躊躇いの念が生まれる。
呼びかけに応じただけで、枯れ木と化してしまう魔法。それを先日見てきたばかりだった。
しかし、邪の抜けきったような表情をされては、そんな殺意微塵もなど感じ取れない。
白髪の同胞がいたという証明として、彼は私の名を、これから逝く地獄に持っていきたいのだろう。
「エメ。カルム村の騎士、エメ・アヴィアージュでございます」
その朗らかな双眸を、しっかりと見据えながら。
「エメ・アヴィアージュ」
確かめるように、復唱する。
記憶を手繰り寄せると、たしか王はアヴィアージュという家名に反応していた。同世代であるのに彼が反応しないということは、民には政治に携わる者の名は行き届いていなかったように思える。
国の中枢にいる存在は、私は王の名とアヴィアージュに連なる者しか知らない。恐らくそれは私がアヴィアージュに拾われた者であり、仮にそうでなかった場合、上層のことは本当に何も知らなかっただろう。
王にいまも大臣が実権を握っている、と言われたところで、名も顔も分からなかった。近辺でフリストレールは大国と言っていい存在であるにも関わらず。
この髪が白純でなかったら、騎士という身分から関わることになっていたのだろうか。いいや、そんなありえない話をしても仕方がない。
一つ、深い息を吐く。
「そうか。じゃあ、エメ。後を頼むよ」
そう言って魔獣が瞼を閉じるのと同時、私はその心臓に剣を突き立てた。
魔獣は声を立てなかった。
突っ張った半身を震わせ、くうと喉を鳴らして苦悶の表情を浮かべる。その生存力からすぐには息絶えることはなく、とても苦しんで、皺や歪みになってその表情に現れていた。
私もまた、剣を引き抜くと同時に大量の血液を浴びた。おおよそ人を刺したくらいではありえないほどの血しぶき。
熱い。
魔獣の体躯が、力なく崩れ落ちる。それと同時に天井から岩石が降り注ぐ。もしかしたら、この洞窟はもう崩壊への道を辿っているのかもしれない。
「……エメ」
力なく、しかしその覇気は失われることなく私に問いかける。
「持っていくといい」
自らの爪を地面に押し付けて、そしてぱきりと折った。
「……これは」
「君や村の者たちの武具を見て、その業に敬意を表したのは本当だ。僕には出来なかったけど、その鍛冶師ならきっと活用してくれるだろう」
先日、カタツムリの魔獣から託された眼を思い出す。
王、そして見習いとはいえ元鍛冶師である魔獣たちに認められるその業。彼女は、本当にこの村が誇るべき職人なのだと改めて実感した。
「……受け取りましょう。感謝は致しません、それはあなたがこの爪で人々を葬ってきたことを肯定することになります」
叩き折られた、自分の頭ほどもある爪を抱きながら。天井から発生した轟音により、この洞窟はもう崩れるのだと感じた。