思い返せば、クワンは殺されそうになる度に逃げたり、それが叶わない時は、命乞いに終始した。それだけ死にたくないのだろう。その光景がありありと思い描けるラトゥンだった。
「だが、魔女は許さなかったのか」
「魔女が許さなかったのは、仲間が不始末をやらかしたからじゃない。彼女は、ルールに厳格だ。そしてそのルールを無視したから、私は呪いをかけられた」
「ルール?」
ラトゥンは、ギプスを見る。初耳だったらしくドワーフは首を振った。
「どんなルールじゃ?」
「私たちが破ったルールは、隠れ家の前の化け物――魔女は門番と言っていたが、それと戦わずに家に入ったことだ」
「化け物!」
ギプスが怖い声を出した。
「あれを躱したのか!?」
「三人ほど犠牲になったけどな。その間に、私たちは隠れ家に駆け込んだ。その結果、魔女からはルール違反を咎められ、私は呪いをかけられた」
クワンは唇を噛んだ。
「『次は、ちゃんと門番を倒してからきなさい』って言われて、谷の入り口まで飛ばされた。それで、このザマ」
「……」
ラトゥンは、改めてギプスを見やる。
「魔女のルール」
「あの化け物と、決着をつけんといかんようじゃのう」
ギプスは自身の顎髭を撫でた。
「どうしても勝てそうにない場合は、避けて通る方法も考えておったが……それはすっぱり忘れたほうがよさそうじゃな」
せっかく魔女のもとに辿り着けても、ルール違反で、願いを叶えてもらえないのでは、行く意味がない。
「ちなみにじゃが、門番とやらは、あの巨人でいいんじゃな?」
「巨人……ああ、たぶんそれだと思う」
クワンは首を傾げる。
「巨人、うん、言われてみれば巨人っぽいか。体格とか――」
「そこで悩んでしまうのなら、まず間違いなかろうて。異様な姿をしておるからのぅ」
「爺さんも、あの化け物を知っているのか?」
まあな、とギプスは答えた。エキナは眉をひそめる。
「巨人、ですか」
「べらぼうにデカい化け物での。白い毛むくじゃらで、手足が二本ずつある。踏まれたら地面の染みになるし、手で潰されても同じじゃな」
ギプスは一度、魔女の隠れ家を目指した。そしてその目の前まで迫りながら、化け物に阻まれ、仲間を失い引き返している。因縁浅からぬ関係と言える。
ラトゥンは言った。
「ギプス、あんたは案内だけでいいんだぞ?」
魔女に用があるのは、ラトゥンである。どこにあるかわからない隠れ家の場所まで案内してくれれば、後は自力で何とかするまで。案内人であるギプスに、門番とやらと戦ってもらうつもりはない。
「いや、わしも行くよ」
ギプスは、机に肘をついて、熱い息を吐いた。
「わしにも、魔女に叶えてもらう事があるからのぅ」
「……そうか」
ラトゥンは杯に残った最後の一口を呷る。クワンは眉間にしわを寄せた。
「本当に行くつもりなんだな。魔女のもとに?」
「そのために、ここにいる」
その言葉に、エキナは頷き、そしてギプスも納得するように小刻みに頭を動かした。
「な、なあ……私、おれも連れて行ってくれ」
「一人称を統一しろ」
ラトゥンは面倒くさいと言わんばかりの顔になった。
「何故、お前を連れていかないといけない?」
「おれは、元の姿に戻りたいから」
それはさりげない一言だったが、ラトゥンの胸にすっと染み渡った。彼自身、体に暴力が浸透し、悪魔となっている。そこから元の人間に戻るために、魔女の力を頼ろうというのだ。
期せずして、ラトゥンとクワンは、それぞれが取り戻したい体というのを持っている。そうなると、ラトゥンはわずかながらの同情心を抱いた。気持ちがわかるだけに、他人事とは思えない。
「助ける義理はないんだぞ」
「何でもする! 女に戻れたら、あんたに抱かれてもいい」
まっ、と食堂の女将が聞いていたらしく反応した。今の姿だと男同士のあれにしか見えない。エキナが笑みを浮かべつつ、口元を引きつらせた。
「ラトゥン、これはさっさと自警団に突き出しましょう」
そういう彼女も、ラトゥンと行動を共にしたいと行った時、同じようなことを言っていた。それを棚上げして、少々お怒りのようなのである。これも女心というものだろうか、ラトゥンは首をかしげるのである。
ギプスは言った。
「自警団や領主の軍に引き渡されたくないだけじゃろ。魔女の隠れ家に行く道中、隙をみて逃げ出す気じゃぞ」
「信じてくれ! おれの、元の姿に戻りたいって気持ちは本物だ!」
「信じられるかい。じゃったら、何で団の連中を連れて、もう一度魔女の家に行かなかったんじゃ?」
正論をぶつけるギプス。しかしクワンは断言した。
「盗賊団の連中を連れて行っても、門番に勝てないだろ……。あれはそれだけの化け物だった。だけど、旦那の強さなら、あの化け物だって……。なあ?」
「どうします、ラトゥン?」
エキナは半分投げやりに聞いてきた。クワンの言い分を信じるのか否か。
・ ・ ・
クワンを自警に突き出すのか、それとも魔女の隠れ家までの道中に連れていくのか。
本人はもちろん、後者を希望しているが、エキナとギプスは反対した。ただ命が惜しいだけで信用できない、というのが二人の意見。
捕まった盗賊は、強制奴隷か縛り首。まともな神経ならば、どちらもお断りだから、クワンが必死になるのもわからないでもない。
ラトゥンにしても、クワンの言うことを信用しているわけではない。ラー・ユガー盗賊団の幹部。命乞いをしないと生き残れない立場なのは想像がつく。
結局、ラトゥンが下した結論は――
「おはようございます、ラトゥンさん。……おや、一人増えたんですか?」
朝食の後、顔を合わせたカッパーランドは、ラトゥンたちと一緒にいるクワンを見て頷いた。
「俺たちと行き先のことに詳しいらしくてな、ガイドとして雇った」
「初めまして、クワンと申します」
クワンは席を立つと、品のある礼の姿勢を取った。粗野で暴力的な盗賊をまったく感じさせないそれ。これはご丁寧に、とカッパーランドも商人らしく答礼で答えた。
「……別にこれはこっちの都合で雇ったわけじゃないから、ドーハス商会はこれにお金を出さなくてもいい」
ラトゥンはそっけなく告げた。エキナとギプスは、微妙な表情で顔を見合わせる。
ともあれ、同行者が一人増えた。