☆第六十八章 ドメスティック・バイオレンス の疑い。
火曜日に高熱を出した薮内さんだったが、木曜日には既に元気になって出勤してきた。
「ありがとうございます。お陰様であっと言う間に元気になりました」
大したことがなくてよかった。再び作業を再開する。
秋が深まって、街路樹のイチョウが黄色い葉っぱを散らしている。
ある日のことだった。杏と一緒に公園に行くと、今まで見たことのない女の子とそのお母さんと思しき女性がいた。
今日は、麗奈は星弥くんと恐竜展示会に行くというので、一緒に行こうかと思ったが杏が
「きょうりゅういや」
と言ったので、公園へやって来た。珍しい二人きりだ。
ベンチに座っているお母さんは失礼かもしれないが、老けて見える。もしかしたらおばあちゃんかもしれない。
ママといっても、二十歳で子どもを産んだお母さんもいれば四十代で産む人もいるので、保育園の保護者の顔ぶれを見ても、母なのか父なのか、おばあちゃんなのか、おじいちゃんなのかわからない場合も多い。
十八歳で娘を産んで、その娘が十八で子どもを産めば、三十六歳のおばあちゃんだっていることになる。最短でいうなら三十二歳。
砂場で遊んでいる女の子は質素なベージュのTシャツとグレイの短パンを履いており、髪が少々乱れているのが気になったが、それ以上に、ベンチに座る女の人の顔にアザがあることがひっかかった。
「こんにちは」
コミュニケーションスキル弱めのわたしだが、最近麗奈の影響で、少しずつ人見知りはおさまってきている。麗奈だったら、どうするだろうか。絶対声をかける。
「こんにちは」
他愛もない話をする。いい天気ですね。お子さんおいくつですか? この公園ってよく来られるんですか?
「あ、最近引っ越してきたばかりで……」
「そうなんですね」
女の子は杏よりひとつ歳上の三歳で、
「お母さんのお名前は?」
あ、図々しい質問だったかな?
「あ、すみません。わたし前田といいます。前田琴です」
慌てて自己紹介をする。
「佐々
聞いていいのだろうか、顔のアザはどうしたんですか? って。その時だった。
うえええええええん、杏のすごい泣き声が聞こえた。わたしが佐々木さんに話しかけている間に杏がスコップで殴られたらしい。
「ああ、どうしましょう。ごめんなさい! ごめんなさい!」
慌ててかけよる波子さん。わたしは見逃さなかった。波子さんはふくらはぎにもアザがある。そしてなんとなくだが、波琉ちゃんのTシャツの裾からチラリと赤黒いものが見えた。
間違いないか。杏をなだめる。幸い、スコップでなぐったといってもプラスチック製だし、軽く叩いただけで怪我もなかった。
「ごめんなさい」
波子さんが突然泣き出した。
「だ、大丈夫です! 子ども同士のことですから」
どうしよう、どうしたらいい。麗奈にメッセージを送ることにした。
『公園にて虐待の疑いのある親子を発見しました。被害者がお母さんと娘』
すると秒の速さで返信が帰ってくる。
『どこの公園!? 通報します』
虐待ホットラインは確か、いちはやくという意味で189でつながるはずだ。
麗奈が通報して、どうなるのか。時刻は午前十一時前である。
杏はその波琉ちゃんを恐れたのか砂場から遠ざかって、ブランコの方へ向かうが、まだ二歳で一人では乗れないので、危ない。公園には小学生だろうか、大きなお兄ちゃんお姉ちゃんもいるし、ブランコに二人で乗って一生懸命こいでたりする。もし頭にゴツンと当たったら大変だ。
杏を抱っこして、「一緒に乗ろうか」とブランコに座り、膝の上に乗せた状態でゆらゆら
「ママ、もっと」
「え、わかった」
ぶーらぶーら、杏が落ちないように漕ぎながら、佐々木親子を観察する。
警察や消防に通報した場合は速攻、おまわりさんや、救急隊員が現れるものだが、虐待の通報はそこまで迅速に誰か来るなんてことはない。何町に住んでいるのかあわよくば電話番号まで聞き出せたなら最高なのだが、杏が波琉ちゃんを嫌ってしまったので、お母さんに近づくことはできない。
十二時前、佐々木親子は砂場道具を袋にまとめて帰っていってしまった。仕方なくわたしも杏と帰宅する。
お昼ごはんを食べながらも気になって仕方なくて、麗奈に電話をかけてみた。
「お家がわかりますか? とは尋ねられたけれどそれはわかりませんって答えたよ。公園の場所は伝えた。その付近に引っ越してきたってことだよね」
これだけの情報で果たして伝わるのであろうか。名前は伝えた。佐々木波子さんと波琉ちゃん。
「警察に通報するべきだったかな……」
「うーん、そうだね……。アザを目視で確認。しかも一箇所でないなら可能性は高いか……。ごめん、わたしの判断ミスだよ」
麗奈が謝る。
人様の心配ばかりしている自分はやはりお人好し……? いや、でも虐待、しかもお母さんの方までアザがあるなんて心配するに決まっているじゃないか。
一週間後、今度は麗奈と星弥くんと一緒に、四人でいつものようにてんとう虫公園に向かう。
日曜日の午前中で比較的低年齢の子たちが遊んでいる。が、佐々木さんはいなかった。
今日は先週と比べると雲が多くて、昼からは下り坂、夕方に雨が降るという予報なので来ないかもしれない。
来なかった。諦めて杏を説得して帰ろうとする。
「杏ちゃん、昼から雨が降ってくるから、帰ろう」
「えー。やだ」
二歳児お決まりのワード、やだが出た。
「お腹もすいたでしょう」
「やだ」
会話不成立、杏は砂場でおやまを作るのに夢中になっている。と、そこへ
「今日は公園やめよう」
「えー、やだ遊びたい」
この声は?
公園の入口に母親の服の裾をひっぱる波琉ちゃんがいた。
「波琉ちゃ……」
声をかけようと思って、やめた。だって、お父さんらしき人も一緒にいたからだ。
「波琉、わがままを言うな」
一見、何の変哲もないような四十歳前後と思しき男の人で、身長は低めだが、体格はいい。
「はい……」
しょんぼりして、頭を垂れる波琉ちゃん。あの通報のあとどうなったのか気になったので、杏の様子も確認しつつ、バレないように波琉ちゃん親子の様子を伺う。
去っていく方向は西の方だ。この公園から西の方角に住んでいるのか、尾行しようか。
そう思った矢先だった。交差点の向こう側からスーツを着た女性と男性のペアが親子に声をかける。
電信柱の影にかくれて、聞き耳をたてる。いやらしい。
「……の通報が……」
通報というワードだけ聞き取った。もしかしたら、虐待ホットラインのことか。通報した場合、誰が担当して親子の様子を観察するものなのか。電信柱の影に隠れながらネットで調べたら、恐らく市町村の役員、その他、地域包括支援センターの人が、様子を見に行く。とのことだった。つまり、眼の前のスーツの男女は市の職員だろうか。
「ざけんじゃねえ! それは間違いだ」
男の人が声を荒げている。
「そのアザは階段から落ちたんだよ!」
言い訳だろうか。男の人が職員に向かってキーキー何か言っている。しまった、杏の様子を見ていないと、一人で放っておくわけにいかない。
とりあえず、後退りしながら公園へ帰る。
その後、佐々木一家がどうなったのか気になって仕方ないが、一旦ひきあげよう。