「ごめんね王栄。またすぐ来てもらっちゃって」
「気にすんなって。今日は配達も仕入れもないし、どうせ暇だったからな」
後宮での園遊会を無事終えた私のもとに、皇帝陛下からの一通の文が届けられたのは、昨夜のこと。
曰く、後宮の不審者について、しばらく後宮内に寝泊まりをして調査してほしいのだとか。
まぁたしかに、不審者は私の訪れを待ってくれるわけではないのだから、妥当といえば妥当な案なのだろう。
景天様にも許可を得て、身一つで行こうとした私を止めたのは、その許可をした本人だった。
後宮に身一つで乗り込むなという景天様のご意見の元、必要な衣類や化粧品をそろえるため、急遽王栄を呼び出したところだ。
「にしても、後宮で世話役としてしばらく住み込むだなんて、スゲーじゃん」
「スゲーのかな……。気疲れしそうな気しかしない」
何より永寿様もいない今、私まで景天様のおそばを離れるのはすこしばかり気になってしまう。
私自身としても、景天様のお屋敷に慣れてしまったし、景天様と過ごすのが当たり前になっていたから、妙な不安があるのが少しばかり厄介だ。
これが刷り込みというやつか……。
「そういえば、明日なら俺とも後宮で会えるぞ」
「は? え、王栄、まさか宦が──」
「ちげぇわ!! あるわ!! 立派なのが!!」
知らんがな……。
「……あるなら何でよ。まさか忍び込むんじゃないでしょうね!? 不審者二号!?」
まさかの不審者は一人ではなかった説が浮上してしまった。しかもそれが幼馴染だなんて……。
これはどうするべきか……。
私が真剣に悩み始めると、王栄が呆れたようにため息をついた。
「お前……なんでそうなるんだよ……」
「え、違うの?」
「違う。まったく……。感が悪いんだな、お前。後宮に注文された品物を届けに行ってるんだ。事前に妃嬪の方々から注文を受けて、届け日までにそれらを揃えて一気に卸に行く。さすがに度々後宮に入るわけにはいかねぇからさ。月に二度だけ、な」
「なるほど……」
後宮は基本女の園であり、皇帝の家族以外は皇帝の許可なしに入宮は禁止されている。
警備などを担当する宦官以外で男が入ることのない場所だ。
そう度々商人が入るなんて、できるはずがない。
「まぁ、後宮に入るっつっても、俺が入れるのは尚宮局までで、そこで手続きをして荷物の確認がされるんだ。で、問題が無ければ各妃嬪の御殿へ届けられる」
尚宮局──。
後宮の人事や経理、書類の管理など双務的な仕事を担当する部署で、後宮の物の入出は全てここで管理される。
後宮でも地位の高い職場だ。
私も入宮の際はここでまず手続きを市、陛下から賜った入宮詔書を見せてから妃嬪達への目通りを果たす。
「なるほど。それで明日、尚宮局に行けば王栄に会えるのね」
「そういうこと。寂しかったらおいで。相手してやるから」
「上から目線ね……」
それでもやはり、幼馴染がいるというのは幾分か心強い。
「正午辺りに行く予定だから」
「ん、わかった、そのぐらいに尚宮局に行ってみるよ」
そう言って笑った、その時だった。
「ごほんっ」
わざとらしい咳払いが広間に響いた。
「進んでいるか?」
「景天様」
現れて景天様に視線を向けると、その顔には深い眉間の皺が備わっていて、何やらものすごく不機嫌そうだ。
一体どうしたのだろうか、景天様は。
「景天様、うちの商店をご贔屓にしてくださってありがとうございます!! とりあえず異類一式、化粧道具、筆記類をそろえさせていただいてます!!」
「うむ。すまないな王栄、突然」
「いえ!! 幼馴染の為っすから!! じゃ蘭、くれぐれも後宮ではやんちゃすんなよ!!」
「しないわよ!!」
何だそのまるで私がいつもやんちゃしているかのような物言いは。解せぬ。
「ははっ!! では景天様。俺はこれにて。請求書は女官に渡してますんで」
「あぁ。後で遣いに持って行かせる」
「はいっす!! では!!」
そうして王栄は
「……」
「…・・」
え、何だ、この空気は。
一気に部屋の温度が下がっていくかのような感覚に、私は身震いしてから景天様を見上げた。
「あの、景て──」
「ずいぶん楽しそうだったな」
「は──?」
私の言葉を遮って繰り出されたその棘に、思わず目を剥いた。
こちらに向かない視線は、遠く窓の外を見つめている。
視線の先には、門内に留めていた馬車に葛篭を積み込む王栄の姿。
「王栄と会うのか?」
「聞いていたんですか?」
そんなところからいたのか。
堂々と入ってくれば良かったのに。
何自分の屋敷で遠慮してるんだか。
「まぁ、特に予定もないですし、会おうかなとは……。なんだかんだ、知った顔があると安心できますしね」
後宮内で、ただ自由にしばらく暮らしてくれたら良い、とのこととはいえ、勝手もわからない、友達もいない後宮内だ。心細くないわけではない。
「なら私も──」
「景天様は外宮で仕事が山積みでしょう> 永寿様不在でたまりにたまってるんですから、私のことは気になさらず、ご自分のやるべきことに集中してください」
ただでさえ仕事が多いうえ、皇帝陛下が投げた仕事がまた多いのだ。
これまでは永寿様と手分けして書類を捌いていたけれど、あいにく永寿様は不在。
ここのところ夜遅くまで景天様の執務室に明かりが灯っているのを知っている私としては、日中私の世話から離れて仕事をこなし、夜はゆっくりと寝てほしい。
世の中には仕事のし過ぎで身体を壊したり、最悪死んでしまう人だっているのだから。
私の言葉に、景天様の眉間の皺が深くなった。
「君に言われs図とも仕事はしている。永寿も、君もいなくとも、何ら困ることはないから安心してどこへでも行くと良い」
半ばヤケっぱちかのようにつらつらとまくし立てる景天様に、頭にきた私も悪い。
だがこの時は止められなかった。
「あぁそうですか!! 私だって何かと口出ししてくるお姑さんみたいな人としばらく離れられるので、良い息抜きです!!」
「ならそのまま後宮に住み着いたらどうだ? 兄上の妃嬪にでもなって」
「っ……」
いつもの私なら、頭に血がのぼって手が出るところだろう。
だけどこの時は、なぜか違った。
怒りとは別の、胸が締め付けられるような痛み。
その時の私にはそれがなぜか理解が出来ぬまま、私はもう景天様の顔を見ることなく扉の方へと足を進めた。
「……そうですね。それもいいかもしれません」
振り返ることなく、景天様に静かにそう告げると、私はそのまま広間を後にした。