翌日からは仕事の合間に引っ越しの準備と、大忙しの日々が始まる。
ベル先生のメイドを獣人の族長ナーズ殿に頼んで選抜してもらったところ、セリカという若い女性を紹介してきた。
なんでもセリカもミーニャ同様幼いころに両親を亡くしたらしく、今は一人で暮らしているそうだ。
自警団としても活動しているから剣もそれなりに使えるし、山歩きも得意なのだという。
「ほう。それなら問題あるまい」
とベル先生もそう言ってくれたので、引っ越しの日に荷物をまとめてきてくれるよう伝えた。
「いろいろと楽しみだ。これからもよろしく頼む」
と言ってベル先生に軽く頭を下げる。
するとベル先生は、少し照れたような顔で、
「なに。ちょっとした暇つぶしのつもりでおるからのう。気にするでない」
と少しツンデレなひと言を返してきた。
それから作業は順調に進み、引っ越しの当日。
我が家は朝から大忙しとなる。
まずはベル先生のメイドとして働いてもらう予定のセリカが、屋敷にやってきた。
「本日からクララベル先生のメイドとして働かせていただくセリカです。よろしくお願いします」
ときちんとした礼を取るセリカに、ベル先生は、
「ああ。よろしく頼む。さっそくじゃが、引っ越しの手伝いを頼むぞ」
と言うと、さっそく手伝いを頼み忙しそうに荷物を運び出し始めた。
セリカも少し戸惑いつつ、慌ててその作業を手伝い始める。
私はそんな様子を、
(なんだかベル先生らしいと言えばベル先生らしいな…)
と微笑ましく見つつ、自分の引っ越し作業の続きを開始した。
大量の書類を書庫に運びとりあえずそこに置いておく。
(こりゃ、整理するだけで何日かかるか…)
と思いつつも、他の道具を手伝いに来てくれた大工の連中と一緒に役場へと運び入れた。
昼の休憩を取り夕方まで作業する。
私の方もベル先生の方も、その日のうちに作業は終わらなかった。
セリカも一緒に夕飯の席を囲みつつ、
「予想以上に大変じゃのう」
と軽く肩を叩きながらそう言うベル先生に、
「ああ。こんなことなら落成式を先に済ませてしまえばよかった」
と私も若干の反省の弁を述べる。
そんな私に父が、
「いよいよ役場を作るまでになったか…」
と感慨深そうにそう言った。
「ええ。でも、まだまだこれからですよ」
と少し含みを持たせてそんなセリフを言う。
その言葉を聞いて父は嬉しそうに、
「はっはっは。期待しておるぞ」
と、いつものように豪快に笑いながらそう言った。
楽しい夕食を終えて自室に戻る。
満腹で幸せそうに眠るコユキを微笑ましく眺めながら、ちょっとした書き物をして床に就き、
(さて。明日も大忙しだな)
と、どこか嬉しく思いながら軽く目を閉じると私はすんなりと眠りに落ちていった。
そして翌日。
やはり忙しく働きつつもなんとか引っ越し作業を終わらせる。
手伝ってくれたみんなに、明日の落成式には是非来てくれと伝えて屋敷に戻ると、私はまずはリビングに向かった。
先に作業を終わらせてお茶を飲んでいたベル先生や、エリーに軽く挨拶をしてソファに座る。
すると何気ない雑談の中でエリーが、
「ベル先生がいなくなってしまうのは寂しいですわね」
と少し顔を曇らせながらそう言った。
その言葉にベル先生は困ったような笑みを浮かべつつ、
「なに。ほんの隣に引っ越すだけじゃ。これからもちょくちょく遊びにくるから心配せんでいいぞ」
と、どこかエリーを宥めるように優しい言葉を返す。
そんな言葉にエリーは少しはにかむような表情を見せて、
「そうですわね…。私ったらつい、お友達と離れ離れになるように感じてしまって…」
と恥ずかしそうにそう言った。
「ははは。さっきも言った通り、これからもご近所さんじゃ。そう寂しがることはないさ」
と言ってベル先生が笑う。
そんな笑顔を見て、エリーも、
「うふふ。そうですわね」
と言って微笑んだ。
そんな2人のやり取りを聞き、
(エリーもずいぶん我が家に馴染んできてくれたようだな…)
と改めて思いつつ、なんとも微笑ましい気持ちでお茶を飲む。
やがて、いつものようにミーニャが夕飯の支度が整ったことを伝えに来てくれて、私たちは微笑みながら食堂へと移っていった。
翌日。
朝から大忙しで落成式の準備に取り掛かる。
私は現地で大工の連中と一緒に焼き台なんかの準備をし、エリーたちはせっせと料理を作ってくれた。
役場の庭には即席で作った机が並べられ、どんどん料理が並べられていく。
そこにジェイさんたちや「旋風」の3人が酒樽を持ってきてくれて、準備は着々と進んでいった。
「ははは。落成式っていうより宴会だな」
とおかしそうに言うジェイさんに、
「まぁ、それもうちの領らしくていいんじゃないか?」
と笑いながら返す。
「ああ。そうかもしれねぇな」
と言ってジェイさんも笑う。
そして、アインさんやノバエフさんも交えて談笑していると、そこへミーニャがやって来た。
「みなさんだいたい揃ったようですので、ご挨拶お願いします」
と言うミーニャに促されて即席で用意された壇上に上がる。
素早くミーニャが差し出してくれたグラスを手に取ると、「こほん」と軽く咳払いをして、前を向いた。
みんなの視線が私に集まる。
私はどんな挨拶をしようか迷ったが、みんなの、特にジェイさんたちから感じる「早く飲ませろ」という空気を察し、
「今日はありがとう。頑張ってくれた大工のみんなには感謝しかない。せめてもの礼だ。今日は思いっきり飲んで欲しい」
と短く挨拶をすると、
「グラスの用意はいいか?」
と軽く確認し、みんながうなずくのを見てから、
「では、この領とみんなの益々の発展を願って、乾杯!」
と高々と宣言し、グラスを高く掲げた。
「乾杯!」
というみんなの声がそろう。
そして、少しの間を置いて大きな拍手が起こると、私は壇を下り、まずは大工を仕切ってくれたドワイトさんのもとに向かった。
「ありがとう」
とにこやかに礼を述べて軽くグラスを合わせる。
「なに。この間も言ったが、俺は仕事をしただけだ」
と照れくさそうに言うドワイトさんになんとも言えない好感を持ちつつ、そばにいたガルフさんやアーズマさんとも軽くグラスを合わせ、その労をねぎらった。
顔見知りの大工たちともグラスを合わせ、談笑する。
みんな今回の経験、特にドワイトさんの下で働けたことは大きな経験になったと嬉しそうな顔でそう言ってくれた。
(こうして、ひとりひとり自分の道を進み、力をつけていってくれることでこの領は益々発展していくんだな…)
と感じながら、楽しく酒を酌み交わす。
そしてひとしきり挨拶周りが終わると私は料理を配ってくれているエリーたちのもとへ向かった。
「いろいろ手伝ってくれてありがとう」
と、まずはエリーに礼を言う。
するとエリーは、少し恥ずかしそうな笑顔を浮かべて、
「いえ。私も楽しませてもらってますから…」
と頬を軽く染めながらそう答えてくれた。
そんなエリーから一通りの料理が乗った皿をもらう。
皿の上には色とりどりのカナッペや辺境名物鹿肉のロースト、キッシュ、腸詰なんかの料理がぎっしりと載せられていた。
さっそくトマトとチーズが乗ったカナッペを口に入れる。
なんの変哲もないトマトとチーズの組み合わせかと思ったが、トマトはドレッシングのようなもので下味がしてあるらしく、チーズの濃厚さとに負けないほどしっかりとした味が付いていた。
「ほう。これは美味いな…」
と思わず感心したようにつぶやく。
するとエリーは嬉しそうな顔をして、
「お酒のおつまみでしたら、このくらい味がしっかりしている方が良いかと思いまして…」
と、にこやかな表情でそう答えてくれた。
「ああ。これはワインとよく合うな。ありがとう」
と、また礼を言って、次のカナッペに手を付ける。
次に口に入れたレバーペーストのカナッペも癖のない味わいかつ香辛料が効いていていかにも酒が進みそうな味だった。
(エリーは本当に料理上手だな)
と感心しつつワインをひと口飲む。
私の口の中でワインの渋みとレバーペーストの甘味が上手く溶け合い、極上のアンサンブルを奏でた。
何気ない幸せを噛みしめつつ、辺境の地でこんな料理が食べられるようになったことを思って感動する。
私はそんな万感の思いを込めて、
「うん。美味い。ありがとう」
と、またエリーのお礼の言葉を述べた。
「…まぁ。そんなにお礼ばかり言われては照れてしまいますわ…」
と言ってエリーが恥ずかしそうに頬を染める。
しかし、その表情はどこか嬉しそうだ。
私はそんなエリーの表情を見て、
(今この時を楽しんでくれているようだな…)
と思うと、こちらもなんだか無性に嬉しくなった。
きらめく初夏の日差しの下、みんなの笑顔が弾ける。
私はその光景を見て、未来が明るいことを思い、にこやかに微笑みながらワインと料理を口に運んだ。