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第六十章 誰のためにやっているの、何のためにやっているの。

☆第六十章 誰のためにやっているの、何のためにやっているの。


 季節が巡り、秋が過ぎて三十四歳の誕生日を迎える。同じく一月、杏が二歳の誕生日を迎える。

季節は真冬。リビングにこたつを出してみた。


「あったかーい」

「こたつは、ブラックホールだね」

「ブラックホール? どういうこと、吸い込まれるっていうこと?」

「そうそう、無意識のうちに吸い込まれる」


 なんかよくわからないけれど、一度こたつに入ると立ち上がる気力をすべて奪われるような気がする。


「今日は環名ちゃんは?」

「それが、インフルエンザで休んでいて」

「一人暮らしなのに大丈夫かなぁ?」


 環名ちゃんが自分で作った履歴書を提出してくれたので、何気に住所は知っている。(一応、住所は書いてくれたんだよ)

一人暮らしで感染症になると、買い物一つ行けなくて苦労する。わたしも、そういうのを経験したことがある。


「そうだ、薮内さんに何かもっていってもらえないかな?」


 わたしがそう言うと、麗奈がため息をついた。


「琴ちゃんってほんとにお人好しだよね」

「え?」

「薮内さんは琴ちゃんが好きなんでしょう?」


 一回デートに誘われたきり、あれから何もないし、好きだと言われたことはない。


「別にわたしのことが好きだとか言われたことがないし……」

「琴ちゃん、ニブい? 彼がどうしてわたしたちの家の近くに引っ越してきたのかとか考えないの?」

「え、それは偶然じゃないの?」


「偶然ではないだろうね」


 あき婆が突然現れる。


「あき婆もそう思う」

「当然。あんたを追ってきたとしか思えないね」

「追ってきた……⁉️」

「例の小川さんが言っていたけれど、彼が越してきたアパートは最初満室だったんだけど、あそこがいいって、不動産屋に懇願したとか」


 面食いの小川さん……どうしてそんなことを知っているのだろう。


「ほら、あそこのアパートは地主の神埼さんが大家だから」

「あ、なるほど」


 確か、小川さん宅と神埼さん宅は隣同士だ。

 わたしが口に出していない疑問を簡単に読み取ってしまうあき婆はやっぱりエスパー。


「じゃあ、誰か退去したら連絡しますねってことで、前の人が引っ越したら速攻、入居したらしいよ」

「それって、やっぱりストーカー……」


 麗奈が険しい顔をする。


「ストーカーっていうのは相手を執拗に追いかけて、困らせるものだけど、いまのところ彼は、近くのアパートに住んでいるだけで何もアクションは起こしていないだろう」


 あき婆の言うとおりだ。


「でも、私だったらちょっと怖いかも。琴ちゃんはどう?」


 麗奈にそう質問されたが、なんとも言い難い。


「うーん……人がどこに引っ越そうが住もうが基本自由だから」

「それはそうやな」

「だけど、逆に何のアプローチもかけてこない方が怖いかも」


 ストーカー疑惑の時に、せっかく家の前に防犯カメラをつけたので、たまに映像の確認をするが怪しい人が映っているなどは確認できていない。


「何を考えているんやろな」

「あき婆でもわからないなら、わたしには多分わからない」

「連絡先は知っているんやろ?」


 そうだ、薮内さんの電話番号は、わたしのスマホに登録されている。


「お仕事って何されているのかなぁ?」


 麗奈が夕飯の食器を片付けながら言う。


「小川さんチェックかな。それか自治会長の森本さんに調査依頼するかい?」

「依頼って探偵じゃあるまいし」

「いっそのこと、こっちがストーキングしてみる?」


 麗奈の大胆な考案に皿を落としそうになった。


「えっ⁉️」

「あ、いやもし、琴ちゃんが気になるんだったらだけど」

「それはちょっと……」


 その時わたしの脳裏にある方法が浮かんだ。そうだ、デートに誘い返して、彼から色々聞き出してみよう。

 あれ、でもちょっと待って、そこまでやる必要ある⁉️ わたしの今の生活に彼は特に何の影響も与えていないのだから、強いて言うなら環名ちゃんが彼に惚れているというだけで、それだけで。


「考えていることは口に出して言うてみるもんや」


 あき婆に言われて、我に返る。


「あの、わたしがデートっていうか食事か何かお誘いして、仕事やっていますか? とかどうしてここに引っ越してきたのかとか直接聞いてみると……」


 そこまで言って、果たしてできるかな? って気がしてきた。この引っ込み思案な性格でウブなわたしに。


「お、積極的だねぇ」

「誘ったら気があるって勘違いされるかな?」

「まあ、何もやらなければ進展はなし、何かやれば進展はあるかもね」


 あき婆の言う進展とはいったい。


 その夜……たまには思い切ってみるかとスマホを手にとり、ああ、やっぱり余計な行動だ。とスマホを置く。を繰り返していた。


 ええい、前田琴、相変わらずの意気地なし! 電話くらいかけなさい! 通話ボタンを押す。心臓が破裂しそうだ。中学生の告白じゃあるまい。


 しかし、意を決して電話をかけたが彼はでなかった。急に意気消沈。


 ちょっと待って。これはいったい誰のためにやっているの、何のためにやっているの?

 環名ちゃんのため……? いや


「自分のため……」


 ぽつりと声が出た。



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