☆第六十七章 病人はここにもいました。
杏が退院して、平穏を取り戻したと思った矢先、薮内さんが出勤の日に来ないという事態が発生。どうしたのか、電話をすると、通話になった。
「あ、薮内さん、本日は……」
スマホの向こうからぜぇ、ぜぇという荒い息遣いが聞こえた。まさか……。
「どうされました!?」
「……熱が……」
まさか、薮内さんにマイコプラズマがうつった? いや、でも杏とは接触していない。
スマホを置いて環名ちゃんに声をかける。いても立ってもいられない様子の環名ちゃんが
「様子を見てきます」と言って、事務所から出ていった。
追いかけるべきか。いや、大人なんだから行くのは一人でいいだろう。
心がもやる。緊急事態なのにヤキモチやいている場合ではない。
五分後、環名ちゃんから電話がかかってくる。
「薮内さん、すごい熱です。体温計が家にないそうなので取りに帰ります」
二回目はわたしも同行すると、彼は布団を適当にかぶった状態で、部屋でぐったりしていた。
「三十九度」
「まさか肺炎」
「ううん……どうかな」
とりあえず、解熱剤を持ってきたはいいが、これは杏に処方されたお尻の穴にいれるタイプの坐薬だ。さすがにお尻にこれを勝手に入れることはできない。
「わたし、薬局行ってきますね」
杏の時もそうだったのだが、インフルエンザもコロナもマイコプラズマ肺炎も、発症してすぐに病院に行っても正確な検査結果が出ない。
結局、検査は一日経ってから、もしくは最低半日経たないと意味がない。
環名ちゃんが薬局に向かっている間、わたしは薮内家に一人になった。いや、正確には二人きり。
はじめて入った彼の家だが、本当に最低限の家電製品と、収納棚が一つ、ハンガーラックが一つあるだけで、これといった趣味のものは一切ない。
唯一部屋の隅に置かれている折りたたみテーブルの上には、保育関係のテキストが大量に載っていた。
とりあえず、失礼だけど冷蔵庫を開けさせてもらうが何もない。冷凍庫にも何もない。
「環名ちゃん、スポーツ飲料買ってきて。あと、うちから氷枕も持ってきて」
「わかりました」
我が家では、凍らないタイプの氷枕を使用している。あとは保冷剤を脇に挟むのもいい。と麗奈が言っていた。元看護師の麗奈は当然医学にもそれなりに詳しい。脇と鼠径部を冷やすのが一番効率がいいのだ。
「一人暮らしで放っておくのってよくないですよね」
帰ってきた環名ちゃんとどうするか話し合う。
「薮内さん、立ってほんの少し歩けますか? うちにきてください」
よろよろする彼をわたしと環名ちゃんでサイドから支えるが、身長が大きいのであまり役に立っていない気がする。
アパートは幸い一階なので、階段を降りずに済んだが、我が家はリビングが二階である。
仕方なく事務所に布団を敷いてみた。
「す、すみません……」
「いえ、午後の診察付き添うので、一緒に行きましょう」
彼の身体を触ってみて始めてわかったのだが、想像以上に細かった。
☆★☆★☆★
「ただの風邪ですね」
病院で検査を受けると、何の反応もでなかった。
「ありがとうございます……本当に」
「いいえ、でももし不安なら我が家で一泊してもらっても……」
一応、元看護師もいる。
「ありがとうございます。女性ばかりの家に泊めていただくのは……」
「星弥くんという立派な男子もいますが」
薮内さんが星弥くんの顔まで覚えているかどうかわからないが、苦笑いしていた。
「ありがとうございます……でもこれ以上お世話になれないので、自宅へ帰ります」
「そうですか」