「フリストレールから来ているという騎士様にはもう会われましたか」
「いいや」
石階段を下りようとして、立ち止まる。そのような会話が聞こえてきては、足に根を生やさざるを得ないだろう。
恐らく下の階の、段差を上る前での立ち話。
私は後ろから誰も来ていないことを確認すると、背中を壁に押し付けてそれとなく休むフリをしながら、聖職者の話を盗み聞くことにした。
「まあ上級階級様なんて皆似たようなものだろう」
声から察するに三人ほどだろうか。顔は確認できないが、内一人は女性のようだ。
少なくとも午前中は朝の祈祷という決まり事から、聖職者はすべからく忙しいと司教は言っていた。なので今はひと段落した、という時間らしい。らしい、というのは時間を確認する術を私は持っていないからだ。
時計なんて便利な道具、私が持てるはずがない。
「つい最近来た外相はあれこれ注文の多い方でした」
「それが貴族、というものだ。あの騎士様も、今は何も言ってこないがどうだか」
叔父のことだろう、私はあまりお会いした経験はないがまさか外面がそのような方だとは。上流階級らしいといえばらしいのか、些事は仕える者にやらせるのが貴族というもの。
義父は比較的自分のことは自分でやる人であった。
無暗に使用人を走らせることもなく、そういう意味では叔父上のほうがより貴族的なのだろう。
たしかに以前やって来た者がそんな態度なら、そんな第一印象があっても不思議ではない。
「本当に、村人がいなくなったから来たのでしょうか」
「さあな」
「騎士、とは教会で例えるとどの程度の者なのですか」
「司教様に匹敵するらしい」
なるほど。
聖女を頂点とするならば、司教はつまるところ三番手辺りといったところか。まあ私にはその恩恵など微塵もないわけだが。
敏捷な小動物のように耳を澄ます。
階段から三人が上がってきた場合、そして二階の廊下から誰かがやってきた場合と。どちらにも反応できるよう全身を耳にして。幸いにも私はがちゃつく装いではない。
借りた服が少し汚れてしまうことだけ後ろめたい。
「お連れの方については何かおっしゃっていましたか」
「いいや」
「何もおっしゃらなかったのですか。でも突然いなくなったなら警戒しているかもしれませんね」
その言葉は私の心臓を激しく動悸させた。
リアクションこそ瞠目する程度で抑えられたが、声を出してよい状況だったならば確実に発してしまっていただろう。
双剣の彼女の話を、聖職者は共通の話題であるかのように話している。仮に司祭や司教であったなら、こんな階段前でする話題ではないだろうに。
下位の者かどうかは不明だが、それくらい彼女がいなくなったことは廊下で話せるほどの話題なのだ。
思うと、やはり伝達の速さがおかしい。たまたま伝わっている者にばかり出会っている可能性はたしかに否めない。だがしかし、私がいること、そして従者だと騙る双剣の彼女が少しの間行方知れずになったこと。
騎士がいるという話題が共有されるのに、優先されるのは役職を持つ者だろう。それを礼拝堂にいた彼と同じ装いをする者が知っている。
情報は既に伝播していると考えていい。
早急に大きな会議があり、聖職者全員に伝えられたのだろうか。不可能ではないが、朝という祈りの時間に即刻皆集まったというのは些か考えづらい。
「聖女様は、何故お連れの方だけ落としたのでしょう」
「さあ、きっと考えがあるに違いない」
「お前、まさか聖女様が失敗したって言いたいのか」
「まさか! そんなことあり得ません」
声が少し大きくなる。すぐさま否定したところを見るに、本当にそう思ってのことなのだろう。
「我々は聖女様のお考えや行いを信ずればいい。さすればきっと導いてくださる」
いま一度信条を確かめるように、私からすれば自分自身を洗脳するかのように呪文を唱えると、そうして彼らはこつこつと階段から離れていく。
やがて足音が遠退き、そして聞こえなくなり、私は緊張を解すように軽く息を吐いた。
この国で、あの聖女と呼ばれる者の行いは絶対らしい。特に聖職者の間では、そうしなくてはいけない。そうすべきだという考えがある。恐らく、疑問を抱いたあの聖職者は未だ職務に就いて日が浅いため、そのような考えで脳を支配できていない。
国王よりも強い独裁者。
心の拠り所ではあるのだろう、なので否定はしない。しかし、神など信じていない私のような存在には、信じたいものを信じているだけのように思える。
この国でその考えを口にすることは、恐らくないだろうが。