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第59話 大量の葛篭の仕分けは


「うわぁー……いっぱいね……」


目の前の馬車に積み上げられた大量の葛篭つづらを見上げ、私は思わず声を漏らした。

「まぁ妃嬪全員の荷物だからな。特に麗璃様なんかはいつも葛篭五つはある」

さすが麗璃様としか言えない。

こんな大きな葛篭だ。

一つで十分な気もするが、麗璃様はたまにではなくいつもなあたり、妙に納得がいく。


朝早くに皇帝陛下の遣いの方が景天様の屋敷に私を迎えに訪れ、私は後宮へと入宮した。

あれから景天様とは顔も合わせていない。

食事ですら「仕事があるから」と広間には現れず、お部屋で一人召し上がられたようで、明らかに私を避けているのがわかる。


「そういえば、誰かと喧嘩なんて初めてだ……」

「喧嘩?」

私が思わずつぶやいた言葉に、王栄が目ざとく反応する。

「あ、あぁ、うん。……景天様とちょっとね。言い合いの末、喧嘩しちゃって……口、きいてないんだ」

「へぇ、あの景天様が?」

「そう、あの景天様。……私、これまで誰かとこんな喧嘩なんてしたことなくてさ、ちょっと、どうすればいいのかわからないんだよね」


姉様はいつもおっとりとして優しく穏やかな人だったから、私と喧嘩になることもなかったし、曽蓉江で他の子ども達ともあんまり親密な付き合いはしてこなかったから、けんかをすることもなく今まで育ってきてしまった。

それゆえに喧嘩の落としどころがわからない。


「んー……そんなのさ、時間が経てばどうでもよくなるもんだって。俺しょっちゅう兄貴と喧嘩してたけど、その時はすんごいケンカしてても、しばらくするとお互い頭も冷えて自然と話すようになってくるからな。気にするだけ無駄無駄」

言いながら葛篭を一つひとつに馬車から卸し、木製の台車へ移し替えると、王栄はそれを引いて正面の建物へと足を向けた。


「ほら、行くぞ蘭。荷下ろし手伝え」

「へーい」


***


尚宮局は司記、司言、司簿、司闈の4つの部署に分かれていて、それぞれの担当で皆忙しく働き続けている。

後宮の妃嬪が減り、妃品のおそばで働く女官も減ったとはいえ、やはり後宮を運営する女官の数は多い。

そんな尚宮局の裏手から荷物を搬入すると、私はすぐそこの土間へと王栄と共に葛篭を下ろしていく。

そこで中の確認をしてからそれぞれの妃嬪宛てに仕分けがなされ、麗璃様の麗魏殿息、清蓮様の清綾殿行き、依陽様の紗陽殿行きへとわけられるのだ。


「麗璃様のが圧倒的に多い……」

「麗璃様一人で八つの葛篭だった時には、さすがに馬車二台で来たよ……」

目の前に広げられた葛篭は全部で八つ。

素のうち五つが麗璃様で、二つは清蓮様。一つが依陽様のものだ。


「こちら、中の品書きです。お確かめください」

王栄が三枚の紙を女官達に渡すと、女官たちはそれぞれに葛篭を空けて中のものと注文の品物が一致するかの確認を始めた。

妃嬪が自ら注文したもの以外が紛れていないか、危険物が無いかを念入りに確認していく女官達。

さすがに私が名かを除くのはよろしくないから、視線を逸らしておく。

それにしても、このスッと鼻に通る独特の匂いは一体……。


「──はい、確かに。注文の品々で間違いございません。こちら、お代になります」

全ての商品の確認が終わり、女官が王栄にお代を手渡す。

「まいど。また何かあれば、うちをご贔屓に」

こういう商人の取引を見ていると、やっぱり思い出すのは両親のことで、私はキュッとなる胸に手を添えた。

父と母の商売に付いて行って、姉様と二人で静かにそれを見守っていたのは、もう遠い昔の事。

今はもう誰もいない。

父も、母も、姉様も。

もし今景天様までもいなくなってしまったら──ううん、考えるのは止そう。

そもそも、私がいなくなったって景天様は大丈夫のようだから、私が何と思おうと意味が無いのだ。


「じゃぁ蘭、俺は行くな」

「うん。お仕事お疲れ様。気を付けてね」

王栄は私にニカッと歯を見せて手を振ると、尚宮局から出て外の世界へと帰っていった。


残された葛篭を、女官達が二人一組となって再び台車に載せていく。

麗璃様のものは二人でも相当重そうで、女官たちは顔をしかめながらやっとの思いで運びきっていた。

後宮のお役所仕事も楽じゃないのね。

そうどこか他人事のように眺めて、私は一つの葛篭を載せた女官を呼び止めた。


「これ、依陽様のですよね? 私もご一緒しても良いですか?」

前回お会いした時にはまだ顔色も悪く体調も戻り切っていなかったようだったし、少し様子を見ておきたい。

「え、えぇ。大丈夫ですわ。蘭様ならば依陽様もきっと歓迎されるでしょう」

この妃嬪達からの絶対的な信頼はいったいどこから来たのか。

私は曖昧に笑ってから、女官について紗陽殿へと向かった。


***


「まぁ蘭様。ようこそ、紗陽殿へ。来ていただけてとても嬉しいですわ」

葛篭を持って行った私を歓迎してくれた依陽様は、先日お会いした時よりも幾分か顔色がよくなったように思う。


「依陽様、お身体の方は──」

「このとおり、だいぶ良くなりましたわ。食事はまだ多くは口にできませんが、少量ずつであれば口にしても戻さなくなりましたし、回復傾向です」

それを聞いて私はほっと胸をなでおろした。

誰かを失うのは、やはり気持ちいいものではないものだから。


「荷物を一緒に届けてくださったようで、ありがとうございます。少し、確認させてくださいな」

「あ、は、はい。じゃぁ私、外に──」

「ふふ。ここにいて一緒に見ていただいて結構ですよ。まぁ、見てそんなに面白いものではないですけれど」

そう言って笑うと、依陽様は早速その葛篭を開けた。


開けた瞬間にむわっと放出される、あのスッとした匂い。

中に入っているのは、たくさんの──草。

何束にも分けられたその草は、スースーとした香りを放ち、箱からあふれ出て部屋いっぱいに広がった。


「依陽様、これは──?」

「薬草ですわ。薬を作るのに必要で、毎度注文して取り寄せていますの。吐き気止めとして有効で、その清涼感から、鼻詰まりや感冒にも処方されます。最近では皇帝陛下からの依頼もいただいているので、いつもより多く仕入れましたの」

「皇帝陛下の?」


陛下もどこかお悪いのだろうか?

さすがに仕事のし過ぎで疲れたからさっぱりするために、というわけではないだろう。

それならば景天様の方に使用したほうが良いだろうし、陛下には全く必要なさそうだけれど……。


「陛下も、何か心労を抱えていらっしゃるのでしょう。皇帝という立場だけでも十分な重圧なのです。前皇帝陛下のように妃嬪がいくつもいて、誰かしらに甘えられるならまだしも、今の陛下には妻は皇后様ただお一人。そのただお一人の皇后様を亡くされた心労だって、私などでは計り知れないものがあるでしょうし……」

「……」


姉様が亡くなったことで心労……。

それは少し、考えにくい。

なんせあの人は、その表情に一つも悲しさをにじませてはいないのだから。

いつも無表情で姉の死を悼むような表情など、欠片も見られない。

そのうえ仕事は景天様にほぼ投げているというのだから、心労など溜まるものか。──とは思っても口にはしない。


「でも、薬草だけ、なんですか? もっと何か入っているのかと思ってました」

どの女官も運ぶのが大変そうだったし、特に麗璃様のところは葛篭自体もパンパンに膨れていた。


「ふふ。私は豪華な装飾品や服もあまり興味がありませんもの。茶器だって今あるもので十分。妃嬪が注文したのが草だけというのもおかしなものですけれどもね」

そう言って笑った依陽様に、私もつられて笑顔を返す。

変に豪華なもので競い合うより、私はそちらの方が好感が持てる。


きっと私が他の妃嬪の方々よりも安心しておそばにいられるのは、依陽様のそんな気取らない性格が私に合っているからなのだろう。


「さて、早速薬の調合を始めませんと。薬草が新鮮なうちに。蘭様、お手伝いいただけるかしら?」


そう涼やかな笑みを浮かべた依陽様に、私は笑顔でうなずいた。















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