☆第七十六章 ユニット名は sprinting―M―
わたしたちの作成している、sametubeの動画キャラクター七名のユニット名は
『sprinting―M―』 日本語訳するなら疾走するM ということで、Mはもちろんダブル琴弾きのミライとミハルを指す。
次々と作曲を繰り返す、優秀な部下ならぬ友人の島崎環名は、琴の弾き方なんてまるで知らなかったはずなのに、いつの間にかわたしより上手なのではないかと思うくらいの弾き手になっており、リビングで十七弦箏の弦を弾いて曲を演奏していることもある。
疾走というネーミングどおり、曲の最初は琴からスタートするなんてケースも多いけれど、テンポは非常に速い。音楽に詳しい人ならわかる、Allegro という文字が楽譜に記されている。
環名ちゃんは必ず、一度紙に楽譜を書く。もちろん七人分あるので、七枚の楽譜を作成するのだ。
そこだけはアナログで、鉛筆を使用して、何度も音符を書いては消し、また書いて、曲を作成していく。作曲家としてやっていけるんじゃないか。と思えるほど魅力的な音楽を創り出す彼女は努力を惜しまない。
わたしは、薮内さんと結ばれてしまった。裸で抱き合ったことを思い出すと、思わず顔が熱くなってしまう。
環名ちゃんにはまだそのことを言っていない。そもそも、薮内さんと付き合っているのかどうか。「付き合いましょう」とかそういったことは言っていない。
一度きりの関係? いや、まさか……。相思相愛ならばお付き合いをしている恋人同士でいいのではないか。
うだうだしていると
「できた!」と環名ちゃんが叫んだ。
「新曲できたよ!」
「ほんと早いねぇ……感心します。いや、敬服いたします」
わたしがそう言うとケラケラと彼女が笑う。彼女の笑顔を見て、彼女の好きな人を奪ってしまったという事実に胸が傷んだ。
新曲は、
ミライとミハルのM女子二人が、キャラクターとしてそれなりに人気なのはもちろん、細マッチョであご髭が特徴的なライも人気がある。粋な外見で陽気な蛇味線を弾く。
どのキャラが人気があるのかないのか、視聴者にどう思われているのかはコメント欄を見たらだいたい把握できる。
リアナはガラス細工でできたような透明で透き通っているキャラクターだ。
今回の曲は、悲しみに満ちた楽曲。胡弓の短調メロディーからスタートするが中盤は、ドラムと蛇味線の激しいリズム。そして最後はまた胡弓のソロで終わる。
映画のバックミュージックで流れそうな壮大な曲だ。
「環名ちゃん、プロの作曲家は目指さないの?」
わたしがそう尋ねると、彼女は驚いた顔をする。
「えっ、プロ??」
「それだけの素質があったらプロ目指せるんじゃないの?」
いま、視聴回数はおおよそ八十万回で、そこでストップしていて、それ以上は伸びていない。百万を目指したいが、百万は完全に人気サムチューバーである。
「視聴回数が百万超えてないのに、無理ですよぉ」
「じゃあ百万超えたら、プロ目指すの?」
「ええっ……。そうですねぇ……」
自分で言って、ふと思ったが、環名ちゃんがいるからこそ、この動画プロジェクトは成り立っているのであって、彼女がプロになって独立してしまうとわたし一人では到底無理なのではないか。いや、そのマイナス思考がだめなんだよ。
「わたしも作曲してみたい」
前からそれは思っていたが、到底無理というマイナス思考に何度かき消されたか。
「あ、是非是非!」
言ってはみたけどできるだろうか。琴の音色を考えるのが精一杯の現状……、七人の音楽を合わせるなんて未知数すぎる。まぁものは試しだ。とにかくやってみよう。
蛇味線……弾いたことない。
ドラム……叩いたことない。
ベース……弾いたことない。
DJ……もはや何しているのかわからない。
胡弓……弾けるもんなら弾いてみたい。
いっそのこと生楽器を集めてみたい。とフリマアプリで検索すると、蛇味線はなんと800円から売っている。これなら買える。
ええい、何点かあるけれどどれがいいのかなんてわからないから適当にポチる。SOLD OUT。
続いてドラム・セットを検索すると、さすがにリッチプライス。というか普通のドラムなんてなかなか売っていない。家にも置けるような電子ドラムなら売っているが、さすがに場所を取るし、シンバルの音とかうるさすぎるか。保留。
続いてベース。検索すると出るわ出るわ。安くて一万円、高いのはほにゃららら……。
胡弓も検索してみるが、とりあえず、今回は蛇味線のみの購入にしてみた。
動画サイトには、様々な楽器の弾き方の動画がアップされているので閲覧してみる。
胡弓に関しては素人が弾いてみようと思って、弾けるもんじゃないであろう。その点、まだ蛇味線の方が、庶民的なイメージがあるけれど、それは沖縄県民でない自分の勝手なイメージであろうか。
沖縄出身の友人とかいない。例えいたとしても沖縄の人が全員蛇味線を弾けるワケではない。そう言って、あれ無理、これ無理と自分の中で線引きをしてしまうと何も始まらない。
こういう時は思い切りが必要だ。
失敗してもいい、下手でもいい。とにかく作成してみて、悪かったらボツにすればいい。
わたしは、パソコン上ではあるが、楽譜を打ち込んでいく。
五日後、沖縄から蛇味線が届いた。
緊張しながら弦を弾いてみるが、べんっ、と変な音がしただけであった。
楽器を甘く見てはならない。簡単そうに見える楽器でも鍛錬しなければ弾けない。
一つの楽曲作成にあまり時間を費やしている場合でもない。あと一週間でなんとか一曲仕上げてみる、と自分で勝手に目標を定める。
とか思っていたら、翌日土曜日、薮内さんに呼ばれた。
『家に来れますか?』というメッセージ。
仕事は休みだ。家といえば、この間のことが何回も頭の中でループするじゃないか。
何と返事するのがよいのか……、『何の用ですか?』じゃ冷たすぎる?
『行けます』……シンプル。
『いま行くわダーリン♡』……ふざけるな。
『はい、行けます』とシンプルな返事をして、とりあえず、鏡で自分の顔を確認してから家を出て、斜め向かいのアパートへ向かう。が、土曜日で杏が保育園休みなので一緒に連れていく。
「こんにちは」
杏と一緒に登場したわたしに少し驚いた様子の薮内さん。
「あ、連れてきたらまずかったですか?」
せめてメッセージで、娘が一緒ですと伝えるべきだったか。
「あ、全然まずくないです」
薮内さんが紅茶を入れてくれた。
「前田さんはコーヒーより紅茶派ですか?」
「ええと、どちらも好きですね」
「僕は元々コーヒー好きだったのに、あなたに紅茶をもらってから、紅茶派になりました」
わたしは思わず吹き出してしまった。
「お、面白いですか?」
「いや……あの紅茶にそんな威力があったとは……」
たしか本当に普通の自動販売機で購入した百四十円のミルクティーである。もしかしたらほんの少しだけ媚薬が入っていたのかもしれない。
「杏ちゃんの飲み物がお茶しかなくて」
「あ、お構いなく」
わたしは持ってきたカバンの中から幼児用りんごジュースのパックを取り出した。
杏は、初めてくる部屋に興味津々でキョロキョロしている。
「あの……」
「はい?」
「もしかしてお門違いだった……?」
男の人との会話に慣れていないわたしは、中途半端な聞き方をした。
「えっ?」
「あの、いや……その。娘を連れてきてしまったのですが、その……」
顔がだんだん熱くなる。
「前みたいな……のが……」
ああ、何言っているんだわたし。これじゃ要求しているみたいじゃないか。するとわたしの心を読んだのか、薮内さんがフッと笑う。
「ああ、大丈夫ですよ。そりゃ、前みたいなのも嬉しいですけれど、杏ちゃんは大切な娘さんですもんね」
真意が読めない。なぜ呼んだ? 恋人として、隣人として? って聞けないわたし。
また心を読まれたのか、薮内さんが耳打ちしてくる。
「今度、二人きりの時にまた」
ドキドキするではないか。ああ、もう三十五歳。あ、違うギリギリ三十四歳。ああ、ついに三十代も半ばか……。
精神年齢が高校生くらいの時からちっとも成長していないわたしは、何を話していいのかわからず、杏の日頃の行いや、あき婆の話などをする。薮内さんは何を話してもニコニコと聞いてくれている。
さりげない土曜日の午後、ちょっとだけ物足りないような、幸せなような不思議な時間が過ぎていく。