翌朝。
いつものように朝早く起き、出発の準備を整える。
そして、自分で淹れたお茶を飲みゆっくりしてから宿の食堂に入っていくと、
そこにはすでにエリーが来ていて、
「おはようございます」
と朝の挨拶をしてきてくれた。
「ああ。おはよう」
と、にこやかに返して朝食の席に着く。
そして、和やかに、しかし手早く朝食を済ませると、私たちは宿場町を出てまた旅路を進み始めた。
そんな楽しい旅路が続き、20日ほどで王都近郊の宿場町へと辿り着く。
今回は一応お忍びの旅ということになるから王都へは立ち寄ることができない。
(エリーには申し訳ないが、ここは少し我慢をしてもらおう)
と心の中で申し訳なく思いつつ、その宿場町で一泊すると、次の日は王都を通り越して、次の宿場町へと入った。
それから10日ほど。
ようやくシュタインバッハ侯爵領シュテルの町に到着する。
おおよそ1年ぶりに来たシュテルの町は相変わらずにぎやかで、通りを埋め尽くすように店が並び、人がひっきりなしに行き来していた。
そんな雑踏を抜け、少し通りから入ったところにある小さな宿にとりあえずの部屋を取る。
そして、疲れているであろうエリーたちを宿に残し、私はひとりで侯爵様の屋敷へと向かった。
侯爵様の屋敷に着き、門に近づく。
すると、私に気が付いた馴染みの門番のルッツが小走りに近寄ってきて、
「おかえりなさいませ」
と、にこやかに声を掛けてきてくれた。
「ああ。ただいま」
と、こちらも微笑みながらそう声を掛け、
「今回はお客様をお連れしている。明日は一日空けているから、侯爵様の都合を聞いておいてくれ」
と頼む。
するとルッツはにっこりと笑いながら、
「侯爵様からはいつでも大丈夫だと伺っておりますので、いつでもお越しになってください」
と言ってきてくれた。
「ははは。なんとも準備がいいな」
と言う私にルッツが、
「そこは侯爵様のお耳の早さというものがありますから」
と苦笑いで答えてくる。
その答えを聞いて、私は、
(どうやらこちらの動向は筒抜けだったみたいだな…)
と思ってルッツと同じく苦笑いを浮かべると、
「じゃぁ、明日の午後伺おう。侯爵様にはよろしく伝えておいてくれ」
と言いルッツと軽く握手を交わして来た道を戻っていった。
宿に戻りそのことをみんなに報告する。
「なんだか緊張してきますわね…」
と言ってエリーはかなり不安そうな顔をしていた。
「大丈夫だ。悪いようにはならん」
と努めて明るく声を掛ける。
しかし、エリーは、
「ええ。そうですわね」
と言って微笑んだもののその笑顔はどこか無理をしているように見えた。
そんな気分を変えようと、
「今夜は魚を食いに行こう。エリー、魚は大丈夫か?」
と言って話題を変える。
するとエリーは、苦笑いながらも、
「はい。大好きですわ」
と言って少しだけいつもの笑顔を見せてくれた。
その後、しばらくゆっくり休んだ後風呂を使ってから町にでる。
「久しぶりのお魚、楽しみです!」
と言って少しはしゃいだ様子をみせるミーニャの姿をなんとも微笑ましく思いつつ、私は昔何度か入ったことのある居酒屋へと足を向けた。
「いらっしゃいませ」
と上品な感じで迎えてくれる女将に、
「四人だがいいか?」
と言って案内された席に着く。
そして、エールを三つとお茶を一杯頼み、適当に品書きを見始めた。
「ルーク様、このシュテル漬けってどんな料理ですか?」
と聞くミーニャに、
「ああ。それはこの町の名物でな。から揚げみたいに揚げた小魚を酢とか醤油、魚の出汁なんかで作ったタレに付け込んだものだ。なかなな美味いぞ」
と、いわゆる南蛮漬けであることを説明する。
するとミーニャのみならずエリーも目を輝かせて、
「美味しそうですね。是非頼みましょう!」
と嬉しそうに言ってきた。
そんな二人を中心にわいわいと注文を決めていく。
結果、その日の食卓にはムニエルや一夜干し、魚介たっぷりのスープなど、けっこうな数の魚料理がならんだ。
「おいひいれふ!」
と満面の笑顔で頬を抑えるミーニャをみんなして微笑ましく眺めつつ、楽しく食事を進める。
久しぶりに食べた魚はやはり肉とは全然違って、私的にも、私の前世の記憶的にも懐かしい味わいがした。
大満足で店を出て、宿までの道を歩く。
そんな中エリーがふと思いついたように、
「カレーにお魚を入れたらどんな味になるでしょうか?」
といかにも料理好きらしいことを言ってきた。
そんなエリーを見て、
(ああ。少しは緊張がほぐれたようだな…)
と嬉しく思いつつ私は、
「あはは。きっと肉とは違ったうま味の美味いカレーが作れるぞ。ああ、そうだ。侯爵家の料理人にはカレーの作り方を伝えてあるから、是非、魚介を使ってカレーを作ってもらおう」
と笑顔で提案する。
すると、エリーは本当に嬉しそうな顔になって、
「はい!」
と元気よく答えてくれた。
都会の明るい夜の雑踏に私たちの明るい声が溶けていく。
私は束の間とはいえ、エリーの笑顔を取り戻せたことをなんとも嬉しく思いながら、ほっとしたような気持ちで宿へと戻っていった。
翌朝。
朝食を済ませた後、私は馬車を動かしリッツ商会へと向かう。
リッツ商会へはすぐに着き、店員に名を名乗るとすぐに商会長のエラルドといつもの応接室で面会することが出来た。
「ご無沙汰しております。今回はどのようなご注文ですかな?」
と商人らしい笑顔で言うエラルドに、私はまず、
「ああ。今回はいつもの注文に加えていくつか製品の見本を持って来た。できれば侯爵領で売れるかどうかの品定めをしてくれると助かる」
と言いつつ持ってきた、一抱えほどの箱を開け、中からエプロンやエプロンドレスと厚手の綿を藍で染めたいわゆるデニム生地のオーバーオールを差し出した。
エラルドはさっそくその品を手に取り、
「ほう…。これはまた斬新な意匠ですな…」
と言って物珍しそうにエプロンを眺めた。
そんなエラルドに、
「どちらも職人向けに作ったものだが、そっちの白くてレースのついた物はメイドに向いていると思わんか?見た目もこれまでのエプロンより豪華に見えるし、使い勝手もいいから貴族家にはうけると思ったが、どうだ?」
と聞いてみる。
するとエラルドは、
「なるほど…」
と言って思案しながら、次にオーバーオールを手に取った。
そんなエラルドの反応を見て、私はそっと、
(いけるな…)
と思いつつ、
「そっちは農作業をする村民向けに作ったものだが、とにかく丈夫で使い勝手がいい。ポケットも多くて作業効率が上がるからきっと庭師あたりにはうける。どうだ?そっちも合わせて貴族家に売り込めないか?」
と提案する。
そんな提案を受けてエラルドは少し考えるそぶりを見せたが、すぐに、
「ええ。綿のエプロンは高級品ですし、見た目も豪華ですから、貴族家にはうけるでしょう。作業着の方もついでに売り込めばそれなりに売れると思います。しかし、庶民に綿は高過ぎますから、どちらも庶民向けに麻で似たようなものを作っても?ああ、もちろんその分の対価はきちんとお支払いしますので」
と商機ありという答えを返してきてくれた。
「ああ。それで構わん。綿はそのうち生産量を増やす予定だからちょっと裕福な庶民になら手が届く価格になるだろう。それまでに貴族家にしっかり売り込んでくれればありがたい。そうすればそのうち、ここのような裕福な商会もこぞって真似をしだすだろう」
と答えてエラルドに冗談っぽい視線を送る。
するとエラルドは少し苦笑いをして、
「ええ。うちでも取り入れさせていただきますよ。なにせ見た目が美しゅうございますからね」
と言ってくれた。
その後、書面は後で作らせましょうというエラルドと軽く条件を詰める。
デザインの模倣料は粗利益の1割とすることになった。
「いや。いい取引をさせてもらえました」
と言って右手を差し出してくるエラルドの手を軽く握り返しながら、
「ああ。こちらこそいい商売になった」
と言いつつも、
「ああ、そうだ。忘れるところだった」
と言って、箱の中から別のものを取り出す。
「なんでしょう?」
と不思議そうに言うエラルドの前に私はやや大きな魔石を2つ置くと、
「ついでにこれの買い取りもお願いできないか?こっちがコカトリスでこっちがグレートリザードだ」
と言ってエラルドに視線を送った。
「なんと…」
と言って絶句するエラルドに、
「今回はギルドに持ち込んで無いから鑑定書はつけてないが、どうだろうか?必要なら持って来るが?」
と聞きつつ顔色を窺う。
するとエラルドは苦笑いをして、
「いえ。それはこちらで準備いたしましょう。買い取り金は現金でご用意いたしますか?それともこちらでいったんお預かりして、今後のお取引から値引く形も取れますが」
と言ってきた。
「ああ。面倒だから預かっておいてくれ。明細はあとで頼む」
と言って今度はこちらからエラルドに右手を差し出し握手を交わす。
握手を交わしつつエラルドは、私に、
「しかし。ルーカス様とお取引をしていると飽きませんなぁ」
と感心したようなしかし、どこか呆れたような感じでそう言ってきた。
私はそれに、
「はっはっは。飽きないから商いと言うんだろうよ」
と上機嫌でオヤジギャグを返す。
そんな私にエラルドも、
「ははは。確かにそうですなぁ」
と笑顔を見せて、その取引は無事、お互いが笑顔のうちに終わった。
やがてリッツ商会を出て市場に向かう。
そこで、私は人数分のサンドイッチを買うと、やや急ぎ足で宿へと戻っていった。
宿に着くとさっそくエリーの部屋を訪ねる。
するとエリーはもう礼服に着替えていたので、
「少し早いが昼食を買って来た。軽くお腹に入れておいてくれ。私も急いで準備をしてくる」
と言ってサンドイッチを渡し、部屋に戻る。
そして私はさっさと礼服に着替えると、手早くサンドイッチを腹に詰め込んだ。
やがて、部屋にやってきたミーニャにお茶を淹れてもらいつつ、エリーの準備状況を聞く。
すると、いつでも出発できそうだということだったので、私はさっそくまたエリーの部屋を訪ね、
「そろそろ出発しようか」
と声を掛けた。
緊張気味に、
「はい…」
と答えるエリーを伴って宿を出る。
私も馬車に揺られながら、
(いよいよか…)
と思うと段々と緊張してくるのを抑えられなかった。
(いや。落ち着け。エリーを支える役の私が緊張していてどうする)
と言い聞かせて軽く深呼吸をする。
そんなことを考えているうちに馬車は進み、侯爵様の屋敷がすぐそこに見えてきた。