☆第七十一章 心の整理はできましたか。
2DK 駅から徒歩十五分、築十七年のアパート、一階部分。の内覧をした。
思ったより日当たりがよくて、小さなキッチンとダイニング、あとは和室と洋室が一つずつある。わたしと杏の二人で暮らすならこれくらいの広さが妥当であろう。
家賃が五万三千円、その他、敷金礼金……お金が足りるだろうか。事務所はどうする? 今のまま一階を借りるのか? それとも事務所も空けるべきであろうか。
頭の中に次々と、出てきては消える。これからの不安と、寂しさと、しっかりしなきゃという気持ちと、麗奈のことですっかり飛んでしまっていた佐々木さん親子のこと。
家に帰って疲れて、横になったらいつの間にか眠ってしまっていた。
ピロンピロン……着信音?? 枕元に置いたスマホのディスプレイをぼんやり眺めると、薮内さんだった。
話していいのかな。もしかしたら、あの事務所は使えなくなるのかもしれない。と伝えた方がいいのか。
「あの、前田さん」
麗奈のことばかり考えていて、薮内さんの言葉が珍しく左から右へ通り抜け……。
「突然、電話で悪いのですが、あなたが好きです」
左から右へ通り抜け…………いや。ちょっと通り抜けなかった。何、いまなんて言われた?
「もしもし?」
わたしは硬直したまま、身動きがとれない。
「前田さん?」
へ、返事しなきゃ。突然すぎて、そう、突然すぎて言葉の意味を把握するのに約一分はかかった。
「ごめんなさい。まだ早かったですかね……前に、心の整理ができたらって言ったのは自分なのに」
心の整理は、また新しいことがあって、整理できていない。
「あ、あ、あの」
しどろもどろ、やっと声が出た。
「あの、わたしのいったいどこが……」
「全部です」
ハッキリと言われた。どうしよう、どうしよう嬉しいけれどどうしよう。環名ちゃんは? 麗奈は? 混乱した頭がぐるぐる。
「あの……ありがとうございます」
それ以上、なんて答えたらいい。
「前に一度言っていたのですが、デートってしてもらえないですか?」
そうだ、デートに誘われていた。わたし、どうするの?
「あの、って。あのばっかり言ってますね……」
わたしがそう言うと薮内さんが電話口でクスっと笑った。
「なんでも聞きますよ。正直に答えてください」
「気持ちは嬉しいのですが、心の整理が追いつかないのです」
なんで、そう言ってしまうの。デートしましょう。どこ行きましょうか? わたしもあなたが好きですって答えたらいいじゃん。環名ちゃんに気を遣わなくていいのに。
「そうですか……。わかりました、突然驚かせてしまって申し訳ないです」
「いえ……」
訂正しろ。ほんとうはデートしたいんでしょ? 薮内さんのこと好きなんでしょう?
あああああああああ、
電話が切れた。
なんて弱虫で、なんて優柔不断で、こんな自分は大嫌いだ。