「村長には言った?」
窘める風に言う。
それに、双剣の彼女は頭を振る。
ロラの言うことは正しい。私よりはまず村長に報告するべきだろう。午前中の記憶が正しければ、村長が村を出て行った覚えはない。そのため、村のどこかにいるはずだ。たしかに私を訪ねてきた理由も理解したし、実際私がいる場所のほうが予想しやすい。
だが私が外へ出る場合、まず村長に一言投じていかねばならない。私はこの村に、守護する役目でいるのだから。
「急に言われても、エメも困るでしょ。エメだって、警護の途中なんだから急には外出できないし」
正論。
ロラの述べたことは、新しい鉄釘のように硬く、冷静で真っすぐだ。双剣の彼女はおろか、私も言葉を添える必要のないくらいに。
「でも」
しかしなおも、感情だけで彼女は食い下がる。
伴侶を心配してのことだ、逸るその気持ちは理解できなくはない。ただ国を越えるという選択肢は、焦りすぎのように思う。手間もあるし、関所に対する私の心の持ちようというのもある。
「セシル様。まずは国境付近までを確認致しましょう。それでしたら、私も異存はございません」
今から村長に報告し、そして国境付近から戻ってくる頃には夜も深くなっていることだろう。国から直接命令されていない事である以上、これが限界である。
だがしかし、双剣の彼女はふうと一つ息を吐いたあと、観念の臍を決めたという表情をした。
「いや、もう一日だけ待ってみるよ」
言って、そうして双剣の彼女は去ろうとする。
「ねぇ、いいのセシル? 国境近くまではエメが行ってくれるって言ってるのに」
ロラの問いかけに、しかして彼女は力なく笑うだけで何も答えなかった。
突然に感情が切り替わり、疑問がひらりと舞う。すぐには国境を越えられないということを呑み込んだのかもしれない。しかし、あんなに急いていたのに、いきなり明日まで待つとは一体どういう心境の変化だろうか。
「セシル様」
呼びかける。
村長に報告しに行く旨を伝えたかったが、しかし双剣の彼女は声を無視しそのまま立ち去ってしまった。
まるで海の真ん中に捨てられたような呆然とした気持ち。一瞬どうしたらいいかよく分からず、手足がいやに重く感じた。
「大丈夫かな」
取り越し苦労ならばいい。しかし憂心を抱いたロラの様子を見るに、どうしてもこのまま何も動かなくてもいいのだろうかという心持ちになる。
だからといって、私が探しに行くことなどは出来ないのだが。
「ロラ。私は村長を探しにまいります。念のため報告を」
それに、ロラは分かったと首肯した。
「ねぇ、エメ」
まずは村長の家を訪ねようとし、しかして呼び止められる。
「もちろんセシルの旦那さんも心配だけど、あたしはセシル自身も心配だよ。急に態度変えちゃってさ。だから」
同意を示す相槌を打つ。
恐らく、もしも双剣の彼女が突飛な行動をしてしまったときはその対応を頼む。という話だろう。私も、前のめりだった姿勢を急に止めて、方向転換して行ってしまった彼女が気になった。
なによりその双眸。
諦めるような表情だったが、あれは本当に夫の捜索を諦めたのだろうかと。もしそうだとしたら、諦めが良すぎる気がしてならない。
不穏とも言うべき胸騒ぎはさて置いて、まず優先すべきである村長の元へ参じるため家を出る。
前回も、こうして食事時であった。残していくのが申し訳なく、テーブルの上に置かれたラタトゥイユが私の裾を引っ張っているようだ。
名残惜しくはあるが、それを振り切り急ぎ足で往く。何事かと悟られないような速度で。
村長はすぐに見つかった。
家を訪ねると長鎗の彼女が私を出迎えたが、聞くと昼告のヤグラにいるとのことだった。珍しい場所にいるのですね、そう言うと彼女は微笑みながら、最近はよくそこにいるとのことらしい。
ヤグラにはつい先刻、歌うたいの声を聞き届けてきたばかりなので、恐らく行き違いになったのだろう。
村長はヤグラに設置された木造の長椅子に、まるで杭棒のように身体を投げ出して横たえていた。左腕は祈るように胸の前に置き、もう片方は無いため服の袖だけがだらんと垂れている。
「おう騎士殿、どうした。珍しいじゃねぇか」
足音に反応してか、彼はすぐに私に気が付くとゆっくりと仰臥していたその身を起こす。
「おくつろぎのところ申し訳ございません、村長」
「いいや、構わねぇさ」
そのくくっ、という喉から押し出されるような笑い声に、私は軽く頭を下げる。村長がこの場所で休んでいたのは明らかだったからだ。
「ここに来たってことは、俺を探してたってことだろ。追い返すわけにゃいかねぇさ」
言い様から、村長はここにいるということを家の者に伝えている。そして誰かが訪ねてきた際には、私のように昼告のヤグラへ来るようにと。
「感謝致します。実はセシル様の旦那様が一日か二日程度、出稼ぎから帰って来ないと相談されまして」
言うと、村長は眉を顰めながら「セシルの旦那だ?」と口に漏らした。そして少しだけ、思い出すように中空を上に見つめた後、あぁと独り言ちる。
「アダンか、そりゃ心配だな」
「はい。その際に国境を越えて探しに行くと申してきたので、私は国境付近までは確認しに行きましょうと伝えたのですが」
「はっ、あいつはアダンのことになると急くからな。まったく、しゃあねぇな」
言いながら、頭に手を突っ込んで掻きむしる。
周知の事実なのだろう、双剣の彼女が夫のことになると少し感情的になるのは。
「命を救われたと言っておりました。ですから、そう感情的になるのも無理はないと」
ふっと、薄い唇が微笑むように歪む。
「まあたしかにな。セシルはここの生まれじゃねぇ。元は皇族の護衛らしいが、外に使いに出されたときにたまたま出会ったアダンに助けてもらったらしくてな。そっから村に押しかけて来たって次第よ」
思っていたよりも、彼女が国家に関わっていたことに驚く。私への態度から、兵士か何かだろうと思っていた。皇族の護衛ということは、騎士ほどではないが、それでも王家に近いところを受け持つ任である。
その責務に着きたい者はいくらでもいるだろう。しかし彼女は、立場を放棄してまで今の夫を追って来たのだ。よほどの事を経て。
この、辺境たるカルム村に。
なら、そこには並々ならぬ感情を抱えていてもなんら不思議ではない。なるほど、たしかに国境を越えてまで探しに行くという言葉も、彼に対する感情に比例してということか。
「変なことしでかさないといいんだがな。まあ一応、対処はしておくか」