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No.20 最終話『隣に座ってもいいですか』- 2



目的の場所に着いてからやることは決めている。

まずは出来るだけ目の前の景色を視界に入れないよう俯いて歩き、転ばない程度に両手でアイマスクをする。


傍から見れば不審者にしか見えない行動。

けど幸いこの場に人の気配はないから、指を差されることも笑われることもない。


一歩一歩踏みしめる地面が一面真っ白だったあの頃とは違う。

暖かい春の陽気に育てられた緑が、思い出の場所一面を覆い尽くしている。


あの頃は何色かわかりにくかったベンチも、今になっては丸わかりの茶色だ。

その木のベンチに腰掛けて、ゆっくりと新鮮な空気を吸い込む。


次にやることは、隠していた視界を明るくして真っ直ぐと目の前に広がる景色を眺めること……


そしてその時どう思うのか。どう感じるのか。

素直な自分の感情を受け止めて、少しずつでも前へ進みたい。


「……懐かしい」


意外にも出てきた言葉は明るかった。

胸の中で渦巻く感情や想いも、思いのほか嬉しくて温かい。


これはいけるんじゃないか、そう焦る気持ちを抑えることなく持ってきた鞄に手を伸ばす。

中から取り出した愛しくて仕方がない物を膝へ置き、バッと間髪入れずに中を開いた。


「……ッ」


もしかしたら…いけるんじゃないかと思った。

もしかしたら…もう大丈夫なんじゃないかと思った。


でもそれはまだ、早過ぎたんだ。


「ふッ、う゛……やっぱ、だめだ」


笑えていた頬に列を作って、顔からポタポタと流れ落ちていく。

顎を伝って落ちた涙は、思い出の詰まったアルバムに落ちてフィルムに弾かれていた。


「うッ……まだ、だめかぁ」


零れてきた涙を手で拭いながら、もう一度目の前に広がる景色を眺めてみる。


この風景を目の前にして、あの頃のことを思い出して、もういい加減笑えるようになっただろうと思っていた。


楽しかったと、幸せだったと、涙を流すことなく心から笑って……前を向けたと胸を張って言える時が来たんじゃないかと思っていた。


でもだめだった。まだ早かった。


どんなに明るい言葉が出てきても、どんなに笑って懐かしいと思えても、涙を流してしまったら意味がない。

ここに来るまでの間、同じことを2回も言ってきた2人への返事が嘘になる。


翼と過ごしたこの場所にいて、こんなにも幸せだと感じているはずなのに……

翼の写真を目の前にして、こんなにも嬉しいと感じているはずなのに……


どうして涙は、枯れてくれないんだろう。


「ううっ、ここで泣くのはアウトでしょう。悲しんでるのと一緒じゃんか……」


優衣に無理を言って今日じゃなく明日話すと言ってしまったのに、ここでこの景色を見て悲しくなってしまった。


自分がここまで成長したんだと、そう実感してから話したかった。

彼のことを好きな自分は、心から幸せなんだと胸を張って説明したかった。


そのためにはこの場所で翼を思い出しながら笑わないといけなかったのに……明日優衣に話すことが、明るいものじゃ無くなってしまった。


自分の中で膨らみだす寂しいという感情を抑えるため、左手でぐっと右腕を掴む。

右腕は求めるように翼の笑顔へと引き寄せられていって、彼へ触れるように写真を優しく撫でていた。


形のないものを、愛しく愛しく触れる動作。

確かに嬉しい幸せだと感じているはずなのに、悲しい涙が出てしまうのは何故なんだろう。


涙が出てしまうのは、前に進もうとするタイミングが早すぎただけなのか。

それとも、これから一生無くなることはないのか。


未だに答えははっきりと出てこない。

けれど、こんな壁にぶち当たるのはこれが初めてじゃないから、今やれることは経験上わかっている。


ゆっくりとだ。

ゆっくりと、自分の今の想いを受け入れながら、時間を過ぎるのを待つ。


変に足掻いても呼吸が苦しくなるだけだ。

自然に体が浮き上がるまで、目を見開いてゆっくりと前だけを見据える。


キラキラと輝く景色を目の前に、今は素直な感情だけを受け止めればいい。

そう思った刹那、また胸の辺りが楽になって苦しさが和らいでいった。


膝の上に広がる色んな翼の写真に、自然と笑いが込み上げてくる。

流れていた涙は量が減っていて、春の風に当たってほんの少し頬が冷たくなっていた。


両手で目を覆いながら涙を拭うように手を動かす。

視界が暗くなって新鮮な空気を吸い込んだ瞬間……




「隣に座ってもいいですか」




信じられないようなことが起こった。


一瞬、幻聴を聞いてしまったんだと思った。


でも今耳にした声は、紛れもなく愛しい君の声で、今耳にした言葉は、紛れもなく他人になってしまった君の言葉で…


私を追って声をかけてくれたあの時の台詞と、ほんの少ししか違わなかった。


そして私の肩も、あの時と同じように震えだす。

君の声が聞けたことを、君がここへ来てくれたことを喜ぶように、両肩の震えが止まらない。


あの頃とは違うんだと、心の中ではわかっているはずなのに体が反応してしまう。

またスウッと大きく息を吸い込んでから、冷静に頭の中で言葉を選んだ。

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