☆第百十三章 それぞれの新しい生活。
5月下旬に環名ちゃんは引っ越して、前澤さんと一緒に新築一戸建てに入居した。
わたしがサムチューバーの仕事を辞めると環名ちゃんに切り出したときも彼女はケロっとしていた。
「わかりました」
と、それだけ。
「あ、Sprinting-Mはわたしが一人で受け継ぎます」
それぞれの人生が方向は違えど、動き始めている。
そんな新緑の美しい季節、藪内さんに突然尋ねられた。
「いつ挙式したい?」
ああ、そうか婚約しているんだった。もう一緒に暮らしているからすっかり家族のようになってしまっていた。
「秋とか……」
ぼんやりしか答えられなかったし、しかも式を挙げる予定は頭になかった。結婚すると言っても籍を入れるだけだとばかり思っていた。
「式を挙げるとしたら、どうしたいとか、要望はある?」
わたしは藪内さんをまじまじと見た。
「あ、ごめん! 式を挙げること前提で話してしまった。そんなお金ないのにね」
わたしは自分の貯金額を頭に思い浮かべる。確かに環名ちゃんのような式は無理だと思う。
「すみません早まってしまった。忘れてくださ……」
わたしは藪内さんの服を引っ張る。
「忘れたくない。式はあとで挙げるでもいいから」
「うん」
「籍を入れませんか?」
また唐突に出た言葉に自分でも驚く。
「えっと、それは」
「今日とか」
「きょ、今日???」
藪内さんはくすっと笑った。
「二人とも似た者同士かもしれないですね」
「え、せっかちなのかな」
「わかった」
藪内さんの顔が近い。優しく微笑んだ彼の頬を指でなぞる。
その日の夜、杏と一緒に区役所に行って婚姻届をもらった。
実際にはその日じゃなくて保証人うんぬんで一週間後に提出したが、とにかく、二人は籍を入れた。
その際、藪内琴になるか前田洸稀になるかでさんざん悩んだ。そして、まさかの前田洸稀になることにした。
その方が、杏も前田姓のままでいられるし。
前田琴は、バツイチから既婚者になりました。