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第五十六章 おかえり、環名ちゃん。

☆第五十六章 おかえり、環名ちゃん。


 一階の事務所で作業をしていると、自分ひとりのパソコンのキーボード音と、マウスをカチカチする音だけが響く。


 寂しい。


 環名ちゃんが実家に帰って四日目。一人のオフィスはなんて寂しいのだろうか。


 そろそろお盆だから、自分も実家に帰る予定はしているし、

 麗奈も実家に一週間ほど帰るそうだ。


 一旦作業を止めて、コーヒーを入れる。環名ちゃんからメールが届いた。


『身体の調子はもう随分いいので、お盆が終わったら戻れると思います!』


 よかった。


 あの日、薮内さんはミニブーケを渡して帰っていった。環名ちゃんは感激のあまりそれから一時間ほど泣いていたが、「しまった、ブーケが枯れてしまう!」と言ってあわててコップに水を入れて、ひまわりを挿し込んでいた。


 あの時の環名ちゃんは恋する乙女ですごく可愛かった。


 コーヒーを口に含んでぼーっとしていると、またスマホがピロンと鳴った。


『悪いけれど、土曜日また星弥のことを預かってもらえないかな? 二、三時間ほど』


 麗奈だ。今晩、思い切って聞いてみるか。



 子どもたちを寝かしつけたあと、ドライヤーで髪を乾かしている麗奈に尋ねる。


「あのさ、土曜日ってデート?」


 すると、目を丸くした麗奈がしばらくわたしの顔を見て静止している。ドライヤーのスイッチを切った。


「わかってたんだ……」

「もしかして、あの例の看護師さん?」

「……うん」


 お風呂上がりだからか、いや、それとも、頬を赤らめた麗奈を見て、ここにも恋する乙女がいた。


「二、三時間なんて言わずに、一日ゆっくりしてきてよ」


 わたしがそう言うと、麗奈は申し訳なさそうに


「でも、なんかそんな理由で子どもを預かってとか、幻滅しちゃうよね?」

「幻滅? するわけないよ。麗奈には幸せになってほしい」


 わたしがそう言うと、麗奈は耳まで赤くなった。


「琴ちゃん、好き」

「えっ⁉️」


 突然の告白⁉️


「わたし、琴ちゃんと結婚したい」

「ええええ?」


 するとにこりと麗奈が笑った。


「ありがとう」


 ああ、そうか麗奈に相手が。なんか急にまた孤独感に襲われた。いや、何を言っているのだ、自分には杏という娘がいるではないか。よし、娘を溺愛しよう。


 謎の意気込みで、翌朝、保育園に送り出す杏を抱きしめて頬をすりすりしていたら


「まーま、あつい」と言われてしまった。溺愛はほどほどに。


 土曜日は快晴。もう暑い以外に言葉が出ない。天気予報では最高気温が三十八度に達するという、地獄のアナウンスをしている。家の中にいるのも少々退屈かなぁ。と思って久しぶりにスズキさんを誘ってみたら、旦那が帰ってきているとのことで無理だった。


 また孤独感に襲われる。いっそのことあき婆を呼ぼうか。


 そんなことを思っていたらインターホンが鳴った。


「はい」


 あれ、インターホンのモニターに何も映っていない……また怪しい人⁉️

と、思ったら、ぴょこっと姿を表したのは環名ちゃんだった。


「えっ、環名ちゃん⁉️」

「ただいまぁ!」


 顔色が随分よくなった気がする。


「もう帰ってきたの? 身体は大丈夫?」

「大丈夫ですよー。杏ちゃん、星弥くん久しぶり! あれ、麗奈は?」

「あ、ちょっと出掛けてる……」

「そっか。身体がなまってしまったからバリバリ働かなくちゃ!」

「そんな、バリバリ働いて大丈夫なの?」

「うーん、多分w」

「いや、悪いけれどしばらく時短勤務でお願いするよ」

「はあーい」


 環名ちゃんが帰ってきてくれて、嬉しい。もしかしたら、自分は寂しがりやなのかもしれない。この先、一人ぼっちになる覚悟なんていまはまだ考えなくていいのかな。覚悟は必要なのか。いつかは杏だって大人になって独立する。


 先のことは考えても仕方ない。いまは眼の前の可愛い子どもたちの相手をして、その姿を目に焼き付ける。


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