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第七十九章 どうして保育士を目指しているの?

☆第七十九章 どうして保育士を目指しているの?


「どうして、保育士になりたいって思ったんですか?」

「あ、敬語じゃなくていいですよ」

「ごめんなさい」

「ほら、敬語」

「ごめん」


 目尻がくしゃっとなる彼の特徴的な笑い方。

「僕の母親は保育士だったそうです。とはいっても前も言ったけれど母親の記憶は全くないんですけどね。あと……」

 彼の表情が少しだけ暗くなった。


「事故に遭ったとき、母のお腹の中に僕の妹がいたそうです。本当は亡くなったのは三人で僕は妹も亡くしているのですよ」


 敬語じゃなくていいと言った彼が思い切り敬語で話しているではないか。

「そうだったんだ……」

「シンプルに子どもが可愛いなって思うのもありますけどね。まぁ、僕の人生で子どもと密に触れ合う機会はなかったけれど、公園ではしゃいでいる子どもの姿を見ているのとか好きで」


 彼は窓の向こうのどこか遠くを見ている。


「本当は高校卒業と共に、保育士として働きたいって気持ちがあったんだけれど、僕は施設育ちで、大学には行けないから、保育士なら短大とかでもよかったんだけど、奨学金を借りてもちゃんと返済できるか不安だったし」

「お母さんは……」

「え?」

「薮内さんのお母さんはどんな人だったのかなぁって……」


 彼とそっくりだったのだろうか。身長は高かったのだろうか。


「母は写真でしか見たことないですが」


 そう言って、彼は着ていたシャツの内ポケットから写真を一枚取り出した。


「肌見はなさず持っているんです」


 その写真は色褪せていたが、かわいい顔の薮内さんそっくりの若い女の人と髭を生やした男の人、そして二歳くらいの小さい彼が写っていた。


「かわいいお母さん」

「母はとてもいい人だったと聞きました。父はどちらかというと短気で乱暴で母の妊娠中もお構いなしにタバコを隣で吸っていたそうで」


 男の人は薮内さんとは似ても似つかない、強面だった。完全に母親似だ。


「正直、今でも不安です」

「不安?」

「ええ、保育士はお給料が安いですからね。男一人、その収入で食べていけるのか。もっと違う仕事を選んだ方がよかったのかと今でも思うときがありますが、自分のやりたいことを捻じ曲げるのはなんか違うと思ったので」

「……似合うと思います」

「似合う?」

「うん、薮内さんがエプロンをつけて子どもたちと戯れている姿を想像したらなんか微笑ましい」

「実技試験が秋なので、受かりたいです」

「受かってほしいです」


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