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第60話 許される者、許されざる者

「依陽様との薬づくり、楽しかった……!!」

本の知識としては薬というものが以下にして作られるかを知っていた者の、実際に作る現場を見られるというのは初めてで、どの工程もとても好奇心をそそられるものだった。


「今度私も作ってみようかな……」

腹下しでも。景天様に。

「……」

喧嘩別れしてしまってから話をしていない景天様。

いや、でも私は悪くない。

あんなことを言う景天様が悪いんだ。

まるで、自分にはお前は必要ないんだと言われているようで、妙に腹が立った。

景天様や永寿様と過ごすあの屋敷での日々が大切だと思っていたのは、私だけだったのか、と……。


「……知らない」

そっちがそうなら私だってもう知らん。

ぷりぷりとしながら依陽様の屋敷を出て、与えられた上級女官達の住まう房の一室へと戻る途中、五つの葛篭を載せた台車を引き女官が前から歩いてきて、私は思わずその足を止めた。


「あの、もしかしてこれ、麗璃様の?」

いや、もしかしなくても、こんなにたくさんの葛篭だ。麗璃様以外はあり得ない。

「はい。商人が持ってきてすぐ伺おうとしていたのですが……麗璃様のご機嫌がすこぶるお悪く……。結局、この時間になってしまいました」

「あぁ……」

触らぬ神に、ってやつね。

私でも近づきたくないわ。機嫌の悪い麗璃様には。


「あ、あの、蘭様!! 私と一緒に、これを届けていただけないでしょうか!! もちろん、荷物引きは私めがいたします!! 蘭様はついてきてくださるだけで……!!」

「えぇー……。それは良いですけど、意味があるかどうか……」

正直私が言ったとて機嫌が悪ければダメなものはダメな気がする。

わざわざ怒られには行きたくはないのだけれど……。

「大丈夫です!! 麗璃様は蘭様をとても気に入っておられますし、蘭様がいてくだされば麗璃様のご機嫌も戻るかと!!」


気に入られる要素がわからないけれど、確かに気に入られているのだろうという時間はある。

私がうかがうと必ず大好物の桃華饅頭を用意してくださるし、土産に持たせてくれたり、食事のお誘いも何度かされている。

良くも悪くもご自分を大事にされる方だ。

誰かを自分の懐に入れることなど、それはもう珍しい出来事なのだろう。


「わかりました。どうせ房に帰っても特にすることはないですし、お付き合いします。ついでに荷物運びもね」

「あ……ありがとうございますっ!!」


こうして私は、急遽麗璃様の麗魏殿をたずねることになった。


***


「まぁ蘭様!! 訪ねてくださってとても嬉しいですわ!! さぁどうぞ、こちらへ!!」

相変わらず色鮮やかな庭園を横目に、麗魏殿の麗璃様の部屋を訪ねた私を迎え入れてくれたのは、ご機嫌状態の麗璃様だった。


なんだ、ご機嫌じゃないか。とほっと胸をなでおろしたのも束の間、麗璃様はキッと部屋の隅で荷物を運び入れる女官に鋭い視線を向けた。

「ちょっと!! 遅いではありませんの!! こんな時間まで!! そこに置いたらさっさとお行きなさいっ!!」

「は、はいっ……!!」

あぁ、安定の機嫌の悪さだ。

可愛そうに、女官は葛篭を運び入れると逃げるように部屋を後にした。


「さ、どうぞ。今茶を淹れさせますわ。──そこの。茶と菓子をここへ」

麗璃様は控えていた近侍である春明さんに命じると、すぐに春明さんが茶と茶菓子をもって来て、円卓の上へと準備をしてくれた。

その際に私と目が合うと、にっこりと笑ってから部屋を出た春明さんに心癒されたのは麗璃様には悟られなかったようだ。


「これからしばらく後宮で過ごすと聞いて、私とても楽しみにしていましたのよ。毎日でもここへいらしてくれても構いませんからね」

「は、はぁ‥…はは、ぜひ……」

毎日は勘弁してほしい。

私の胃が駄目になる。

依陽様にお願いして胃薬でも作ってもらおうかな……。


「あれ──?」

麗璃様、目が赤い?

そこでふと、麗璃様の目が少しばかり充血していることに気づいた私に、麗璃様が苦笑いした。

「あぁ、気づきましたの?」

「え、あ……」

心なしか目の周りも腫れぼったいということは、そう短くはない時間涙を流されていたということ。

目の周りの赤みは化粧でうまくごまかしているけれど、腫れぼったさや目の充血は隠しようがない。


「何かあったんですか?」

おずおずと麗璃様に尋ねると、麗璃様はすこしばかり俯いてから、静かに言った。

「……実は、父から文が届きましたの」

「お父様から?」

確か、麗璃様のお父様はこの国で力ある大臣。

何か悪い知らせでもあったのだろうか。


「父の文には、家へ帰るようにとのことが書かれていましたわ」

「!! それって──っ」

皇后の座を諦めなければならない、ということ?

あの麗璃様が?


「皇帝陛下のお心をいつまでたっても掴めぬというのならば、後宮に居座っても仕方がない。もっと家のためになる縁談を勧められるのでしょうね。家の役に立たない私など、意味がありませんもの」

「そんな……ひどい……」

「高貴なる生まれの者には、何不自由ない暮らしと共に、それ相応の役割が設けられていますもの。仕方がありませんわ」


人一倍高貴な生まれとしての責任の強い麗璃様としては当然のことと受け入れるのだろうけれど、何も思わないはずがない。

だって、皇后になる為だけにこんなギスギスした場所に居残って、自分が皇后になるのだという自負を持ってこれまで生活してきたのに……。悔しくないはずがない。

目の充血と腫れがその証拠だ。


「あの……。麗璃様は、これからどうなさるんですか……?」

「おそらく、後宮を出てからすぐ、どこかうちと同等かそれ以上の身分の高いお家柄の方との縁談がまとめられるでしょう。皇帝陛下が駄目なら、次の権力者──景天様あたりに話が行くはずですわ」

「けっ!?」

景天様――――っ!?


思わぬところで飛び出たその名に、私は呆然として言葉を失った。

今一番心の中で鬼門となっているその名前。

れいり様が景天様の奥様になる?

想像がつかない。


だけど景天様だっていい歳だ。

そろそろ婚姻を結ばなければならないだろうし、私がそれをとやかく言う権利はないのだけれど……妙に、何か────嫌だ。


次の言葉が出てこない私に、麗璃様の静かな笑い声がふっと振り落ちた。

「安心なさいな。それだけは阻止するつもりですわ」

「へ……?」

驚いて顔を上げると、穏やかな笑みを浮かべて麗璃様が私を見ていた。


「そも、あちらから拒否されることでしょうし、この縁談がまとまることはありません。あなたの大切な人を取ったりは致しませんから、安心なさい」

「た!? 大切な、って──っ!! 私はそんな……」

「あら? では景天様のことなどどうとも思わないと? 結婚をしてしまえばもう景天様の屋敷にいることもできませんし、気軽に言葉を交わすこともできなくなりますのよ?」

「っ!!」


景天様に会えなくなる。

話すことも……できなくなる……。

それは────。


「……嫌です」

なぜかはわからないけれど、すごく、嫌だということだけはわかる。

子どものようにただひところ駄々をこねた私に、麗璃様はふわりと微笑んだ。


「まぁ、今はその答えで許して差し上げましょう。……ですが、いずれきちんと自分自身の気持ちと向き合いなさい。私には決して許されない感情でも、あなたには許されているのですから──」

「麗璃様……。……はいっ」


私が向き合うべき感情。

麗璃様に許されず、私には許されている感情。

今私が向き合うべきは別にあるけれど、そこから目を背けてはいけない。

関わってしまったから。

知ってしまったから。


許される自由に。

許される幸福に。


「さて、私は明日にでもこのことを皇帝陛下にお伝えしなければ」

「いつ、出られるのですか?」

「さぁ? いつになるか──。陛下からのお話があるまでは、蘭様もお心のうちに留めておいてくださいましね」


その笑顔は、今まで見てきた麗璃様のどの笑顔よりも穏やかで、自由だった。












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