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episode26 「この部屋に害虫が出たのです」

 分からない。

 答えられぬことが悔やまれる。そう思うと、苦々しい表情が出てしまう。


「……そうですか、わたくしに語ることはないと。そうおっしゃるのですね」


 言って、片腕を振り上げる。斬首する処刑人みたいに。変わらずに、私は動けぬというのに。

 拮抗した状況ではあったが、しかし彼女の四肢は自由だ。膠着状態は、私の手刀と彼女の尾で成り立っていた。だがこうして腕を使われては、優位性は聖女に傾いてしまう。

 手品みたいに、手のひらにはいつの間にかベルが握られていた。


「首を振ろうとも、答えぬなら同じこと。スコルピオン! スコルピオンはいますか!」


 張り詰めた空気の中から冴えた鈴の音。

 明らかに、それは誰かを呼ぶ声であった。もしこの場にもう一人が参戦してくるならば、まごうことなく教会の者だろう。

 そうなってしまえば絶望的だ。

 この様を見た者が私を擁護するわけがない。なので、スコルピオンとやらがやって来るその前に、状況を打破しなければならない。

 ゆっくりと、剣を模した片腕を頭の横に持っていく。

 降伏を示すためだ。

 当然、蠍の尾は私の首の横に添えられたままである。それはそうだろう、このまま膠着状態であればいずれやって来る誰かによって、私は捕らえられる。

 この国に仇なす者として。

 全身の力を抜く。枯れ木のように、ばたりと。突然に身体を後ろへ反って倒れていく私を見て、聖女は思わず目を見開いた。

 こいつは一体何をしているのだろうと。

 一瞬だけ、聖女の思考が門を閉じるように中断される。正体が魔獣であろうとも、元々は人だ。そうやってわざわざよく分からない行動を取ることで、思考回路を一瞬だけ遮断した。

 だが針穴は限りなく細い。

 思考はすぐに復帰して、鉤状の針はすぐさま私を追ってくる。しかし一瞬でも私に遅れをとったなら、やりようはあるというもの。

 毒針を根元から鷲掴み、そのまま頭上へ投げ捨てる。少しでも猶予を稼ぐため。

 再び襲い掛かる毒針に対し、後方へ転回することで躱す。荒々しい足音が聞こえてきたのは、ちょうどそんなときだった。


「聖女様! 聖女様! いかがなされましたか!?」


 随分と性能の良い耳である。いや、だからこそベルで呼ぶ者に選んだのか。いずれにしても、膠着は解れ、第三者が介入してくる。

 不利ではあるが、危機ではない。敵国の中隊に突っ込まされたことのときを思い返せば、まだ良いほうだ。

 しかし私の二対一という予想に反して、蠍の尾は彼女の元へ帰っていく。どこへ収納しているのか、尾は彼女の背中辺りに吸い込まれるように吞まれて、そして完全に消失した。

 同時、怒っているかのような荒々しさで扉が開けられる。


「聖女様!」


 ゲストルームへ入ってきたのは、先刻の男であった。

 汗一つかかず、呼吸も乱さずに。しかして聞こえてきた足音の大きさから、かなり早急にやってきたのだと思われる。たしかにあの体躯ならば、足音を消すのも一筋縄ではいかないだろう。

 男はやってきてから一瞥すら私へくれない。完全に、聖女のみに視線を向けているのだ。


「疾く駆けつけて頂き有難く思います、スコルピオン。この部屋に害虫が出たのです。ですが申し訳ありません、騎士様がいま駆除なさいました」


 声は落ち着いており、先刻のベルよりも透き通っている。意味のない呼びつけになってしまったことに対し、特に変わった声色でもなく。


「いいえ、無事で何よりです聖女様」


 深々と、頭を垂れる。

 そうして最後まで私を見ることなく、つむじ風みたくさっさと立ち去っていく。どうやら本当に、聖女以外のことはどうだっていいらしい。

 だが聖女の言い様を聞くに、男は隠されているようだ。自分が蠍の魔獣であることを。そうでなければ、わざわざ尾を引っ込めて私と戦闘していた形跡を隠す必要はないはずだ。フリストレールからやってきたから聞かされていないのか、それともこの事実は誰も知らないことなのかは知らないが、ともかく。

 男が国を捨てて聖女に心酔しているのは、どうやら本当らしい。ただ隠されていることが敵意となるのか、やはり人という存在から逸脱していたのかと受け入れるのかは分からないため、男へ言う必要はないだろう。

 だがそれすら、彼女にはどうでもよさそうに見える。何故なら男に向ける瞳には、何の感情も籠っていない、そう感じたからだ。

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