その日の夕食にはエリーとエルドさんの共作だというシーフードカレーが出される。
その味にみんなが驚き、私は懐かしさを感じた。
その他にも、我が家の家庭料理をエルドさん流にアレンジした絶品の料理が供される。
メンチカツにはトリュフがふんだんに使われていたし、隠し味にカワハギの肝を使ったという濃厚なマヨネーズソースはそれだけで白米が何杯も食べられそうなほど美味しかった。
(いやはや、我が家では定番のメンチカツがエルドさんの手にかかるとこんなことになるのか…。この鼻から抜ける豊かな香りと口の中に広がる肉汁の海はまさしく楽園の味じゃないか…)
と妙に詩的な感想を持ちつつ、美味しくいただく。
そんな楽しい夕食の席で、
「そろそろお暇しようかと考えております」
と帰還の意思を伝える。
すると、それまで明るかった食堂の雰囲気が一瞬で寂しさに包まれた。
「まぁ…。もうちょっとゆっくりしていってくれればいいのに…」
と本当に寂しそうに言ってくれるユリア様に、
「一応領主としての仕事もありますので」
と苦笑いを返す。
そんな私の言葉でシュンとしてしまったユリア様に侯爵様とアルベルトが、
「なに。また近いうちに会えるさ」
「ええ。そうですよ」
と慰めるようにそう声を掛けた。
「…そうですわね」
と不承不承ながらも納得してくれた様子のユリア様に今度はアナベルが、
「そうですわ。お義母様。今度、エリー様と刺繍の交換をする約束をしましたから、これからはもっと頻繁にお手紙が届きますわよ」
と言って慰めてくれる。
私はその話を聞いて、
(ほう。刺繍の交換っていうのは、交換日記みたいな感じで刺繍をした布をやり取りするやつだったよな…。そうか、それほど打ち解けてくれたのか…)
と思うと、なんとも言えない嬉しい気持ちになった。
「はい。ルーカス様にお願いしてたくさんお送りしますわね」
と微笑みながらユリア様にそう言葉を掛けるエリーとともに、私も笑みを浮かべながら、
「ははは。それなら私の筆不精も少しは矯正されそうですね」
と冗談を言う。
するとユリア様は、
「そうですよ。ルークはもっと筆まめにならなければなりません」
と、わざとらしく怒ったような顔を見せて来た。
「ははは。ルーク、頑張れよ」
とアルベルトが笑い、侯爵様も釣られて笑う。
そんな和やかな笑い声に包まれて食堂は再び明るさを取り戻し、再び楽しい食事が進んでいった。
その夜。
侯爵様と別れの酒を飲みながら、
「後は万事任せておけ。その間エレノア嬢をしっかり守ってくれよ」
と侯爵様からそんな言葉を掛けられる。
私はそれにしっかりとうなずき、
「必ずや」
と短く返事をすると、侯爵様は満足げにうなずいてブランデーをひと口飲んだ。
私もひと口ブランデーを飲む。
その日のブランデーはほんの少しだけほろ苦いような味がした。
翌朝。
家族みんなに別れを告げ、土産を積んだ馬車に乗り込む。
ほんの少し涙を浮かべるユリア様を見ていると、どうしようもなく後ろ髪を引かれたが、私はそれに思い切りをつけるように真っ直ぐ前を見て、馬に前進の合図を出した。
やがて侯爵邸の門を出て城下町を進む。
下町の市場まで来たところで昼食を買い、そのままシュテルの町の門を目指した。
行きとは違い帰りはそれほど審査を受けずに通過する。
そこから馬車は行商人や駅馬車に混じってのんびりと進み、その日の夕方には最寄りの宿場町へと無事入ることが出来た。
その夜、また普段通り銭湯に向かい、酒場で夕食を取る。
久しぶりに食べる庶民の味はどことなく懐かしく、それはそれで美味しく感じられた。
翌日からも順調に旅は進み、10日後には王都手前の宿場町に到着する。
そこで私は、例の薬のことを思い出し、エリーたちに、
「すまんが、王都に少し用がある。その間この町で少し待っていてくれないか?なに、2、3日で戻る予定だからのんびり町の散策でもしていてくれ」
と告げると、翌日から一人で王都へと向かった。
(エリーにも早く王都の空気を吸わせてやりたいものだな…)
と思いつつ街道を馬車で進む。
そして、その日の夕方前には無事王都へと入った。
私は少し迷ったが、そのまま紹介された薬種問屋に向かう。
その店、東雲屋はすぐに見つかり、私はさっそくその店の入り口をくぐった。
「丁子屋の主に紹介されてきた、ルーカス・クルシュテットだ。遅くにすまんが、店主殿に会えるか?」
と手近にいた若い店員に声を掛ける。
するとその店員は、少し慌てた様子ながらも、一応丁寧に礼をして、
「かしこまりました。すぐに連れてまいりますので、少々お待ちください」
と言って奥へと下がっていった。
(おいおい。紹介状を渡してないぞ…)
と、その若い店員の焦り様に少し苦笑いを浮かべつつ待っていると、すぐに店主らしき人物が私のもとにやってきた。
「ようこそおいでくださいました。店主のギルバートでございます。本日は、紹介状をお持ちとか…」
という店主に、
「ああ。すまん。先ほど渡しそびれたが、これだ。丁子屋でもらった」
と言って紹介状を渡す。
すると店主はそれをうやうやしく受け取り、さっそく中身を読み始めた。
「なるほど…。そうでございましたか」
と言う店主に持って来た箱を渡す。
店主はその箱を見ると、
「一応中を見てもよろしいですか?」
と断った後、私がうなずくのを見て、おもむろに箱を開けた。
「なるほど。かしこまりました。すぐにご用意させていただきます」
と言って頭を下げ、店主が奥へと下がっていく。
私はその様子を見送り手近にあった待合用と思われるソファに腰掛けると、そこへ先ほどの若い店員がお茶を持ってきてくれた。
そのお茶を飲みつつ、店主の戻りを待つ。
するとしばらくして店主はやはり丁子屋と同じような革製の入れ物を持ってきて、
「どうぞお改めください」
と言ってきた。
簡単に中身を確認して、受け取りにサインをしてから店を出る。
店主はどこかほくほくとした顔をしていたし、私も満足のいく取引ができた。
私はそのことを思って、
(やはり商売はお互いが良くないといけないな)
と思いつつ、馬車を動かし適当な宿を探しに向かった。
幸い宿はすぐに見つかり、手早く旅装を解いて銭湯に向かう。
そして、風呂上りで少し火照った体を冬の風にさらしながら、適当な飲み屋を探して王都の路地をのんびりと歩いた。
やがて、一件の居酒屋を見つける。
外に出ていた看板を見ると、そこには「名物寄せ鍋」と書いてあった。
(お。いいな。今夜は鍋でもつつきつつ、焼酎でもひっかけるか)
と思ってその店に入る。
「一人だが構わんか?」
と言って案内された席に座ると、さっそく注文を取りに来た店員に、
「すまんが、表に書いてあった寄せ鍋というのは一人前でもできるだろうか?」
と聞いてみた。
「はい。大丈夫ですよ」
と、にこやかに言ってくれる店員にその寄せ鍋と早く出せるという漬物を頼んで麦焼酎のお湯割りを待つ。
すると先に酒と漬物が同時にやってきた。
酒をひと口やって、
「ふぅ…」
と息を吐く。
ふんわりとした麦の香りが鼻から抜け、程よい酒精が喉を軽やかに刺激していった。
(沁みるな…)
と、なんともおっさん臭いことを思いつつ、漬物をかじり焼酎を飲む。
私はそのいかにも一人酒という雰囲気を、
(たまにはこういうのもいいな…)
と思いつつ微笑みながら堪能させてもらった。
やがて、鍋がやってくる。
寄せ鍋というだけあって、具はつくねに豚肉、山盛りの冬野菜と腸詰まで入っていた。
七輪の上でぐつぐつと煮立つ鍋に時折具を入れながら、「はふはふ」と口に運ぶ。
熱々の鍋をつまみに焼酎のお湯割りを飲んでいるといつの間にか軽く汗ばむほど体が温まっているのに気が付いた。
「ふぅ…」
と息を吐いて、服の胸元を少しぱたぱたとする。
そして、私は再び「はふはふ」言いながら熱々の鍋をつつき始めた。
〆のうどんで腹を満たして店を出る。
かなりぽかぽかに温まった体には真冬の夜風もどこか心地よく感じられた。
夜でもそれなりに人が行きかう王都の路地をどこかふわふわとした足取りで歩く。
(いかん。少し飲み過ぎたか?)
とも思ったが、
(まぁ、いいさ。たまにはこういう日があっても)
と思って、私はそのふわふわした足取りを楽しむかのように微笑みながら宿を目指した。
やがて宿に戻り、そのままベッドに横になる。
しかし、
(おいおい。着替えくらいはしろよな…)
と自分に自分で軽く説教をして、そのまま寝てしまいそうな体をなんとか引き起こした。
そして身支度を整えて再びベッドに横になる。
そんな私の胸には、
(よかった…)
というひと言が浮かび、瞼の奥にはエリーを始めとするみんなの笑顔が思い浮かんだ。
(早く帰ってみんなにも嬉しい報告をしなければな…)
と思い微笑みながら瞳を閉じる。
そして、私は知らず知らずのうちに意識を手放し、幸せな夢の世界へと旅立っていった。