一杯で喉を潤したあと、遅い夕食にとりかかれば、豆を指でつまみながらギプスは言った。
「盗賊狩りなら、わしにも声をかけてくれればよかったのに」
「悪いな。教会にお祈りしにいったら、まさか盗賊団のアジトになっているとは思わなくてな」
不可抗力だ、とラトゥンは肩をすくめる。聖教会絡みで調べに言ったとは言わない。
「お主も教会にお祈りしに行くのか?」
「意外か?」
「独立傭兵じゃから、神様を信仰しておるとは思わなんだ」
「それは偏見だ、ギプス。独立傭兵だって、神に祈ることはあるさ」
むしろ、命のやりとりをしている者ほど、信仰やまじない、運やルーティーンなど、目に見えないものや儀式めいたものに拘る傾向にある。
ラトゥンも、悪魔の巣である聖教会は信じていないが、神に対する信奉は捨ててはいない。
「何を祈ってきた?」
「……旅の無事を。俺も、エキナも、あんたも、無事に魔女のもとに辿り着けますように」
悪魔から人間に戻りたい、とは、事情を知らないギプスの前で言うつもりはなかった。だから適当に、それっぽいことをでっち上げたのだが――
「魔女?」
一人、食事もありつけず縛られたままのクワンが反応した。
「あんたたち、魔女のもとへ行くつもりなのか?」
「だったら……?」
ラトゥンが挑むように言えば、クワンは首を横に振った。
「あんたら、わかっているのか? あの魔女のことを」
「どんな願いも叶える魔女、だろ」
「伝説の話じゃなくて……いやまあ、そうなんだけど。本当に魔女に会うつもりなのか?」
「いけないか?」
「悪いことは言わない。やめておいたほうがいい」
「どうしてですか?」
エキナが半眼を向ける。クワンは首をすくめた。
「そりゃあ、危険だからさ。願いを叶える魔女なんて、聞こえはいいが、善人じゃあないんだぜ?」
「実際に会ったのか、魔女に……?」
尋ねると、クワンは苦虫を噛み潰したような顔になった。
「……会ったよ。それがこのザマさ」
「どんなザマなんじゃ」
ギプスが杯をテーブルに置いた。
「酒のつまみじゃ。話せ」
盗賊が、なにゆえ魔女に会ったことがあるのか。
「やはり、アレか。願いを叶える魔女の伝説を信じて、会いに行ったのか?」
「……そうだよ。おれたちは盗賊だからな。近くにそういう伝説の存在が実在するとなれば、目をつけるさ」
あまり言いたくないようなクワンだったが、強面のドワーフに強く睨まれ、渋々話す。
「おれたちは、聖教会の仕事で盗賊団をやっていた。だが根っから、あの悪魔たちの駒だったわけじゃあない」
大方、盗賊をやっていたら聖教会の尖兵たる神殿騎士団に捕まって、助命する代わりに、連中の手足となって働かされているのだろう――と、ラトゥンは見当をつけた。
「で、あいつらから逃れる何かいい手はないかと考えた結果、魔女の力ってものに頼ろうとしたわけだ」
グレゴリオ山脈の奥深くの谷まで。モンスターをくぐり抜けて、ラー・ユガー盗賊団は、魔女の姿を求めて突き進んだ。
「だが結果は……酷いもんさ。同行した奴はおれ以外全滅した。そしておれも……」
「おれも、何だ?」
「……」
「どうした?」
急に黙り込んだクワン。ラトゥンもエキナも、視線を険しくさせる。
「何があった」
「……言っても、どうせ信じない。それくらい信じられないことになっている」
「勿体ぶるな。……言うんじゃ」
ギプスは促した。クワンはたっぷり躊躇って、やがて覚悟したように言った。
「どうやったかわからない。魔女の力ってやつだ。常識をねじ曲げ、認識さえも変えた。おれは……私は、本当は女だった」
「?」
今のは冗談だろうか。ギプスは表情を固めたまま、何度か瞬きをした。エキナもまた聞き違いか、困惑の表情を浮かべる。ラトゥンもまた首を横に振った。
「お前、どこからどう見ても男だろう?」
体つき、声。これで女というのは無理がある。
「だから、魔女の魔法だ。私は女だったのに、男に変えられた」
「変身の魔法か?」
ギプスが低い声で言った。クワンは頷く。
「そうだ。いや、魔法というより強い呪いだ。そして私が女であると知っていた仲間たちでさえ、男だという認識にねじ曲げられた」
女から男に変わったのに、拠点の仲間たちは、初めからクワンが『男』であると認識していたのだ。
「魔女の力は、距離も関係なく、事実さえねじ曲げる。そりゃ何でも願いも叶える、なんて力も満更、嘘ではない」
「証明できるか?」
ラトゥンは、隣のクワンを見つめる。嘘をつくのは簡単だ。突拍子もなく、普通なら信じられない嘘も、本当と思わせる話術の持ち主もこの世にはいる。
「……恥ずかしいけど、ズボンを下げて私の股間をみれば……わかると思う。ついていないから。魔女はそこだけ変えなかったから」
クワンは顔を逸らした。股間、ついていない、となれば。
「タマなし?」
ギプスがストレートに言ってしまう。少しは遠慮すべきではないだろうか、とラトゥンは思った。
・ ・ ・
話がおかしな方向へと行きだした。
にわかには信じられない話だったから、嘘ではないか証明できるかと聞けば、股間を見ればわかると返された。そこだけ元のままなので、男のそれではなく、女のそこになっているという。
随分とデリケートな場所だけ残したものである。だがある意味、調べにくい場所を言うことで、確認を逃れる嘘の可能性もある。
本人に念押しして了解をとり、ラトゥンたちは、クワンのズボンをズラして確認した。宿屋の食堂スタッフから、凄い顔をして見られたが、その辺りは夜遅く、皆疲れていたから意識が回らなかった。
「――本当になかったな」
ラトゥンの言葉に、優男に変えられたクワンは赤面している。
「言うなよ。どう言われても複雑なんだから」
ズボンの位置を戻し、再度座らせる。エキナが口を開いた。
「どうして、魔女に呪いをかけられたんですか?」
願いを叶える魔女が、呪いをかける。この手の話は聞いたことはないが、何となく予感はあった。それをギプスが言う。
「魔女に敵認定されたんじゃろう。大方、魔女を捕まえて無理やり言うことを聞かせようとした、とか」
「あるいは、魔女の隠れ家を壊したりとか?」
「あー、ありそうじゃのう」
ラトゥン、ギプスの追求の目に、クワンは肩をすくめた。
「態度の悪い奴、魔女の家の備品を傷つけた者は魔女の逆鱗に触れて殺された。でも私は、ちゃんと魔女を敬った。……殺されたくはなかったから」
実に賢明である。だが――許されなかったのだろう、現実には。