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episode10 「丁重にと」

「セシルさ……」


 思わず声が出て、しかし「ま」という言葉を寸前のところで飲み込んだ。私は聖職者に、彼女は従者だと口に出している。だが、従者を様と付けて呼ぶのはどう考えても明らかにおかしい。

 つい先ほどまで視界に捉えていた人物がいなくなっていたら、いつもの調子で呼んでしまってもおかしくはない。ただ、今それは許されないため、私はなんとか押し止めることができた。


「どうかされましたか」


 さも何事もなかったかのように、聖職者は問うた。


「申し訳ありません、目を離した隙に従者の者がいなくなってしまいまして」


 まるで初めからいなかったかのように、忽然と。

 また勝手に行動してしまったのかと、心臓が逆流するような思いになる一方で、眼前の聖職者は平然としていて、眉毛すら動かさない。


「あぁ、それは大変ですね。確認致しましょう」


 聖職者はそう言うと、礼拝堂の中へと消えてしまった。

 自分に声をかけてきた者が突然にいなくなったというのに、声は落ち着いていて、他人事のようだ。よそ者が国を勝手にうろついて困るのは、そちらの方だというのに。

 それにしても、一体何を確認するというのだろう。考えられるのは私たちのことである。

 同盟国の騎士が連れた従者がいなくなってしまった、と。だが態度の変わりようから、私たちを確認するために口実として引っ込んだ可能性もある。パスカリスなる者を探している騎士がいる、と。

 まだ電話が存在する可能性は皆無ではない。

 もし上に確認をする通信であるとしたら、先刻司教自らが礼拝堂へ案内すると進み出たことを考えるに、パスカリスを知っている者に同行させて真偽を確かめさせる、というのも考えられる。

 だとするならば、このまま待機しているのはあまりよくない。私たちは自力でパスカリスを探す必要があるのだ。だがそれ以上に、立ち去ってしまうという選択肢を取るほうが遥かにまずい。やましい事をしていると、自ら主張しているようなものだ。

 なのでこうして立ち尽くしているのは、より都合の悪い選択をしていないだけで状況は良いわけではない。そして急に姿を消した双剣の彼女のことが心懸かりだ。勝手に行動していなくなってしまった、というだけならまだ呆れるだけで片付くのだが、聖職者が平静であったことが、どうにも沼に浮いてくる水泡のような疑問の念を浮かばせる。

 人の消失など、平然と処理できるものでもないように思う。それこそ、日常化していない限りは。

 考えていると、ほどなくして聖職者がもう一人を連れ立って戻ってきた。司教と一緒にいた二人と同じ礼服であることから、同じ階級だと思われる。


「フリストレールからいらした騎士というのは、貴女ですかな」


 少し皺がれた老人の声。

 そうだと伝えると、彼は一人納得したようにこくりと頷くような仕草をした。


「こちらの礼拝堂を任されている、司祭のヨアキムと申します。パスカリスという御方を探していると」


 馬のような優しい目で、しかして確認すると言われた双剣の彼女については触れない。それが、疑念として頭から離れない。


「フリストレールから参りました、騎士のアヴィアージュで申します。突然の来訪申し訳ありません」

「いえ、丁度教会の方から連絡があったのですよ。騎士の方がいらしているので丁重にと」


 丁度連絡があった、ということは何かしらの通信手段があるということだろうか。まあたしかに司教からすれば、自分は相手ができなかったから下の者に丁重に対応しろと言うのは、外交を担う者としては自然な流れだとも言える。


「パスカリスはたしかに先ほど朝の礼拝を済ませ、去ったところです。少し惜しかったですな」


 そう謎の微笑みを頬に浮かべる。私にはそれが張り付けたものか、本心から出たものなのか区別がつかなかった。仮に虚装であるならば相当な老獪さだろう。


「どちらへ向かったかは分かりますでしょうか」


 すると老司祭はすっと左腕を上げると、自身の右側を指差した。


「こちらの方角です。パスカリスは少しふくよかな体形でして、まだ帰宅はしてないのではないかと」


 欲しかった情報が拍子抜けするくらい手短に手に入ったことに、思わず目を見開く。なにせ今まで聞かれてきたことを、もう一度聞かれるだろうと思っていたからだ。

 つい先ほどここを出立し、且つ分かりやすい身体的特徴を提示してくれるなど、騙されているのではないかと思うくらいだ。


「感謝致します、すぐ向かうと致します。ところで私の従者を見ませんでしたでしょうか」


 対し、老司祭は「そういえば」と明らかに取って付けた言葉を返した。


「首に青いネックレスをぶら下げておりました。少し探しやすくなったでしょうか」


 そしてちらりと、未だ列を成す礼拝を待つ者たちに視線を向けた。忙しいのだからこれくらいにして早く行ってくれ、という意味だろう。私も嘘を交えているため、あまり人のことは言えないのだが、彼女のことは煙にまくつもりらしい。

 ただ早く業務に戻りたいのは本当らしく、もう一人の聖職者は既に離脱し礼拝堂の入口で案内をしている。流石に、聖務を邪魔することはできない。

 仕方なく、一礼し礼拝堂を後にする。

 そうして私はパスカリスなる者の情報を得、代わりに双剣の彼女と離れ離れになってしまった。

 予感がある。

 これが、彼女の夫が帰ってこない理由の一端なのではないかと。

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