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episode5 「喧嘩は売りたくねぇからよ」

 青白い光が、夢のようにその辺りを包む。

 澄み切った月が、私の手にあるランタンの灯りに打ち勝って、草原を一面に青みがかった光で照らしている。

 月は欠けていたほうがいい。明るければ明るいほど、夜に進行する意味をなくしてしまうからだ。ただでさえ草むらをかき分ける音で私たちは自分の位置を晒しているというのに。

 今この瞬間は、巨躯の彼くらいしか私たちを知る者はいない。従って誰かが追ってくるということはないが、悪い事であることは間違えない。なにせ違反というものをした経験がないのだ、それを成り行きではなく自らの意志で破ったのだ。なので、私の体には異様な緊張が満ちていた。


「でも意外だね。理由はアタシには意味分かんないけど、騎士様が夜抜け出すのを手伝ってくれるなんて」


 謎の微笑を唇に漂わせながら、双剣の彼女は言った。


「はい、少し心臓が早まっているのを感じます。規約違反など犯したことがないものですから」

「ふふ、騎士様の場合は犯すことができないの間違いだよ」


 意地の悪い言い方はしかし、何も間違っていない。私のような立場の者が軍規を乱そうものなら、もう畜生以下として扱われたに違いない。

 私はただ上の言う通りにしている他なかった。

 だがいまは違う。私はここでは人であり、言葉をかけられ、友人を得た。そして全うする事もある。いまは、それでいい。

 二つの灯りが地面を照らし、閑かに揺れる様子は挨拶を交わしていくよう。草木も眠るという言葉があるが、時間はちょうどその頃だろう。私たちは眠る草原を灯りと足で叩き起こしながら進んでいる。ランタン達はそれに、少し通りますよと頭を下げながら道を往っているのだ。

 これまで村から出て行ったことのない方向。魔獣討伐の際に私を散々出迎えてきた林や岩山はなく、ただ長い草原が続く。人が通る用に作られた道もなく、ひたすらに膝上ほどの野草を踏み分けて進んでいる。

 先の光景は知らないため、双剣の彼女が私のほんの一歩ほど先立って進む。慣れている足取りのようで、恐らく何度も通過したことがあるのだろう。遠くまで夫を見送りに行くのか、はたまたそれ抜きにして何度も行き来したことがあるのかは分からないが。

 しかし、人を探すとなるとこの広い草原は捜索しやすいとも、しづらいとも言える。仮に対象がまっすぐこちらに帰投している場合、草は人丈ほどの大きさではないため目視で存在を確認できよう。だが仮に、身を潜めている場合。例えるなら魔獣や野盗から追われこの草々に隠れているとなるとぱっと見では発見することができない。

 地に伏せれば身は隠せよう。接近すれば容易に見つけることができるだろうが、この見渡す限りの緑の海にはそれも骨が折れる。

 ただ目の前の彼女はそれをせず、するすると前に進んでいく。まるで道中に用などないように。彼女は途中の捜索などする気はなく、真っすぐに隣国へ入るつもりなのだ。

 私としてはどこかに潜んでいる線や、行き違いになる可能背も加味して探しつつ進みたいところではある。だがしかし、ここで一石を投じて議論し出すのは得策ではない。せっかく、双剣の彼女は現状で納得しているのだ。

 ここで輪を乱すことをすれば、彼女は何をするか分かりきっている。一人でも隣国に侵入するだろう。

 それでは、私が付いてきた意味がない。


 やがて空が花びらのようにあやしい底光りを始めた。

 夜通し草原を歩き、何時とも分からない夜明けの薄明が現れ始めているのである。

 予想していた時間よりも多く時間を使ってしまったように思う。カルムは辺境の位置にあり、夜中には関所に辿り着くと予測していた。

 遠くに石垣の膚を聳え立たせている城が見える。

 国境警備の役割もあるのだろう、まだ歩く距離はあるというのにまるで望遠鏡を逆さに覗いたような光景で、その大きさを確認できた。

 それまではただひたすらの緑色の海。砂丘のように、ゆるやかに起伏する。微風はあると、高原の柔らかな産毛のような若草が構ってほしいと鎧に触れてきた。

 関所へ辿り着いたのは、すっかり一番鳥が鳴き渡る時刻のことである。元々月明かりが強かった夜だったこともあり、日差しは弱弱しく感じた。

 カルムの者はもう起き始めているだろうか。それくらいの時間であっても、石門には番兵が在った。


「何者だ」


 全身を銀色の鎧で覆う兵士。

 直接前方に射込むような、よく徹る声。国境警備という役割の兵士にしては、しっかりとした姿勢である。


「騎士です。ここを通りたいのですが」


 外套に刺した、騎士を表す章飾を見せながら答える。


「これは騎士様、ご苦労様です。こんな朝早くに何用で?」

「隣国の者に招待されているのです」


 ほとんど反射的に嘘をつく。もちろんそんな事実はないし、連携してしっかりと調べられるのならすぐに嘘だとばれるだろう。

 だが私は騎士である。


「なるほど、分かりました。申し訳ありません、騎士様。簡単な身体検査だけお願いいたします」


 心臓がどくりと高鳴った。

 国境を通るということを決めてから覚悟はしていたが、どうやら騎士という身分でもそれからは逃れられないらしい。


「分かりました」


 答えると、どこからかもう一人兵士が現れる。

 ただそちらは全身鎧というわけではなく、兜は外して自分が女性であることを露わにしていた。

 恐らくは双剣の彼女を検査するための人員だろう。


「帯剣は騎士様を御守りするためです、ご了承ください」


 元が護衛だというだけあり、そのフリをするのには慣れているらしい。まるであらかじめそう言うと決めていたかのように答えると、兵士は納得するように首肯した。

 そして、私のほうは彼女らからは死角となる石門の裏へと連れて行かれた。


「おい、白髪だよな。お前」


 喉元を掴まれるような感覚だった。

 辺境ならば白髪が騎士になったという話は届いていないのではという可能性もあったのだが、どうやらしっかりと伝わっているようである。

 対して、私が無言を貫くと、兵士は荒々しく外套のフードを剥ぎ取った。


「は、やっぱりそうか。何しに来たんだか知らねぇが、白髪なら少しくらい無理言っても文句言えねぇよな」


 先刻の殊勝な態度を見せた者とは思えない、別人とも言える口調。


「脱げ。安心しな、アヴィアージュ様に喧嘩は売りたくねぇからよ」


 つまり、素肌を晒させて羞恥心を煽りたいらしい。

 こうなることは分かっていた。今更である。訓練兵であった時代、散々に服を隠され、盗みの容疑を掛けられて検査させられた。

 外套を脱ぎ、鎧を外し始める。

 本当に、今更何も感じないのだが。

 もし連れ立っているのがロラだったなら、怒ってくれたのだろうか。そんなことを思いながら、私は身に着けた一切を地面に置いたのだった。


 そうして、私たちは関所を越えて足を踏み入れた。双剣の彼女の夫が消息を絶ったとされる地。

 大国フリストレールの隣国でありながら、同盟国として在る謎多き国。

 教皇国家クラルスへ。

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