「落石があったようです」
ドーハス商会のカッパーランドは、ラトゥンたちの元に来ると、そう告げた。
「徒歩ならば抜けられますが、車は駄目です。岩が邪魔で通り抜ける幅がありません」
馬車の車列は止まっている。
日は傾き、厚い雲から雨が降り注いでいた。カッパーランドは外套をまとっていたが、フードの端から水滴がポタポタと落ちて、鬱陶しそうだった。
「そうなると……どうなる?」
「全員で岩を動かして幅を確保するか、叶わなければ、引き返すことになりますな」
できれば戻りたくはない、とカッパーランドの顔に書いてあった。夜になる前にこの崖地帯を抜ける予定であったが、天候もあって、すでにだいぶ暗かった。
「とりあえず、その塞いでいる岩の様子を見てもいいか?」
ラトゥンが確認すれば、カッパーランドは首肯した。
「ええ。どうぞ」
「ラトゥン、わたしも行きます」
エキナは志願した。
「わたし、力持ちです」
「よし来てくれ」
彼女の剛力ぶりは、ラトゥンも認めるところである。悪魔の契約で得た力は、エキナに常人離れした能力を与えた。
それを知らないクワンや、カッパーランドは不思議そうな顔をしていたが、ラトゥンがあっさり認めたので、それ以上は言わなかった。
「ギプス、見張りを頼む」
「岩のことなら、わしらドワーフに聞かなくてもいいのか?」
ギプスは不敵に笑う。それはそうだ、とラトゥンは思った。地下暮らしで、地面や石や岩について精通しているドワーフに話を聞かないのはナンセンスだ。
それは確かにそうなのだが――
「こいつを、一人にしておくのがな」
ラトゥンが、クワンを指させば、エキナとギプスも、あぁと言わんばかりの顔になった。盗賊団の幹部。一応連れているとはいえ、一人にしたら逃げるのではないか、という疑惑があるのは、皆認めるところである。
「お、おれ?」
「お前も来い」
「えー、やだよ。こんな土砂降りの中、屋根のないところを歩くなんて」
クワンは案の定ぐずったが、ギプスは外套を取り、フードを被る。
「こんなもん、土砂降りとは言うほどでもあるまい。ほれ、お主もさっさとフードをせい。それとも頭から水を被るか?」
「はいはい、わかりました。行きますよ、行けばいいんでしょう? ……やれやれ」
かくて、雨の中、カッパーランドの後に、ラトゥンたち四人は続いた。前に止まる馬車を追い越し、歩くことしばし。街道上に、巨岩がいくつか転がっていた。
「……なるほど」
ラトゥンは眉をひそめた。
「これは、馬車では通れないな」
「完全に塞がったわけじゃないんですね」
エキナは、さっそく邪魔な岩塊に触れる。ギプスもそれを見上げた。
「これなら岩さえどかせば、何とかなりそうじゃわい。壁になっていたら、力どうこう関係なく通れんかったじゃろうし」
「それ、動くの?」
クワンは信じていないようだった。エキナは、岩をどう押すのか形を試して、振り返った。
「何人かでやれば、動かせそうですよ?」
「本当に……?」
動かせそうな大きさの岩には見えなかったらしく、クワンは疑いの目を向けた。
「これも、昼間のロックエイプの仕業かねぇ?」
「あの猿人どもがやったと言うのか?」
「おれは、この辺りで落石なんてほとんどない、って話を聞いているんだが?」
クワンは首を傾ける。
「ほとんど、であって、必ずしもない、ということはないじゃろう」
ギプスは、別の大岩に近づく。
「それに、待ち伏せじゃったら、もうとっくに出てきておるんじゃないか?」
「……岩を落としたが、雨のせいで、帰ったとか?」
「なるほど」
ドワーフは鼻を鳴らした。
「この雨は、鬱陶しい」
「どうだ、ギプス?」
ラトゥンが、お喋りをしているギプスに尋ねれば、検分していたドワーフは、ポンポンと岩を叩いた。
「切れ目を割れば、人でも動かせる大きさになるじゃろ。どかすのは可能じゃ」
「なら、通過できるということだ」
「そのようですね。よかった」
カッパーランドは相好を崩した。ラトゥンは顔を上げ、雨の中突っ込んできた鉄の槍を掴んだ。
「え……?」
クワンが絶句し、エキナが叫ぶ。
「ラトゥン!?」
「襲撃かっ!?」
ギプスが怒鳴った。ロックエイプの攻撃かと身構える一同。だがラトゥンの目は、それを捉えている。
「気をつけろよ。悪魔だ」
「何じゃと!?」
驚くギプス、そしてクワン。ラトゥンは、槍をクルリと回して穂先の向きを変えた。
「ロックエイプが鉄の槍なんか、使うもの、かっ!」
勢いよく鉄の槍を投げ返す。風を切り、滴を跳ね飛ばした先にいた悪魔は、その槍を間一髪で躱した。
まさか放った槍が返されるとは微塵も思っていなかったのだろう。飛び退く姿は、実に間抜けであった。
その体は灰色、いや鉛色で、背中に翼を持つ悪魔は、下級悪魔のようであり、だがそれらとも少し違うようであった。
「あれは確かに悪魔じゃわい!」
ギプスは腕を上げて、悪魔の方向に振っている。エキナはすかさず聞いた。
「その手はなんです?」
「機関銃があれば!」
そういえば車に武器を置いてきたギプスである。障害物の様子を見に来ただけから、工具の類い以外は、持ってこなかったのだ。あれば、悪魔を蜂の巣にできたのにと、悔しがった。
距離があるせいか、背中に翼を持つ鉛色の肌の悪魔は、しばしラトゥンたちを見下ろしている。崖の上のほうにいるせいで、殴りにいける距離ではない。
奇妙な間。悪魔は逃げるでもなく、かといって攻撃するでもなく、滞空していた。ラトゥンは注意深く見上げ、そして目に入る水滴を払いのける。
嫌な雨だった。悪魔はこちらの隙を見いだそうとしているのだろう。そうするということは、何か目的があるのだ。
ひょっとしたら、この落石も、この悪魔の仕掛けたものだったかもしれない。ラトゥンは暗黒剣を手に、相手の出方を窺った。