台所に行くと、智樹が一人で味噌汁をすすっていた。
コンロには味噌汁が弱火でかけられ、
焼きあがったアジの干物が置いてある。
「…おはよう」
緑はおずおずと声をかける。
「おはよう」
智樹は冷静に答える。
「母さんは?」
「朝飯の準備が出来たら、温室に行った」
「何かあったの?」
「うちの子の朝ごはんもあげなきゃ、だそうだ」
智樹は味噌汁の器を置く。
緑は自分の席につく。
ご飯を盛り付け、味噌汁をつけ、干物と漬物でとりあえずの朝ごはんにする。
「いただきます」
一言言い、緑はもくもくと食べ物を口にする。
「緑」
緑は呼びかけられ、とりあえずご飯を嚥下する。
「なに?」
「食べ終わったら、母さんの温室に行ってみないか?」
「…うん」
心の中に、なんでとか、どうしてとかもあったが、
緑はそれも味噌汁で流し込んだ。
一通り食べ終えるのを智樹は見ている。
目つきが穏やかで、どことなく、冷静のようなぼんやりしたような。
父親は、天然なのかもしれないと緑は思った。
(…そこが似たのかも)
ぼんやりと、緑は思った。
緑は最後の一口を飲み込む。
「ごちそうさまでした」
挨拶をすると、食器を流しに置く。
「あとで父さんがやっておく。まずは温室に行こう」
「うん」
彼らは玄関を回り、サンダルを履くと、温室に向かった。
陽子の温室は、
庭の一番日当たりのいい一画にある。
水道の蛇口も中にあって、
至れり尽くせりのつくりだ…と、なんとなく聞いている。
「母さんの夢だったんだ」
智樹がボソッとしゃべる。
「温室は、母さんの一つの夢でな。かなえてやるのが男の甲斐性と思ってな」
智樹は照れたように笑う。
しゃべるのが苦手なのかもしれない。
「ハツユキカズラを母さんに贈った時から、はじまっていたのかもな」
緑は智樹を見直した。
いつもすれ違いだったけど、ちょっと、近くにいる気がする。
「代わりに父さんは、変わった空き瓶を集めるのが趣味でな」
「変わった空き瓶?」
「酒の空き瓶だ。普段は黄色の角瓶でキカクだけどな」
「キカク…」
「ボンベイ・サファイアの空き瓶なんていいものだ。透き通った青がなんともいえない」
「サファイア…」
「火や水を潜り抜けた酒はいいものだ。その空き瓶を収集しているんだよ」
緑は覚えている。
それは、彼ら、だ。
彼らは智樹の部屋にいるのかもしれない。
彼らは、庭の一画、洗濯物干しの近くにある、小さな温室を訪れる。
それでも、畳にして3畳近く面積があるそうだ。
智樹がノックする。
「どうぞー」
陽子の元気な声がする。
「緑を連れて来たぞ」
智樹がそう言うと、陽子は温室の扉から顔を出した。
「あらあらいらっしゃい。お母さんの夢の町へようこそ!」
日焼けした陽子が出迎える。
緑はゆっくり扉をくぐる。
天井は三角屋根型にビニール仕様。
周りもビニール。
明るいが、太陽はぼんやりとしている。
そして、その中を埋め尽くさんばかりの、植物の群れ。
淡い緑、濃い緑、鋭い形をしたもの、あやふやな形をしたもの、
緑色緑色、上から下まで様々の緑色だ。
手作りと思われる木の棚に、植物がいくつも鉢植えになって並んでいる。
隅っこに水道が出ていて、蛇口はホースがついている。
「どう?」
陽子はにんまり笑う。
「お母さんはね、植物の町を作りたかったの。時間も忘れる町を、ね」
「それが…これ?」
「お母さんでは、これが精一杯かな。火気厳禁の、お母さんの範囲では、ここまで」
陽子はからからと明るく笑う。
「でもね、名前はぜーんぶ頭に入ってる。うちの子だもの」
緑は、興味を持った。
「じゃあ母さん、棚を埋め尽くすほど広がっている、蔦は?」
「アイビーね、別名ヘデラとも言うわ」
「アイビー…」
「あ、お母さんを試そうとしてるんだな。じゃあ、片っ端から言ってやるんだから」
町に広がるアイビー。
すっとした、この子はパキラ。
もじゃもじゃの、この子はアスパラガス。
プミラはお日様にあてないと、白いのが出ないの。
ライムポトスは、淡い色が特徴ね。
その丸い葉っぱはシンゴニウム。
オリヅルランと、シャムオリヅルランは、クロロフィタムの仲間なのよ。
「この子はネフロレピス」
「ネフロス…」
「略しないの!」
みんな、いた。
みんな、見つけました。
「アジアンタムでも部屋に置いてみたら?この子は強いわよ」
「うん、帰ってきたら」
いた。みんないた。
「でも、ベアーグラスは失敗続きなのよね。温室じゃだめなのかしら」
彼女だけ、いない。