翌日。
自室で準備に勤しんでいるところにエリーがやって来る。
「お忙しいところすみません。あの、これを…」
と言って差し出してくれたのは、なにやら革製の腕輪のようなものだった。
よく見ればコユキやライカの姿が刺繍してある。
私はそれを受け取ると、
(これはすごいな…)
と素直に感心しながらじっくりと見つめた。
「少し可愛らし過ぎましたでしょうか?」
と心配そうに聞いてくるエリーに、
「いや。なんとも我が家らしくていいと思うぞ」
と答えて微笑んで見せる。
するとエリーは少し照れたようにうつむきつつも、
「良かったですわ」
と言って微笑んでくれた。
そんなエリーに、
「ありがとう。必ず無事に帰って来る」
と言葉を掛ける。
するとエリーは私の目を真っすぐに見つめて、
「はい」
と少し力強い感じでそう返事をしてきてくれた。
一瞬の間が空く。
すると、なんだか急に恥ずかしいような気持ちになって、お互いがふと目を伏せた。
「ははは。なんだか照れるな…」
と私が苦笑いでそう言うと、エリーも照れながら、
「うふふ…」
と小さく笑う。
そんな笑い声に私も、
「ははは」
と、また苦笑いで答えてその場になんとも言えない空気が流れた。
そんな私たちの足元で、コユキが、
「きゃふ?」(どうしたの?)
と聞いてくる。
私はそのなんとも言えない照れくささを誤魔化そうと思ってコユキを抱き上げると、
「どうだ。エリーにもらったんだが、良く出来ているだろう」
と言って腕輪を見せた。
「きゃん!」(かわいい!いいな!)
と言って羨ましがるコユキに、
「あら。じゃぁ今度コユキちゃんの分も作ってあげるわね」
と言ってエリーが微笑みかける。
すると、コユキは、
「きゃん!」(やったー!)
と無邪気に喜びの声を上げた。
コユキを挟んで和やかな空気が流れる。
いつしか私もエリーも笑顔になって、無邪気にはしゃぐコユキを微笑ましく眺めていた。
そして出発当日。
屋敷の玄関前にはみんなが見送りに出て来てくれている。
父やバティス、エマに加えてエリーとマーサ、そしてベル先生とナツメの姿もあった。
「じゃぁ、いってくる」
と簡単に挨拶をする私に、
「ああ。留守中は任せておけ」
とまずは父が力強い言葉を掛けてきてくれる。
そして、ベル先生が、
「うむ。村人の健康は守ってやるから心配せんでいってこい」
と胸を張ってそう言うと、
「にゃぁ」(吾輩もついておるでな)
とナツメがいつものように鷹揚な感じで留守中のことを引き受けてくれた。
「いってらっしゃいませ」
とエリーが心配そうにしながらも精一杯の笑顔で送り出してくれる。
私はそれが嬉しくて、
「ああ。さっさと戻って来るさ」
と笑顔で答えると、またみんなに、
「じゃぁ、いってくる」
と軽く出立の挨拶をしてライカに前進の合図を送った。
「ぶるる!」
と気合のこもった声を上げて、ライカが歩き出す。
私はその力強い歩調を頼もしく感じながら、
(本当にさっさと終わらせて帰ってこなければな…)
と改めて思いながら屋敷を後にした。
やがて、午前中のうちに衛兵隊の拠点に着く。
するとそこにはエバンス、ハンスを含めた30人ほどの衛兵が揃っていて、
一斉に、
「おはようございます!」
と挨拶をしてきてくれた。
「ああ。おはよう。今回はよろしく頼む」
と挨拶を返してライカから降りる。
そして、まずはエバンスの方に近づくと、
「今回の布陣を確認させてくれ」
と言って、今回の作戦の最終確認をすることになった。
「まず、今回の指揮はハンスに任せ、私は万が一に備えて領内の警戒にあたります」
と言うエバンスにうなずき続きを促がす。
そして、
「斥候に3名。ハンスとそれに続く遊撃隊が3名。残りは5人一組の隊が4組で、ルーカス様とミーニャの護衛には盾役のルイージと弓のエリックについてもらおうと思っておりますがいかがでしょうか?」
と言うエバンスの意見にうなずき、
「わかった。それで行こう」
と言って布陣を了承した。
次にハンスの方に目を向け、
「移動中も含めた指揮は頼むぞ」
と軽く念を押す。
その言葉にハンスは、いつもの軽い感じを捨て、
「はっ!」
と短く敬礼をしながら答えると、後ろに並ぶ隊員たちにむかって、
「全員わかったか!」
と気合のこもった声でそう呼びかけた。
「おう!」
という力強い声が返って来る。
私はその様子に安心すると、
「よし。各人、軽く腹ごしらえをしたら出発だ」
と言って、かなり早めの昼食を取ってからその場を発つことにした。
ようやく起きて来たコユキに軽く弁当を食わせるとさっそく準備を整え再びライカに跨る。
私の胸元でどこか楽しそうに、
「きゃん!」
と鳴くコユキの姿に癒されつつも、私はやや緊張しながら森へと入っていった。
その日は森の浅い所にある衛兵隊の野営地で野営にする。
大所帯での野営とあって少しは混乱するかと思ったが、衛兵隊の連中にしてみれば慣れたものらしく、手早く調理班と設営班に分かれてテキパキと準備を進めていった。
ミーニャは調理班、私は設営班を手伝って、手早く準備を終わらせる。
そして、順番に食事をとると、それぞれが思い思いに体を休め始めた。
私はコユキと戯れながら食後のお茶を飲む。
するとそこへハンスがやって来て、
「敵のいる場所まではちょっと余裕を持たせてここから5日くらいっすかね」
と言いながら隣に座って来る。
私がそれに、
「ああ。順調にいけばいいがな…」
と苦笑いでそう返すと、ハンスも苦笑いで、
「まぁ、そうっすね。一応これだけの大所帯だと普通の狼あたりが襲ってくることはないっすから、そこは安心して大丈夫なんすけどねぇ…」
と言い、やや力無い感じで「ははは…」と笑った。
その後は今後の行程に関して簡単にすり合わせを行う。
ハンス曰く、明日斥候部隊を先行させて、目的の池が点在する地点の手前で最終的な状況確認を行う予定になっているという事だった。
それで問題無いだろうと思ってハンスにうなずいて見せる。
するとハンスはほっとした様子で、
「普段と違ってこれだけ大人数だと緊張するもんっすね」
と言い苦笑いを浮かべた。
どうやらハンスも緊張していたらしいということが分かり、少々不謹慎かもしれないが、
(なるほど。私だけじゃなかったんだな…)
と思ってどこかほっとする。
そして私はハンスに向かって、
「なに。油断はいかんが、それなりに気を付けて行動していれば、あとはなるようになるものさ」
と、あえて軽い口調で励ますようにそう言葉を掛けた。
「ははは。そうっすね」
と言ってハンスがまた苦笑いを浮かべ立ち上がる。
そして、ハンスは、
「ちょっと気が楽になったっす。ありがとうございます」
と言うと、私の傍を離れ自分の寝床へと戻っていった。
そんなハンスを見送り、
(大丈夫だ。きっと上手くいく)
と、まるで自分にも言い聞かせるようにそんな言葉を胸の中でつぶやき、お茶を飲む。
そんな私の膝の上で、コユキが、
「きゃふぅ…」
とあくびをした。
そんなコユキを優しく撫でてやる。
すると、コユキは気持ちよさそうに目を細め、そのまま眠ってしまった。
(さて。私も寝るか)
と思って側にあったブランケットを引き寄せる。
するとそこへライカがやって来て、私の後に跪いた。
「ははは。ありがとう」
と言ってライカにもたれかからせてもらう。
すると、いつものように背中とお腹にじんわりとした温もりが伝わってきて、私は野営中にも関わらず完全に意識を手放してしまった。
翌朝。
ややハッとして目を覚ます。
しかし、まだ夜明け前で見張りのために起きている連中以外はゆっくりと眠っているようだった。
そんなみんなを起こさないようにそっと移動してお茶を淹れる。
そして見張りの連中に混じってゆっくりお茶を飲んでいると、そこへハンスがやって来て、
「おはようございます」
と挨拶をしてきた。
「おはよう。よく眠れたか?」
と自分のことを思って苦笑いしつつ、冗談交じりにそう聞く。
そんな私に、
「ははは。一応少しは眠むれたっす」
と言って苦笑いするハンスにお茶を淹れてやって、一緒に飲みながら夜明けを待った。
「明日からは勝負っすね」
と何気なく言うハンスに、
「ああ。気合を入れんとな」
と返す。
するとハンスはまた少し笑って、
「ルーク様はすごいっすね」
と言ってきた。
「ん?なにがだ?」
と、ややきょとんとして聞く。
するとハンスはまた少し笑って、
「その落ち着きっすよ。見習いたいっす」
と言ってきた。
「そうか?これでも結構緊張しているんだがな…。それに私に言わせれば、ハンスの方がよほど落ち着いているように見えるぞ」
と私が答えると、ハンスは少し驚いたような顔をしたあと、
「そんな風には見えないっすよ?ていうか、自分のどこが落ち着いてるように見えるんです?」
と、本当に意外そうな感じでそう聞いてきた。
そんな言葉を聞いて、私は、
「ははは。隣の芝は青く見えるものなんだな」
と言いながら笑う。
するとハンスも、
「そうっすね」
と言いながら苦笑いを浮かべ、おかしそうな顔をしながらゆっくりとお茶を飲んだ。
やがて、日が昇り全員が起きて来て簡単な朝食が配られる。
私はまだ寝ぼけているコユキをなんとか起こして朝食を食べさせると、みんなに遅れないよう手早く準備を整えてライカの背に跨った。
「じゃぁ、出発するっすよ!」
というハンスの声に従ってみんなが動き出す。
私もその声を聞き、改めて、
(いよいよだな…)
と気持ちを新たにすると、ほんの少し気合を込めてライカに前進の合図を出した。