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第101話猫来たる

落成式から5日。

私は今日も真新しい役場で書類仕事に励んでいる。

広い机というものは仕事が捗るもので、各村の地図に申請書、その他収支計算書などを広げながら書き物をしていると、不意に執務室の扉が叩かれた。

(誰だろうか?)

と思いつつ、

「どうぞ」

と返事をする。

すると、扉が開き、

「忙しい所すまんな。ちと珍しい客が来たので紹介しに来たぞ」

と言いつつベル先生が執務室の中に入って来た。

「ん?客?」

と聞きつつ、ベル先生にやや怪訝な目を向ける。

ベル先生の他には誰もいない。

(はて…?)

と思っていると、唐突に、

「にゃぁ」(しばらくの間世話になるぞい)

と言う声が耳に飛び込んできた。

「へ?」

と思わず素っ頓狂な声を出しつつベル先生の方を見つめる。

よく見ればベル先生は1匹の子猫を抱えていた。

「えっと…?」

と戸惑う私にベル先生が、

「ああ。これが客じゃ」

と言って苦笑いをしながら猫を軽く掲げてみせる。

私はまだ訳が分からずにきょとんとしていると、その猫が、

「にゃぁ」(吾輩はケットシーである。森の賢者などと呼ばれておるが、気軽に接してもらってかまわんぞ)

と、やや上から目線でそう言ってきた。

「あ、ああ」

と答えて、またベル先生の方を見る。

すると、ベル先生は困ったような笑みを浮かべながら、

「すまんな。昔の知り合いなんじゃが、どうやらフェンリルに会ったらしくてのう…。いきなり訪ねて来てしまった…」

と、ため息交じりにそう言ってきた。

もう一度その猫をよく見る。

猫は子猫と言っても差し支えないほどの体躯でかなり小さい。

模様は白黒。

鼻筋から胸にかけては白いが後は黒という感じの配色だ。

(どこからどう見てもただの猫だが…)

と思いつつ、しげしげとその金色の瞳を見ていると、その猫が、

「にゃぁ」(なんじゃ?挨拶も出来んのか?)

と胡乱げな目で私にそう言ってきた。

「あ、ああ。すまん。あまりのことにすっかり驚いてしまった。…この領を治めているルーカス・クルシュテットだ。ルークと呼んでくれ」

と言いつつ一応立ち上がる。

その言葉を聞いて、その猫は、ひとつ満足げにうなずくと、

「にゃ」(うむ。致し方あるまい)

と言い、続けて、

「にゃぁ」(改めて、吾輩はケットシーである。名前はまだない)

と、また上から目線でそう言ってきた。

(いや、あの名作を堂々と…)

と変な前世の記憶を思い出しつつ、

「あ、ああ。よろしくな」

と言ってその猫に近寄っていき手を差し出す。

すると、その猫はベル先生の抱えられたまま私の方に前脚を伸ばしてきて、そのぷにぷにとした肉球で私の手をテシテシとやりながら、

「にゃぁ」(こちらこそよろしく頼む)

と鷹揚な感じでそう挨拶してきた。

「ははは。いきなりすまんかったのう」

とベル先生が苦笑いで軽く謝って来るのに、

「ああ、いや。かまわんさ。少し驚いたがな」

と苦笑いで答える。

すると、その猫が私に向かって、

「にゃぁ」(ところで)

と言い、私が、

「ん?」

と話しの続きを促がすと、

「にゃぁ」(しばらく世話になるんじゃ。適当に呼び名をつけてくれ。無いとそっちも困るじゃろう)

と言ってきた。

その言葉を聞いて、内心、

(え?)

と思ったが、そんな私にベル先生まで、

「ああ。その件もあってきたんじゃ。どうも私はそういうのが苦手でのう…。ルークなら何かいい名を思いつくんじゃないかと思ってきたんじゃが、どうじゃ?」

と言ってくる。

私はなんとも困ってしまって、

「…そうだなぁ…」

と言ってしばらく考え込んでしまった。

(白黒だからシロでもクロでもないし、タマはないだろうから、その他となると…)

と思い、その猫をじっと見る。

ちらりと見ればベル先生もなにやら考え込んでいるようだ。

私はますます困ってしまったが、ふと、

「ナツメ…?」

と思いついてしまった。

「にゃぁ」(お。良い名じゃのう。意味は分からんが、どことなく知的な響きがある。うむ。気に入ったぞ)

と言って猫が満足そうな表情を浮かべる。

ベル先生も、

「おお。なかなか良いなじゃ。ははは。やっぱりルークは名付け上手じゃな」

と言って満足そうに笑った。

「ははは…」

と私も苦笑いを浮かべる。

こうして午後の日差しが入り込む明るい執務室に三者三様の笑みが広がり、我が領はめでたく新しい住人を迎え入れることとなった。


その後、猫ことナツメを交えてお茶にする。

驚いたことにナツメはお茶を所望してきた。

そして私がやや熱い緑茶を平気な感じで舐めるように飲むナツメを見て、

(猫舌じゃないのか…)

と妙なことを思っていると、ナツメが、

「にゃぁ」(久しぶりにフェンリルに会いに行ったらここに子がおるという話を聞いてのう。それに聞けば西と東の賢者が揃っておるというじゃないか。これはきっと美味い飯と酒にありつけるぞと思って訪ねて来てみたが、いやはや、この緑茶というやつに巡り会えただけでもなかなかの収穫じゃったわい)

と言って満足そうな表情を見せる。

そんなナツメにベル先生が、

「ああ。酒はまだ仕込んだばかりだが、ジェイ曰くとんでもなく美味いのができる予感がしておるらしいぞ。それにここは飯も美味い。当分の間は退屈せんじゃろうて」

と、どこか自慢げにそう答えると、ナツメはなんとも嬉しそうな顔をして、

「にゃぁ」(はっはっは。それは楽しみじゃわい)

と、いかにも好々爺のような感じでそんなセリフを口にした。

その後もこの辺りの森の様子を中心に世間話をしつつお茶を飲む。

どうやらナツメはこの辺りの森に来るのはかなり久しぶりらしく、新種のブドウが見つかったり綿花や藍が見つかったという話をすると、

「にゃぁ」(吾輩も長いこと生きておるが、そんなものがあったとはなぁ…。いやはや、世の中まだまだ知らん事だらけじゃわい)

と言ってなにやら嬉しそうな顔をした。


そんな話をしていると部屋に西日が差し込んできたことに気が付く。

「お。もうこんな時間か…。そうだな。みんなにも紹介しておきたいし、今日はうちに飯を食いにきてくれ」

と言うとベル先生とナツメは、

「お。久しぶりにそっちの飯が食えるのう」

「にゃぁ」(はっはっは。さっそく楽しみじゃわい)

と言って、それぞれに嬉しそうな顔をした。

「よし。じゃぁまずはライカとコユキを紹介しに行こう。たぶんそろそろ遊びから帰ってくる頃だ」

と言って立ち上がる。

するとベル先生もナツメを抱き上げながら立ち上がり、みんなしてまずはライカとコユキが遊んでいるであろう屋敷の裏庭へと向かって行った。


歩いてすぐの屋敷の門をくぐり裏庭に向かう。

すると案の定そこにはライカとコユキがいて、側には二人を微笑ましげに見つめるエリーとマーサの姿もあった。

「ただいま」

と、みんなに声を掛けると、

「きゃん!」(おかえり!)

「ひひん!」(おかえり、ルーク!)

と嬉しそうな声を上げて、コユキとライカが駆け寄ってくる。

私はそれを笑顔で受け止めると、もう一度、

「ただいま」

と言って、二人を撫でてやった。

その後ろから、

「おかえりなさいまし」

と言ってきてくれるエリーにも、もう一度、

「ただいま。今日も楽しかったか?」

と声を掛ける。

そんな言葉にエリーはくすりと笑って、

「ええ。とっても楽しかったですわ」

と答えてくれた。

そんなエリーの答えに安堵して微笑みつつ、

「それは良かった」

と答えたあと、

「そうそう。お客さんが来たから紹介しにきたぞ」

と言ってベル先生に視線を向ける。

すると、ベル先生の胸元からナツメが、

「にゃぁ」(ケットシーのナツメじゃ。森の賢者と呼ばれておるが気軽に接してくれてかまわんぞ)

と挨拶をした。

「まぁ…」

と言ってエリーが驚いたような顔をする。

マーサも同じく驚いたような表情をしていたが、すぐに、

「お嬢様」

と言ってエリーに挨拶を促がした。

「え?あ、そうですわね。失礼いたしました。私エレノア・ブライトンと申します。どうぞエリーと呼んでくださいませ」

と言って綺麗な礼を取った。

それに続いてマーサが、

「エレノアお嬢様のメイドでマーサと申します」

と言って主人同様礼を取る。

それを見たナツメはどこか満足そうに、

「にゃぁ」(うむ。よしなに頼む)

と鷹揚な返事をした。

次に私は、

「こっちのユニコーンがライカで、フェンリルの子がコユキという。よろしくな」

と二人を紹介する。

するとまずはライカが、少し照れたような感じで、

「ぶるる…」(ライカです。よろしくお願いします)

と自己紹介し、それに続いてコユキが、

「きゃん!」(コユキだよ!)

と元気に挨拶をした。

そんな挨拶を聞いて、ナツメが、

「にゃぁ」(ほう。まだ幼いのにしっかり挨拶ができて偉いのう。吾輩のことは、じいじとでも呼んでくれてかまわんからな)

と言い相好を崩す。

そんな様子を見て、私が、

(ほう。意外と子供好きなんだな…)

と思っていると、さっそくコユキが、

「きゃん!」(じいじ!)

と嬉しそうに呼びかけた。

「にゃぁ」(はっはっは。聞いておった通り元気な子じゃのう)

と言ってナツメが目を細める。

そんな様子を見て、私が、

「ははは。優しいじいじができてよかったな」

と言うと、コユキもライカも、

「ぶるる…」(うん…)

「きゃん!」(うん!)

と言って嬉しそうな表情をした。


「よし。じゃぁ、次は家族たちの紹介だな」

と言ってライカに別れを告げ、屋敷の中に入っていく。

そして、さっそくリビングに入ると、バティスと一緒に将棋を指していた父に向かって、

「父上、ケットシーの客人が来たので紹介させてください」

と言葉を掛けた。

「なに?」

と案の定父が驚き、ナツメを見る。

ここでもナツメは、

「にゃぁ」(吾輩はケットシーのナツメである。しばらくここで世話になる事になった。よしなに頼むぞ)

と鷹揚に挨拶をした。

それから父とバティスがナツメに挨拶をし、食堂へ向かう。

そこで食事の準備をしていたエマとミーニャにもナツメを紹介すると、二人も一様に驚きの表情を見せたが、その後はなんとか落ち着いて挨拶を交わした。

「ああ、そうじゃ。うちからセリカを読んできてくれんか?」

というベル先生の言葉を聞いて、ミーニャがベル先生の住む家へと向かっていく。

私はそんなミーニャの背中を見送ると、さっそく自分の席に着いて、

「飯の準備ができるまでしばらく待っていてくれ」

とナツメに声を掛けたあと、

「今晩の飯はなんだ?」

とエマに声を掛け今夜の献立を聞いた。

「今夜は鶏の照り焼きにしようと思っておりましたが、大丈夫ですか?」

とエマがナツメの方を見ながら少し心配そうに聞いてくる。

その視線に気が付いたナツメが、

「にゃぁ」(吾輩は好き嫌いがないから心配はいらんぞ)

と答えると、横からベル先生が、

「なに。ただの食いしん坊じゃ。気にせずいつも通りのものを出してやればよかろう」

と言ってきた。

その言葉にナツメが、

「にゃ」(食いしん坊とは失敬な。吾輩は美食家なだけじゃわい)

と不満そうな顔でそう答える。

すると、その場にいたみんなの顔に笑みが浮かんで、和やかな雰囲気のまま食事の準備が始まった。

やがて、ミーニャがセリカを連れてやって来ると、みんな揃って食事が始まる。

するとさっそくナツメが鶏の照り焼きにかぶりつき、

「にゃぁ」(ほう。照り焼きというのは初めて食べたが良い物じゃのう。それにマヨネーズと言ったか?この脇に添えてある白いのがたまらんわい)

と喜びの声を上げた。

「うふふ。気に入ってもらえてうれしいですわ」

とエリーが嬉しそうな顔をする。

どうやらマヨネーズはエリー特製のものらしい。

それに気付いた私はなんだか自分が褒められたような気持ちになって、

「遠慮はいらんから存分に食ってくれ」

と言ってナツメに笑顔を見せる。

するとナツメも嬉しそうな顔になり、

「にゃぁ」(うむ。これはわざわざきた甲斐があったわい)

と満足げにそう言った。

楽しい食事が続き、やがて満足したナツメが猫らしく髭の辺りをクシクシしだす。

それを見て、

「ご満足いただけたかな?」

と、したり顔で冗談っぽくそう聞くと、ナツメは、

「にゃぁ」(うむ。今日は良い物に出会えた。感謝するぞ)

と、また鷹揚な物言いでそう答えてきた。

「はっはっは。それはなによりだ」

と答えて私も満足げな笑みを浮かべる。

すると、みんなの顔にも笑顔が浮かんで、その日も我が家の夕食は笑顔のうちに終わりを迎えた。


やがて帰っていくベル先生とナツメ、セリカを見送りリビングに戻る。

そこでは父とエリーがなにやら談笑しながら食後のお茶を楽しんでいた。

私に気付き、

「可愛らしい猫ちゃんでしたわね」

と言うエリーに、

「ああ。でもああ見えてお偉い賢者様らしいから、驚きだ」

と笑いながら返し、私もソファに座る。

そして、すぐさま私の膝に乗って来たコユキを撫でながら、エリーに、

「辺境は退屈しないな」

と冗談を言った。

「うふふ。そうですわね」

と言ってエリーがさもおかしそうに笑う。

そんな様子を見て、父が、

「まったく。ここ最近はいろいろあるのう…」

と言い苦笑いを浮かべた。

そんな父の態度に私とエリーが、

「ははは」

「うふふ」

と笑いあって和やかな空気が流れる。

そんな空気の中、私は、

(今日という一日もみんな笑顔で平穏なうちに終わるんだな…)

と思うとなんだか妙にしみじみとした気持ちになった。

そんな私にエリーが、

「楽しい一日でしたわ」

と声を掛けてくる。

その言葉を聞いて、私はまた心から嬉しくなり、

「明日も楽しいといいな」

と笑顔でそう返した。

またその場に和やかな空気が流れる。

私はその和やかな空気を心から愛おしいものだと感じながら、ゆっくりと緑茶をすすった。


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