緑は時計台に向かって歩き…
人ごみをかきわけた。
何のイベントがあるわけでもない。
普通の日曜日だ。
誰にも訪れる今日で、
平和といえば平和な日曜のお昼頃だ。
さえない青年の緑は、
ただ一人、ケイを探して歩く。
今日は何をしようか。
やっぱり、デートなんだろうか。
それとも、「気に入らないよ、バイバイ」と、おしまいになるんだろうか。
緑はちょっとだけ、怖気づいた。
緑は頭を振る。
とにかく、約束したんだから。
この約束は、守らなくちゃ。
放り出して逃げるわけには行かないと。
小さな勇気を持って、緑は歩く。
火恵の民と戦う以上かもしれない、緊張。
タムのときも、
リタのときも、
こんなにどきどきしただろうか。
どきどきしたのは、きっと彼女に対して。
柱の女神の彼女に対してだけ。
彼女はどこにいるだろう。
緑は時計台前を見る。
待ち合わせに使っている者が、たくさんいる。
そして、緑は、彼女を見つけて立ち止まった。
色とりどりの人の群れが、あっという間にモノクロに感じる。
雑音が何も聞こえない。
彼女は…ケイは…
清楚な白いワンピースをまとっていた。
ワンピースには、緑のラインが入っている。
記憶にある、あのワンピースだ。
女神となった彼女の。
ケイが時計台の時計を見る。
不安そうに、黒い目が時計の針を見上げる。
大きなトートバッグがゆれる。
キャスケット帽子はかぶっていない。
ふぞろいの茶色の髪が風にふわりと揺れる。
緑は駆け出した。
彼女が旋律を口ずさんでいるのが聞こえる。
聞いたことのある異国の旋律。
ここにいたんだ。
彼女は、ここにいたんだ。
駆けていく緑に、ケイが気がついた。
「おそーい」
12時ちょっと前。
黒い目が笑っている。
緑は駆け寄る。
「遅い、バカ風間」
「時間前ですよ」
「あたしがとっておきを着て来たんだから、時間よりもっと前に来ること!」
「…とっておき?」
ケイはきれいに微笑んだ。
「そう、これはとっておきなの」
ケイがくるっと回って見せる。
ワンピースが、緑の記憶のワンピースがくるりと回る。
「続き夢でも着ていたくらい、お気に入りなの」
「続き夢?」
緑が聞き返す。
そう、その続き夢で始まったんだ。
大学で、続き夢について、お茶の殻博士と話すことになって。
僕の見解が聞きたいって。
そこから始まったんじゃなかったっけ。
緑は思いだし、たずねる。
「どんな続き夢だったんですか?」
とても重要なことの気がした。
それでも、ケイは軽く答える。
「もう、忘れちゃったけどね。続き夢をよく見てたんだ」
「僕は出てましたか?」
「さぁね」
ケイは首をすくめて笑った。
彼女にとっては、もう、どうでもいいことなのだろう。
緑がいるかどうかなんて、夢にいたかなんて、
もう、どうでもいいのだろう。
女神の着ていたワンピース。
黒い宝石の目。
強い、意思の目。
見つけられたよ。
あなたはずっとそばにいてくれた。
「…風間」
ケイが切り出す。
「はい?」
緑はとぼけたように答える。
「せっかくだから、正式に恋人になってみない?」
ケイの申し出に、緑は一言答えた。
「よろこんで」
ケイがうれしそうに微笑んだ。
緑も自然と笑みになる。
ずっとそばにいた、彼女。
約束は守りました。
たとえあなたが覚えていなくても。
続き夢とやらを忘れてしまっても。
忘れてもいいんです。
また、一緒に歩けばいいんです。
いろんな物を見て、いろんな物を聞いて、
ともに泣き、笑いして、
互いにとって、また、かけがえのない存在になれるように。
いとおしいです。
誰よりも、いとおしいです。
どんな存在になっても、どんな世界に行こうとも、
また、見つけます。
あなたが唯一と、気づいたから。
ケイが手を差し出す。
「さ、手をつないで歩き出そうよ」
「はい」
緑は手を取る。
歩き出そう。
ここから。