振り下ろす。
吹き荒ぶ明確なる殺意は、凶刃となって私の真横へと突き立てられた。
間。
「……セシル様」
どういうことか、という催促の視線を送る。相変わらず、双剣の彼女が腕を横に薙げば私の首は飛ぶという、処刑場めいた空間で。
それでいて、彼女の瞳に写る私は秋の淡い雲みたいに静謐だ。風通ならば、あの場所はどうしようもなく騒がしいというのに。
対して、双剣の彼女の唇は嘲るような陰りを浮かべた。
そうやってゆっくりと、ベッドに刺さった剣を引き抜いていく。
「危なかったね騎士様」
言って、口角を吊り上げる。
剣に付着した緑色の体液がつぅっと滴っていく。貫かれ絶命していたもの。
それは、黒い外殻に鋏のような触肢。そして尾の先に全てを死に至らしめる毒針を備えた、小指ほどの蠍であった。
脳が揺さぶられる。
一瞬、頭が働かず理解するのが遅れるほど。
「……蠍? 何故このような場所に?」
何でだろうね、と双剣の彼女は肩を竦める。
体の大きさと毒の強さは比例しない。従って、この小指ほどの生物が私を殺すことは十分可能なのだ。そういった意味で、私は彼女に命を救ってもらったと言えよう。
「命を落とすところでございました。感謝致します、セシル様」
胸が抉られるほどの自責。
昔、失敗した者に対し『これから挽回しようという』言葉を投げかけていた兵がいたが、汚名をそそぐことはできない。不成功という事実は変わらず、結局のところ、一度の失敗は一生己と他の中に纏わり続けるのだ。
かつてあった、毒虫が蠢く密林での戦争の記憶はどうしたというのか。私の油断でしかなく、我ながら自分の浅はかさに不快感すら生じる。
「アタシが気づけて良かったね。どこから入ったんだろうね、まったく」
腹部に釘を打たれたかのよう。
彼女が気づいてなければどうなっていたかなど、二の次だ。毒虫の存在に気付けなかったのか、私には彼女の言葉がそう内包されているよう聞こえてしまう。
しかし、彼女のほうはというと私の油断など、どこ吹く風という感じで、剣を仕舞いながら周囲をぐるりと見渡した。蠍がどこから侵入したか、その場所を探しているのだ。
たしかに、考えればよく分からない。
蠍は元来街中に生息する虫ではない。一度姿見たのは、たしか砂漠だったか。その生態を、私はよく知らないが、少なくともフリストレールの首都に蠍が出没した記憶はなかった。
仮に街に入り込んだとして、この大聖堂は街の中央にそびえ立つ建築物だ。加えてゲストルームは三階という、奥まった位置にある。
こんな場所に、蠍がいるのは不自然ではないか。
「たしかにね」
その考えは意図せず口に出ていたらしく、彼女は同意するように頷いた。
「蠍って本当に色んなところに生息しててね、生活圏にいても不思議じゃないんだよね。ただこれは、明らかに変だ」
なるほど、私の記憶では砂漠にしかいない印象だったため、それは訂正しよう。恐らくは私が出会わなかっただけであろう、人間の生活圏にいるということは、靴中や足元に気をつけなければならない土地もあるということである。
「基本的には岩陰や土の下でじっとしていることが多いんだ。だからこんな街中で、しかも騎士様の背中に付いているなんてことはないんだよ」
あまりにも愚かである。
まさか借りた服の背中に、蠍を付けて教会内を闊歩していたとは。また後ろめたい気持ちになりながら、私はその心持ちを吐き捨てるため短く嘆息を漏らす。
いつからだろう、もし先刻歩き回っていた間、ずっと蠍と散歩していたのだとしたら、そもそも服に潜んでいた可能性すらある。最早確かめようがないが、ともかく蠍がいたこと自体は教会の誰かしらに伝えておいたほうがいいだろう。
なにせ見つけたのは、ゲストルームなのだから。
ふと、先刻の物音のことを思い出して、ベッドから立ち上がった。そうして鏡台へと歩み寄ると、引き出しをこつこつと指で叩いてみる。
「何してるんだい」
言いながら、彼女は隣にやってきて私の手元を覗き込んだ。
「先ほどの物音。あれも蠍だったのではないかと思いまして」
いてくれるのが一番手っ取り早い。物音の原因と背中にいた蠍がどこからきたのか、それが一気に解明されるのだから。
微かな、氷の牢獄で温もりを待つような、そんなごく小さな希望。ただ私の思案とは裏腹に、やはりその引き出しの中に虫などいなかった。
「ま、そんな簡単な話じゃないさね」
少し期待していたのか、しかし自嘲するように目から口にかけて冷たい笑いが動く。そしてそこはなかったことにするかのように、未だ引き出しの取っ手を持つ私を差し置いて、閉めてしまった。