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第61話 街が変わる

 なんだよなんにも変わってないじゃん

 そんなはずない 

 言い返したかった



 駅前の噴水広場が整備されてバス停が移動した

 広々としていた駐車場は地下に移動して地上は歩行者優先の宇宙だ

 無造作に建ち並んでいた建物も統合されて至るところに看板がある

 空が見えにくくなったかな

 そう感じたけれど

 天気に左右されることなく行き交えるので

 日に日に商店街が賑わっていくのがわかる


 桜並木はそのままで春になると花吹雪が舞う

 ぼくは予備校をやめてから数日間ずっと図書館の自習室に通った

 もう会うこともないだろうと諦めていたが

 思いがけぬ場面で遭遇する

 まさにバッタリだった

 ひょっとして家が近いのかと思ったがそうではないらしい

 「この街に親戚がお店を出すの」

 予備校で常に上位成績者な彼女は成績最下位クラスのぼくにも優しく接してくれる


 頭ではわかるんだよ?

 成績がすべてじゃない

 点数じゃ計りきれない

 ひとそれぞれにいいところがある

 ひとそれぞれだからこそ

 何人かで一緒にいると面白くなる

 同じものを見ていても感じかたがちがうし

 同じものを食べているのに感想がバラバラ

 だから話していて楽しくて

 つい時間を忘れてしまう


 そういう時間がもったいないんだって

 わずかな時間でも有効活用しなくてはならないんだ

 切羽詰った日々が始まった

 もう時間がないんだって

 もう割り切らなければいけないよ

 それが受験まであと二年しかないという春の凍える日だった


 春期講習は復習がメインだという

 一年間かけて学んできたことのおおさらいだ

 講義では先生が積極的に生徒に質問を投げかける

 ピンポンのごとくリズミカルに答えるなかで

 ぼくは答えられなかった

 おそらくだけど

 答えられなかったことが問題なのではなく

 わからないなら学べばいい

 忘れたのなら思い出せるように工夫しよう

 先生は対策と工夫の天才だ

 いくらでも方法があることを最初に説明していたんだけど

 ぼくの態度が気にいらなかったらしい

 ぼくの顔がムカつくんだとさ

 ぼくの服装もカンにさわるとおっしゃった

 ぼくが持っていた親戚からおさがりのカバンが

 『なんで子供がそんな高級ブランド品なんか使ってるんだよ』

 徹底的で容赦なかった

 ほんの数秒間くらいの説教で済むはずが

 気づくとどれくらいになっただろう

 なにか様子がおかしいと思ったのか

 それとも

 ぼくが言い返す声の大きさが廊下まで響き渡ってしまったからなのか

 校長先生がドアをあけてはいってきたのを覚えている


 その日は

 それだけだった

 いや

 いろいろあるにはあったけれども

 それだけってことにできる一日だった


 覚えているよ

 それまで通っていた塾をやめてこの予備校に通うことになって

 春期講習の申し込みに父と来たときのこと

 事務所の受付窓口で

 「こんにちは、すみません」と父が呼びかけると

 奥のほうから女性の「はーい」という返事があって

 どんなひとが現れるのだろうと待ち構える

 隣の父が肩をドンとぼくにあてて

 「よし、おまえが手続きしてみろ」

 「え」

 「これを渡しなさい。それだけでわかるから」

 書類と封筒を渡される

 「お待たせしました」

 そう言って現れた女性は

 ぼくが知っている大人の女性たちとは少し雰囲気がちがっていて

 むしろ父と空気感がそっくりなんだけれど

 それはスーツにネクタイ姿だったからかもしれない

 窓口では上半身しか見えなかった

 「おねがいします」

 ぼくが書類と封筒を渡そうとすると

 「申し込みね?」と彼女が微笑む「春期講習かな」

 「はい」ぼくは返事をする

 「じゃあ先に書類だけいただくね。封筒はまだ持っててください」

 「はい」

 ぼくは封筒を持って隣の父を見あげる

 「ん」父がうなづく

 「うん」ぼくは自分が手にしている封筒をのぞきこんでみた

 「どうした。気になるのか」と父が問う

 「うん。ちゃんと、はいってるかなって」ぼくは封筒をのぞきこみながら答えた

 「ははっ、あたりまえだろ。ちゃんと、はいってるさ。なんなら見てごらん」

 父は「ん」と顎で『ほれ』と指示してから「おまえが通うための月謝だ」

 ぼくは封筒をパカリと丸くあけて指をいれてみる

 ごそり

 全部は出さない

 ちょっとだけ

 はじっこ

 先っちょだけ

 ぱらぱらぱらと数えるでもなく確かめるでもなく

 ただ紙と紙との間に空気を流し込むようにぱらぱらぱらっ 

 『すごい大金だ』

 ぼくは おののいた



 「はい。手続きが完了しました。これが在籍証だから授業の日は持ってきてね。

  テキストは一冊だけど資料があるの。はい、これ。

  もし時間に余裕があれば目を通しておいて。

  ぱらぱらっと見るだけでも予習になるよ。

  こちらが領収証。お父さんに渡してね。

  それでは春期講習でお待ちしております」

 受付の女性は事務さんだろうか先生だろうか

 小学校とも塾ともちがう雰囲気だった

 ぼくと父が立ち去るよりも先に奥のほうへ戻っていった

 そのとき全身が見えたのだけれど

 ワンピースでもスカートでもなく

 細身のシルエットなパンツだった

 靴は見えそうで見えなかったけど

 本当に父や伯父のようなスーツ姿で

 父や伯父よりも颯爽とした立ち居振る舞いだったのを覚えている



 「なあ、おとうさんはな、子供には教育こそが大事だと考えている」

 前にも聞いたよその話

 「それでな、いままでの塾よりここの予備校は月謝が高いんだよ。

  けれども評判がすごく良くて、

  学校のテストでいい点とれるようになりました

  いままでどんなに勉強してもわからなかったことが理解できました

  机に向かうのが楽しくなりました

  なんて声が寄せられるくらい人気も高くて

  このまえなんか新聞の広告にデカデカと載ってたんだぞ」

 父は楽しそうで上機嫌だ

 一緒にいるぼくも楽しくなる

 「うん」ぼくは、ひとこと、うなづいた

 「でな、まあ教育費は惜しまない…んだけど、他のことには節約というか。

  予備校に通うにあたってカバンや服を買ってあげたいんだけど、申し訳ない。

  あるのでがまんしてくれないか」

 がまんもなにも、あるものを使えばいい、それだけのことだろう

 「ちょうど姉が『余ってるのあるよ、よかったら使うか』って言ってくれてるんだ」

 「うん」おれは伯母の顔を思い出す

 やさしそうな笑顔のひとだ

 訪問するたびに和紙や便箋をくれる

 「いまから寄っていこうと思う」

 「うん」ぼくはとてもワクワクした

 伯母からはカバンの他にマフラーもいただいた

 「まだまだ冷え込むときがあるからね、首、冷やさないほうがいいよ」と

 「ちなつちゃんが使ってたやつだけど、まだきれいだからね?」



 春期講習の終わりに

 最初の先生が登壇して激励の言葉で講義を締める

 がんばれよ

 教室を出て行く生徒たちにエールをおくった

 するとなぜかぼくと目が合って

 「おまえか」と言ってくる

 え 

 なに

 「ったく最近のガキは身のほど知らずだな、少しはわきまえろよ。

  なんなんだそのマフラー、子供がするようなもんじゃないだろ。

  かしてみろ、もったいない」

 え

 なに

 これは伯母からいただいた大切な

 「くそなまいきにブランドかよ、こんなところにお金かけやがって。

  勉強だけしてればいいんだよ!」

 ぼくは引っ張られたマフラーを握りグイッと引っ張り戻した

 「なんだこら、先生に向かってその反抗的な態度は。

  ったく、いちばん最初のときもそんな目をしてたっけな、

  『なんで子供がそんな高級ブランド品なんか使ってるんだよ』

  って、親切に言ってやったのにわかんねえやつだな


 ぼくはふるえた

 無意識に叫んだ

 どろぼー


 なになになにごと なにごとだ

 見覚えのある展開で校長先生と

 あの日の受付の女性もやって来た

 ぼくからマフラーを奪い取ろうとした先生は

 こいつ反抗的で暴力ふるいましたよ

 と説明する

 ぼくは三人に舌打ちされて事務所へ通された

 電話を受けて父が現れたとき

 ぼくは問題児としてのうぶごえを高らかにあげていて

 父は

 落ち着きなさい

 いいから落ち着け

 すみません息子がこんな

 おいっ!

 ビンタとゲンコツを喰らって

 いつもなら涙こらえて黙るところだが


 ぼくは本当に反抗してしまった

 なにすんだよ

 おとうさんまで

 こいつらドロボーの一味かよ

 ぬすっとの肩を持つのかよ


 あまりにもかんだかい声で耳鳴りしそうになったと思う

 キンキンに響き渡る声が

 自分でも嫌いだった

 男らしい渋くて低めな声がいい

 男らしい落ち着いてスローなしゃべりの声がいい

 そう思っているのに

 ときどき映画俳優の台詞をまねして勉強しているのに

 どうしようもなくぼくの声は高かった


 ぼくは予備校をやめてから数日間ずっと図書館の自習室に通った

 もう会うこともないだろうと諦めていたが

 席が隣だった女の子と再会した

 「あのビルにお店を出すんだって。

  だからたまに来ると思う。またね」 

 まるで友だちみたいに手を


 街が変わる


 だから


 「そっか。じゃあな」

 おれも手をふった


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