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第61話 変わりゆく日々に


麗璃様はその翌日すぐに皇帝陛下に文のことを話した。

だけど、不審者について解決していないうちは後宮にとどまることになったようで、まだしばらくは後宮にいるとのだそうだ。

陛下としては早く出ていってもらっても構わないのだろうけれど。


ただ、それが決まってからというもの、何か憑き物でも落ちたかのように麗璃様は驚くほど大人しくなった。

名物であった清蓮様との言い争いも見なくなったし、機嫌に左右されて女官に当たり散らすことも無くなったらしい。

きっと、皇后にならなければならないという呪いから、少しだけ解放されたのだろう。

まぁ、まだこのことを知っているのは私と皇帝陛下だけということもあって、突然態度が柔らかくなった麗璃様に、女官達の間では天変地異の前触れか、はたまた何か悪いものでも食べてしまったのかと混乱が広がっているのは言うまでもない。


数日経っても不審者は現れることなく、ただ時間だけが過ぎていった──そんなある日のことだった。


「お呼びですか、清蓮様」

「蘭様!! ようこそ。お待ちしておりましたわ!! 早速だけど……、ね、見てくださいまし、これを!! いかがです? 素敵でしょう?」

そう言って清蓮様は、私が部屋に入るなりに机の上にある木箱を取って差し出した。

美しく、精巧な花の彫刻が施されたそれは、一目見ただけでも高価なものだということがわかる。


「他国から取り寄せさせた宝飾入れですのよ」

「え、わざわざこれを、他国から、ですか?」

こう言っては何だが、確かに高そうだし綺麗だし良い物なんだろうけれど、この国でもこういう美しい彫刻が施された宝飾入れは存在する。なのに他国からわざわざ取り寄せたなんて、何か理由があるのだろうか?


「えぇそうですわ!! ただの木箱と思っていたら大間違いですのよ!! こちらは精巧なる細工がなされた宝飾入れですのよ。見てごらんなさい」

宝飾入れの上部を開く清蓮様に、私は首をかしげて黙ってそれを見つめる。

ん? これが何だというのか。

首飾りの一つでも入りそうな、普通の空間だけれど……。


「ここに、これを入れますわ」

そう言ってご自身の首飾りを外すと、その中へとそっと入れて再び蓋を閉める清蓮様。

「え? え、えぇ……?」

「ふふ。さぁ蘭様、よーくご覧になって」

混乱する私を見て、清蓮様はいたずらっ子のように笑うと、宝飾入れの右側面の一部をぐっと押し入れた。

それからまるで順序があるかのように、次々と回しながら細工を押したり引いたりを繰り返していく。


「──これでよし、ですわ。さぁ、蘭様、開けてみてくださいな」

「え? あ、は、はぁ……」

私は差し出された宝飾入れの木箱を受け取ると、わけもわからないままにその美しい彫刻のなされた木箱の上部を開けた。すると────。


「──え!? な、ない!? 首飾りがどこにもない……。何で!?」

何と先ほど清蓮様が入れたはずの首飾りが、跡形もなく無くなっているではないか!!


一体どこにいってしまったというのか……。

妖術か? これは妖術なのか?

あんなの物語の中だけだと思っていたけれど、まさか実在するだなんて……。

世の中、不思議なこともあるもんだ……。


「ふふっ、きゃははははっ!!」

混乱に頭を抱える私を見て、心底愉快だとでも言うかのように、清蓮様が無邪気に笑った。

「ふふ、大成功ですわ!!」

「へ?」

「蘭様、どうぞ安心なさって。首飾りは、ここにちゃーんとございますから」

清蓮様はそう言って私の手から宝飾入れを受け取ると、再び、今度は左側面からその一部を押したり引いたりしつつ回していく。

そして再度箱の蓋を開けると──。


「え…………えぇぇぇぇええええええ!?」

私の声が部屋中に響き渡る。

なんと、無くなっていたはずの清蓮様の首飾りが、入れた時と同じように木箱の中できらめいているではないか。

「な……なんで…………? いったい、どうなって……?」

「ふふ。これはある国でのみ、専門の職人によって作られるカラクリ木箱というものですの」

「カラクリ、木箱……?」

何だそれは。

聞いたことが無い。

この、本の虫で知識量豊富だと自負する私が。


「えぇ。中の底が二重になっていて、通常では上半分の部屋しか存在しませんが、向かって右側面から順に決められた場所を押したり引いたりをしていけば、上半分は蓋の内側へと組み込まれ、下半分の部屋がお目見えするというものですのよ」

「へぇ……」


すごい……。

まんまと騙された……!!

まさか上部に重なるように二重になっているだなんて、思いもしなかった。


「不審者情報で物騒になっていますから、私が持つ宝飾品で一番価値のあるものを、この下段に入れて隠しておこうと思って取り寄せましたのよ。素敵でしょう?」

確かにこれならば、たとえ不審者に狙われたとしても、何も入れていないように見せかけて守ることができる。

誰も二重底になっているだなんて思わないだろうし。


「すごいですね。たとえ暗器を持っていても、持っていないように隠すのは至難の業なのに、こんな細工一つで……」

服にこの細工が出来れば暗器を隠すにも苦労はないんだろうな……。

うん、欲しい……。

「暗器って……。もう、蘭様ったら。そんなものを持っているのは、暗殺者か用心棒ぐらいのものですわよ」

「!!」

まずった。

私の趣味が暗器集めだとか、暗器の扱いに慣れているとかは秘密だった……!!


「は、はは……そう、ですよねー……。はは……。物のたとえで……。最近、暗殺者が出る本を読んでいたもので……はは……」

冷や汗をだらだらと流しながら何とかごまかすも、我ながら苦しい言い訳だ。

景天様がいたらすごい形相で圧をかけてくるんだろうなぁ……はっ……!! いかんいかん。景天様のことは忘れるんだ蘭。

もうあんな人のことは知らんのだ!!

私が脳内にはびこる景天様をぶんぶんと首を横に振って消し飛ばすと、「はぁ……」と目の前から小さなため息が落ちた。


「清蓮様?」

「あぁ、ごめんなさい。なんだか久しぶりにまともに人と話をしているような気がして……。息が抜けてしまいましたわ」

そっと木箱の蓋に美しく掘られた花を撫でる清蓮様は、どこか寂寥感せきりょうかんが漂って見える。


「えっと……他の妃嬪の方と交流は……?」

「おりませんわ。基本的に私たちは皆、自分の御殿のみで生活しておりますもの。あるとすれば殿外に出て皇帝陛下をお迎えする時か、宮中の催しで顔を合わせるかぐらいですもの。前皇帝陛下の際は皇后陛下がよく催しをされておりましたけれど、蓉雪様もあまりそういうものはされませんでしたし、今は蓉雪様すら亡くなられて、催しといえば園遊会ぐらいですもの。最近は陛下のお迎えにも他の方はあまりいらっしゃいませんしね」


各妃嬪に与えられている後宮職のすぐ後方に広がるそれぞれの御殿は、かなり広い。

それぞれの御殿がそれぞれの町のようで、自分の御殿だけで恐らく事足りてしまうのだろう。

それもなんだか……私だったらつまらなさ過ぎて即脱走するだろうなと思う。


「依陽様や麗璃様はいらっしゃらないんですか?」

皇帝の出迎えは義務と言うわけではないが、皇后の座を狙う方々が出迎えをなさらないことはあまりないだろう。


「えぇ。依陽様は体調不良が多いようで、お部屋からもほとんど出られていないようですわ。麗璃様はよくわかりませんけれど、ご自分のあの下品な茶器をすべて集めさせて、選別をしているのだとか。きっと増えすぎて陛下に苦言でも呈されたのでしょう」


依陽様の体調不良は今も続いている。

もちろん、私が葛篭をもってうかがった時のように体調に問題のない日もあるのだけれど、顔色の悪い日が圧倒的に多いようにも思える。

それでもたいていは、『自分で薬を処方してなんとかできるから』と医師に頼ることなくやり過ごしてしまうのだから、女官達の心配は尽きない。


麗璃様の茶器の選別については、恐らくこの後宮を出るための準備なのだろう。

後宮の物は基本外に持ち出すことは許されていない。

だが茶器に関しては、元々外の陶芸家の作品であり、女官が妃嬪の指示によって買い付けてきたものであることから、多少の持ち出しは許可された。

そのため、どれを持っていくのか、慎重に吟味されているのだと思う。

まぁ、規則とはいえ、皇帝陛下としてもあれらを残しておかれても困るだろうけれど……。


「あんな人でも退屈しのぎの話し相手にはなっていましたのに……。まったく、困った方ですわ」


素直に『麗璃様と話が出来なくて寂しい』と言えばいいのに……とは決して言わないが、恐らく麗璃様もそうだろう。

後宮を去ってもう清蓮様と喧嘩することができなくなることに、寂しさだって感じているはずだ。

仲が悪いわけではない。

仲が良いのだ、きっと。


だって本当に嫌いならば、関わらなきゃいいんだから。

わざわざ絡みに行って喧嘩するのは、嫌いじゃない証拠だ。


「早く、皆さん落ち着いたらいいですね」

「…………えぇ。……そうね────」


そして清蓮様は、再びその木箱に咲いた花をそっと撫でた。









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