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第九十七章、 第九十八章 顧問にまいりまーす!

☆第九十七章 プロ、プロ、プロ…………。


 少し時期が過ぎてしまったが、藪内さんの実技試験の結果は…………。


 合格だった。


 麗奈の出産の二日前で、なんだかんだと忙しくてちゃんとお祝いができてなかった。


「お祝いしよ!」


 そう提案するが、藪内さんは頑なに


「ただ、合格しただけで、そんなのいいよ」と断る。


「合格っておめでたいことじゃないの?」

「それはもちろん嬉しいけど」


 ああ、そうか。麗奈は出産直前だろうし、あき婆もいない。いつものパーティーメンバーがいなくなってしまったんだ。


「あ、じゃ、じゃあ」

「ん?」

「二人でお祝いしたいな」


 藪内さんの瞳は少し色素が薄くて茶褐色だ。ビー玉のような丸い瞳に吸い込まれそうになる。

「……杏ちゃんって預けられる?」


 リアルな現実。いつもあき婆に杏の面倒をみてもらっていたし、麗奈は頼める状態ではない。誰に頼む……?


「預け先考えてみるね」


 そうは言ったものの、どこに預けたらいいのか。平日一日くらい作業を休みにしてもいいが、環名ちゃんがいる。ああ、でも今の環名ちゃんなら素直に「いいですよ」って言ってくれるだろうか。


「いいですよ」


 即答すぎてビックリしてしまう。


「琴さん遠慮しすぎですよ。藪内さんとデートとか全然できていないじゃないんですか? いつでも行ってきていいですよ」


 そんなワケで、平日の火曜日に二人でちょっといいレストランに行くことにした。


 当日、天気は快晴で十一月の末とは思えないほど暖かい。

 久しぶりにちゃんとしたスカートとセーターを着て外に出た。藪内さんは相変わらずいつもの格好。

「いい服を持っていないからなぁ……」


 いつものように笑うと目尻がくしゃっとなる。久しぶりのデート、手を繋いで歩く。


 この頃、わたしは考えていることがあった。

 今の家は、麗奈の親が管理している家に住まわせてもらっているし、事務所としても使わせて頂いている。ありがたい話だが、やはり杏と二人で住むには大きすぎる。


 一方、藪内さんは相変わらず、我が家の斜め前のアパートに住んでいる。

 日曜日は一緒に過ごすようにはなったが、単純に藪内さんと一緒に暮らした方が彼の家賃が浮くのでは。と思っていた。


① 結婚して一緒に住む

② 結婚しないで一緒に住む


 どちらにしても、今の借家をお借りし続けるのは申し訳ない。いっそのこと引っ越そうかな。と思いながらも、みんなで過ごした思い出の家を離れるのは寂しいという気持ちもある。


 麗奈も麗奈の親も①と②どちらを選んだところで、住んでいていいよー♪って言ってくれるだろうが、甘え続けていていいのだろうか。


 一緒に住む。同棲、いや……やっぱり結婚?


 麗奈と行登さんはできちゃった婚になったけれど、わたしたちの場合はどうするのか。

 その時、ふと頭に思いついた。『逆プロポーズ』


 ああ、そうか別にプロポーズって男の人からしなくてもいいんだよな。女からするってのも十分にアリ!


 というのも、今日来たレストランがまるでプロポーズするのにふさわしいような場所だったからだ。フルコースで前菜から何から色々でてくる。


 なんだろう、勢いにのって言ってみようか。やってみようか。


「どうしたの? 今日は無口で」


 敬語じゃなくなったが、藪内さんは何かにおいて控えめだ。ええい、生涯一緒にいたいと思うのならば、結婚するのがいいんじゃないか?


 最後のデザートが運ばれてきた。


「あの……お話があります」

「うん……」

「あの……」


 男の人ならこういう時にエンゲージリングを出したりするのかな。わたしは何も持っていない。


「あの………………結婚しませんか?」


 勇気を振り絞って声を出したが、声が小さすぎて聞こえただろうか。怖くて藪内さんの表情を見ることができない。


 店ではジャズ風の音楽が微かに流れている。沈黙……答えは。

 わたしはチラリと藪内さんの方を一瞥する。顔が笑っていない。


「嬉しいよ。ありがとう。……でも僕はまだ半人前で、まともな職にもついていない。だから……」


 だから……


「今は無理です」


 地獄に落とされたような気分がした。いや、今はってことは今後は……? 完全に拒否されたワケではない。そして急に恥ずかしくなった。何の前準備もなしにいきなりプロポーズなんてどうかしている。


「琴さ……」


 気づくと涙が頬を伝っていた。


「あ、琴さん、ごめんなさい。違うんです、違うんです」


 慌てる藪内さん。


「……店をでましょうか」


 店を出て歩く。藪内さんが泣いているわたしの手をひいてくれる。

ゆっくりゆっくり歩く。街中だからどこも人が多い。平日だからサラリーマン風の人もたくさんいる。


「とりあえず、ここに入りましょうか」


 カラオケ店だった。滲んだ視界のまま個室に入るとぎゅうううと抱きしめられた。


「ありがとう。本当に嬉しいんだよ嘘じゃない」


 わたしも彼をぎゅうううと抱きしめる。


「今はまだ、あまりに未熟で……。この歳になって正社員で一度も働いたことのないような男です。今のままでは、はいわかりましたとは答えられません。一人前になったら……僕の方から言わせてください」


 身体中を満たしていく不思議な気持ち。ああ、わたし、ここにいていいんだ。これからも藪内さんの側にいていいんだ。


 狭いカラオケルームの中できつく抱きしめあった。


☆第九十八章 顧問にまいりまーす!


 萌奈ちゃんからメッセージが入った。

『隊員できます―――――――♥』


 いや、待て、隊員じゃないだろう、退院だろう、嬉しさのあまり誤字がひどい。

 十二月の半ば、かなり気温が下がっていた頃だ。


『間違えました退院です てへ』


 かわいい。


『顧問の件考えてくれました?』


 また顧問の件か。確かに、この間観覧した演奏会ではちょっと物申したいことがたくさんあった。一般人が学校の部活の顧問にそんな気軽になれるものなのか?


『萌奈ちゃん、学校の電話番号教えて』


 思い切って学校へ電話をしてみた。お宅の学校の一年生、古賀萌奈より箏曲部の顧問に来てほしいと懇願されております。と説明してみたら、あ、どうぞどうぞ。ってそんな軽いものでいいのか⁉️


 どうやらボランティアという形で関わることになるらしい。顧問というより、定期的に来てくれる指導員さんみたいな感じ。


 萌奈ちゃんが退院して学校に復帰して、3日後にわたしは中学校を訪れた。というのも、もうすぐ冬休みに入ってしまう。その日は事情を説明して仕事を二時で切り上げた。


 馴染のない学校なのでちょっとドキドキする。


 校舎の端に、ちゃんとした和室の部屋があった。


 琴には色んな種類があるが、十三絃(げん)、つまり弦が十三本あるのが基本だ。


 私が持っているのは十七弦箏、つまり弦の数が十七本ある。


 「お待ちしていました!」


 制服姿の萌奈ちゃんを見るのは初めてだが、髪の毛を隠している帽子なんてぜんっぜん気にしていないらしい明るい表情だ。他のメンバーも前に演奏会で見たことがある。


「本日はお越しいただきありがとうございます。私は部長の桜井と申します」


 清楚な感じの女の子がお辞儀をする。箏曲部ということもあって、派手な子はいない。


「あの……sprinting―M―の琴のパートを弾いていらっしゃるって本当ですか⁉️」


 部長の目がキラキラしている。


「えっ、あれって生演奏なんですか⁉️」「うそー!」


 みんなが喰い付いてくる。まずそのユニット名を知って頂いているだけでも光栄だ。


「みんな知ってくれているの⁉️ ありがとう……。あの、琴は生演奏を録音しているんだけど他の楽器はみんなパソコンで編集しているの」


「曲、大好きです! かっこいい!」


 環名ちゃんを連れてくるべきだったろうか。大喜びするに違いない。


「この間の文化センターの演奏、見に来てもらったんだよ!」


 萌奈ちゃんがそう言うと、部員の子たちが顔を赤らめる。


「恥ずかしいです。ヘタでしょう?」


 えーと、なんと答えたらいい。こういう時は


「ディズニーの選曲はよかったよ! 和だけど洋の曲を演奏するのは斬新だし、誰でも知っている曲の方が聞いている人も嬉しいよね!」


 なんかお門違いなことを言っているかもしれない。


「えっと、まずは基本のさくらさくらをよかったら聞かせてもらえるかな?」


 全員が琴の前で正座をする。部長の「せーの」の掛け声で、演奏が始まる。


 部長は上手だと思う。しかし他の部員はバラバラ。琴の演奏はオーケストラとかと違って、指揮者がいない。なので、多人数で合わせる場合は、全員の息を合わせないとテンポがどんどんずれてしまう。


「あ、ストップ」


 演奏を止めて、部長一人で弾いてもらう。上手だ。上手い人は琴の音が響く。


「皆さん、部長の音をよく聞いて、合わせてください」


 これはなかなか前途多難であろう。


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