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第63話、悪魔の出没


 鉛色の肌の悪魔は、背中の翼を羽ばたかせて浮遊している。しとしとと降り続く雨の中、不気味な間が、悪魔とラトゥンたちのあいだに横たわる。


「エキナ」

「射程外です」


 阿吽の呼吸というべきか、ラトゥンが呼んだだけで、エキナはその意図を汲み取った。しかし残念ながら、彼女の処刑術の銃は届かない。

 悪魔は、知ってか知らずか、離れた場所から様子を見ている。


「これが平地だったなら、距離を詰めたんだがな」


 崖の中ほどに浮いている悪魔。崖を登らねば辿り着けず、歩いて近づくわけにもいかない。この雨で濡れた崖を登るのもナンセンスだが、悪魔のことだから登っているところを狙うだろう。


「迂闊に近づけないですね」


 エキナも小さく首を横に振った。


「睨み合いだな……」

「ぐぬぅ」


 ギプスは唸る。あまり気が長いほうではないのか、じれったそうだ。クワンは、悪魔から目を離さず、かすかにドワーフの方へ顔をずらす。


「狙いは何だと思う? あんなこれ見よがしに姿を見せているのに、様子見なんて」

「警戒しておるんじゃろう。……知らんけど」


 適当なことを言うギプスである。悪魔との遭遇や戦闘の経験は、あまりないのかもしれない。日常を生きる中で、そう頻繁に悪魔と出くわしても困るが。


「悪魔は用心深い」


 ラトゥンは、何か手はないか考えつつ、しかし相手から目を離さない。


「特に、ああやって様子見をしている奴はな」

「ギプスの旦那、あんたの機関銃で何とかならないのか?」

「そうしたいのは山々じゃがな……。あれが、わしを見逃してくれるか……」


 下手に動けば、注意を引いて攻撃されるのではないか。


「どうかな、旦那は体が小さいし……」

「おいこら」


 クワンの言葉に、ギプスは顔をしかめた。ラトゥンは、後ろにいるカッパーランドに小声を出す。


「大丈夫か?」

「ええ、何とか……」


 街道の障害物について案内しただけのカッパーランドである。まさかその途中で、悪魔と遭遇するなど、不運としか言いようがなかった。


「これまで悪魔と遭ったことは?」

「あんなにはっきり見たのは初めてです……」


 顔面蒼白のカッパーランド。常人が悪魔を目の当たりにして、恐怖しないほうが稀だ。


「迂闊に動かないように」


 ラトゥンは注意する。


「動いた奴から狙われる」


 生き物の目というのは、動くものを優先的に捉える傾向にある。


「だが、逃げられる心構えだけはしておいてくれ」

「わかりました」


 コクコクとカッパーランドは頷いた。

 とはいえ手詰まりである。当たらないのを承知で、ライトニングスピアの魔法を使うか――ラトゥンは考える。


 距離は届くが、お互いにじっくり観察している中でぶっ放すには、少々電撃の魔法は目立つ。悪魔としても余裕で回避できてしまうだろう。

 こういう場合は、先に動いた方がよくないが、このまま睨み合いをするにも限度があった。雨は弱まる気配がない上、かなり暗くなってきている。これで夜になってしまえば、見通しはさらに悪くなる。


 ――動くか。


 ラトゥンは覚悟を決めた。


「ギプス。俺が魔法で奴をけん制する。その間に機関銃を取りにいけるか?」

「おう。任された」


 ギプスは即答した。援護さえあればやれる――おそらく彼もまた、ラトゥンと同様の考えに思い至っていたのだろう。


「よし、それでは――」


 ラトゥンが左手を悪魔へと向ける。ライトニングスピアを放とうとして、違和感をおぼえる。

 悪魔が後退を始めたのだ。降りしきる雨の中、その姿はあっという間に霞の如く、消えた。


「引いた……?」

「そのようだな」


 クワンは目を凝らす。カッパーランドが忙しそうに目線を周囲に走らせた。


「逃げたのですか? もう大丈夫なのですか?」

「……」


 大丈夫なのか、という質問には答えられない。見えない位置まで下がっただけで、そのまま去ったのか、あるいは何か企んでいるのか、判断がつかないのだ。


「いったいなんだったんでしょうか?」


 エキナが首をひねる。さあな、とラトゥンも肩をすくめるしかなかった。



 ・  ・  ・



 すっかり暗くなったので、隊商はその場に留まり、キャンプとなった。

 障害物の破壊、撤去は明るくなってからやるということになったので、動きようがなかったのだ。


「しかし、気味が悪いな」


 クワンは神経質そうに表情を雲らせた。車にまで戻ったラトゥンたちは、携帯食を囓りながら、時間を過ごしている。

 しとしとと雨が続いているので、外で薪を燃やすこともできず、ドワーフの携帯魔石灯のほのかな明かりだけが、この暗闇の中、手元を照らすだけの光源を提供している。


「あの悪魔、まだ近くにいると思うか?」

「いるかもしれないし、いないかもしれない」


 ラトゥンは、干し肉を齧る。火を起こせないのでスープもなし。温かい料理にはありつけない。


「倒していないから、わからない」

「仮に倒したとしてもだな」


 ギプスが機関銃を抱えながら、携帯食に手を伸ばす。


「野宿となれば、獣どもに備えねばならないから、何も変わらん」

「いや、ギプスの旦那。そこらの獣と悪魔じゃ格が違うぜ?」

「悪魔も気になりますけど……」


 エキナが外を見張りながら言った。


「ロックエイプも気になります。あれは夜も活動するのですか?」

「夜行性ではないのぅ。今頃、ねぐらでおやすみじゃ」


 ギプスは笑った。ラトゥンは、ドーハス商会の馬車の方を見張る。護衛のハンターが見張りをしているが、今のところ異常はなさそうだった。


「悪魔も夜は寝てくれると楽なんだがな」


 より警戒しなければならないという点で、夕方の悪魔の出現は厄介以外の何ものでもなかった。

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