―――その頃、帝都では月ごとに今後の方針や各方面軍からの報告などを行う定例会議が開かれていた。
会議室にはすでに方面軍を任されている将軍が勢揃いしていたが皇帝が座るはずの玉座はまだ空席のままだった。
いつも時間通りに行われる定例会議に皇帝の姿がないことに将軍たちは何かあったのだろうかと疑問しお互いの顔を見合わせる。
一人が我慢しきれず、口を開いた。
「皇帝陛下はいかがされたのでしょうか?」
それに別の将軍が答えた。
「最近、お体の調子が悪いと聞いております。もしかすると今日は、お越しになられないのでは?」
「そうなると、最終決定権はどうする? 我々だけでは判断ができぬぞ?」
そんなことを話しているうちに会議室のドアが開らき、近衛兵がぞろぞろと入ってくると壁際に整列し始める。
宰相ピルムが扉をくぐり。一同を見渡したあと部屋の外を一瞥してから視線を戻し、声を張った。
「皇帝陛下の御出座しである!」
その声と共に将軍たちは慌てて立ち上がり、帝国式の敬礼をする。
皇帝が会議室の扉をよたよたとしながら入ってきた。
その隣には寄り添うようにして、手を引く女の姿があった。
その女の顔を見た瞬間、将軍たちの表情が変わる。
皇帝の隣にいることができるのは、皇后のみのはず。
しかし、明らかにその隣にいる女は皇后ではなかった。
白衣の軍服を身に纏う女だ。
皇帝の身体を支えるのは、西方方面軍の将軍シルビアだった。
そこに誰もが違和感を感じた。
本来、そこに立つべき地位ではないことに将軍たちは自分の目を疑ってしまった。
それと同時に一か月前に行われた定例会議の時にはしっかりとした足取りだったはずなのに今は一歩前に踏み出すことすらままならないほど衰弱しているように見えた。
皇帝の年齢は60歳を超えてはいる。
しかし、ここまで一気に衰えるほど老いてはいなかったはずだ。
皇帝はシルビアに補助されながらゆっくりと席に着く。
その横にはシルビアが控えた。
皇帝は虚ろな目で、周囲を見渡す。
まるで、悪魔に魂を抜かれてしまったかのような変わり果てた姿だ。
皇帝は何か言おうとしているのだが言葉にならない。
視線を横に控えるシルビアへと向け、壊れたように彼女の名前を呼ぶ。
「シルビア……シルビア……」
シルビアはその呼びかけに優しく微笑むとそっと耳元へ口を近づけて囁く。
「陛下、私は御身の前にいます」
そう言うと、シルビアは皇帝の手を取り、自らの胸に押し当てた。
皇帝は視線をゆっくりと向けて、また呼ぶ。
「シルビア……おぉシルビアよ……我が愛しのシルビアよ……」
「何かお話されたいのですか?」
その問いに皇帝は弱弱しくも頷く。
すると、シルビアは彼の隣で腰を折り、皇帝の口元に耳を寄せた。
皇帝は唇を動かし、何かを話し終えたと思うとシルビアは口端を吊り上げる。
将軍たちへと視線を向けた。
「皇帝陛下のお言葉を代弁する! 帝国軍の全指揮権をこの私シルビアに移譲する、と」
それに将軍たちは思わず、腰を浮かせた。
「な、なんと?!!」
「全指揮権を、ですか????」
「そのようにですね」
帝国軍のすべての指揮権の委譲など、前代未聞だった。
帝国が建国されて以来、そのようなことは一度も、成されなかったのだ。
将軍たちは目を見開き、慌てふためく。
「ありえぬ!!!」
「我々は全員、解任ということか?」
ジャラジャラと胸に着けている勲章が音を立てる。
「へ、陛下、ご乱心なされたか?!」
「皇帝陛下、お考え直しください。全ての指揮権を委譲するなどありえません!!」
シルビアの言葉を聞いた将軍たちが一斉に騒ぎ出す。
「騒々しい! 皇帝陛下の御前であるぞ!」
宰相ピルムの一喝で一瞬にして静まり返った。
そんな中でもシルビアは満足そうな笑みを浮かべている。
皇帝はその様子をただじっと見つめていた。
シルビアは控えていた近衛兵の一人に目で合図を出した。
すると近衛兵の一人が皇帝に深々と頭をさげたあと、用意されていた書類を差し出す。
その書類を皇帝は見下ろしたあと震えながらペンを持ち、書面に文字を走らせる。
その様子に将軍たちは息を飲む。
まさかと思いながらも、それが現実になろうとしていた。
皇帝は署名を終えるとそれをシルビアが手に取り、将軍たちに見やすいように掲げた。
そこには皇帝の名において、「シルビア」に全権限を移譲するという文章が書かれている。
そして、シルビアの名前の横には走り書きされた皇帝のサインがあった。
シルビアはそれを誇らしげに見つめると高々と宣言した。
「ここに、帝国全軍の指揮権を皇帝より賜りました」
「ふざけるな! なんという茶番か!!」
将軍たちの誰かが叫んだ。
だが、シルビアはそれを無視し、さらに続けた。
「皇帝陛下から全権を委任された今こそ、帝国の未来を切り開く時。諸君らは用いる全ての力を結集させ、抵抗する勢力を殲滅せよ」
シルビアはそういうと、手に持っていた書類を机の上に置く。
その行動の意味を悟った将軍たちは一斉に立ち上がり、シルビアに向かって叫ぶ。
「皇帝陛下、お気をお確かに!」
その叫ぶ声にも皇帝は反応を示さない。
ただ、虚空を見上げるだけだ。
それは明らかに何かをされたことを意味していた。
将軍たちはそれに気付き、怒りの声を上げる。
「貴様! 皇帝陛下に何をした!」
シルビアは妖艶な笑みを浮かべた。
その笑みは魔女のように醜悪なものに見える。
「私が皇帝陛下に? 何か証拠でも?」
「とぼけるつもりか!」
「私は皇帝陛下に勅命を賜った。その勅命に従うのは当然のことなのでは?」
「陛下は明らかにご病気だ! 明らかに意識が朦朧とされておる。そのような状態で正しいご判断ができるとは思えない。このような馬鹿げた命令など皇帝陛下が行うはずがない!」
「そう思うなら、確かめればよろしいのでは? 皇帝陛下に直接聞いてみればよいでしょう」
シルビアはそう言って、皇帝を見上げた。
皇帝は相変わらず、虚ろな表情をしている。
「シルビア……シルビア…………我が愛しいの……我が愛しのシルビア……」
皇帝はシルビアの名前をひたすら呼び続ける。
その様子に将軍たちは絶句した。
シルビアは皇帝の肩に手を添えた。
「皇帝陛下、どうかされましたか?」
口をパクパクとさせるも、そこに言葉などなかった。
しかし、シルビアは笑みを浮かべて言う。
「あぁ、そうですか。わかりました。すぐにそのようにいたします。近衛兵! この席にいる全ての者を不敬罪とし、帝国から追放せよとのお言葉だ。これまでの忠義に免じて、命までは取らぬ、とのことだ」
「なっ?! ふ、不敬罪だと???!」
「早くしろ! 皇帝陛下のご命令だぞ!」
シルビアが怒鳴ると近衛兵は慌てて、剣を抜き、槍を向けて将軍たちへ詰め寄る。
「気でも狂ったか!!」
「近衛兵隊長!! この魔女に従うのか!」
怒鳴られた近衛兵士の隊長は明らかに目が泳いでいた。
口籠る。
「へ、陛下の命令は絶対です……近衛兵としてその職務を全うする、それが我々の務めです」
近衛兵の言葉を聞き、シルビアは笑う。
「お前たちもすぐにわかる。皇帝陛下が正しかったと……」
そう言うとシルビアは面白可笑しくなり、笑い始めたのであった。
この日、各方面軍の将軍はすべて解任され、追放処分となった。
そして、帝国軍の全ての軍団の指揮権を得たシルビアは帝国軍の唯一の将軍として就任することになる。
こうして、帝国の指揮系統は一つにまとまり、膠着状態が続いていた戦線がシルビアの一声で、一気に押し上げられた。
迷いもなく、ただひたすらに、彼女は命令を出し続ける。
蹂躙せよ、と。
その言葉だけが命令書に書かれているだけだった。
♦♦♦♦♦
シルビアが将軍の執務室を出て、廊下を歩いていると一人の全身黒衣の老人が影の中から現れた。
怪しい雰囲気を醸し出す謎の老人がシルビアへ恭しく頭を下げる。
それに気がついたシルビアは横目で見た。
「あージルグか。どうだ、皇帝陛下のご容態は?」
「ククク。もう完全な操り人形よ」
「そうか。そうか。それは実に愉快なことだ」
シルビアは口端を吊り上げて笑みを浮かべ、その様子を見たジルグも同じようにニタリと笑う。
「それにしてもお前が作った精神を崩壊させる毒、実に素晴らしい効果だ」
シルビアは懐から小瓶を取り出す。
その中には赤い液体が入っていた。
「まだ試作段階だったが、うまく行ったようだわい」
「ああ。まさか、ここまで効果があるとは思わなかった。これはもっと研究が必要だが、いいものができた。感謝している」
「それはよかったな」
「ククク。ところでシルビア、お主は一体何を企んでいる? 帝国を陰で支配し世界を手中に収めるつもりか?」
「いいや。もっと面白いことをする」
それにジルグは興味深そうに目を細めた。
「神を殺し、この私が神となるのさ」
シルビアはそう宣言すると、高らかに笑ったのだった。
「神を殺すじゃと。一体どうやるつもりじゃ?」
それにシルビアは悪魔のように微笑み、白い歯を覗かせたのであった。
「神落としさ」