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第64話、潜む者と見張る者


「やーねぇ、何なのあれ」


 モリュブ・ドスは、一人、崖の上でぼやくのだ。

 ラー・ユガーと独立傭兵の接触と、その後の行動。聖教会と盗賊団のことを口外されると、今後困るだろうから口封じをしようと見張っているモリュブ・ドスである。


 噂というのは、些細なものでも放置しておけば、大きくなる可能性はある。

 現状、聖教会は大衆の味方で、ネガティブな噂は大した効果はない。信頼している者への悪評は、否定してかかるのが人間だからだ。


 しかし、だからといって、聖教会として無視してもいいかと言われると、そういうわけにもいかない。

 世間は聖教会の味方とはいえ、全ての人間が支持しているわけではない。


 どんなものにでも、悪く言う者はいる。教会に尽くしたのに報われなかった、救われなかった――神ではないのだから、何でも叶うわけではないが、それを根に持つ、心の狭い者もまた世の中には存在する。


 そういう不満分子が増えていくと、聖教会を支持する者たちの中にも変化が出る。ネガティブな感情が増えれば、自分の信じるモノへの気持ちも揺らぐ。

 人は、多人数の意見に流される生き物なのだ。


 だから、悪い噂になりそうなものは、早々に取り除かねばならない。モリュブ・ドスが、ラトゥンらを追跡しているのも、それが理由だ。


「だがあの独立傭兵、只者じゃねえな」


 一度戦ったモリュブ・ドスだが、人の姿でやったこともあって全力を出せなかった。それでもそこらの人間に後れを取るつもりはなかったが、結果としては、二人掛かりの連携で返り討ちにされてしまった。


「あの処刑人が、一緒にいるのもわからねえ」


 誰も聞いていないにもかかわらず、モリュブ・ドスは独り言を漏らし続ける。

 名前は忘れたが、王都では処刑人として知られ、悪魔の契約による支配を受けていたはずだ。だが今の彼女はその様子もなく、独立傭兵と行動を共にしている。


「あの女は、暴食狩りをやっていたはずだ」


 だからわからない。


「契約悪魔の気配もない。……まさか、やられちまったのか?」


 誰に? 可能性としては、処刑人と行動しているあの独立傭兵。


「あのヤロウなら、悪魔をぶっ倒すくらいできるか……?」


 雨の中、気配を察知する感覚も鈍る中、モリュブ・ドスが放った槍を素手で掴み、さらに投げ返してきた。

 そんな芸当が只の人間にできるだろうか? いや、できない。


 だが現実にそれをやった人間がいて、それを平然とやってしまえるのなら、下級悪魔はもちろん、上級悪魔とて倒してしまえるのではないか。


「……何だか、嫌な予感がしてきた」


 モリュブ・ドスは、あの独立傭兵が何者か気になった。


「確か、ラトゥン、だったか……?」


 処刑人の女が、そう呼んでいたような――モリュブ・ドスは記憶を辿る。

 これがハンターであったなら、ランク制度があるから、ギルドに照会すれば、ある程度の経歴や実力がわかる。


 しかし、独立傭兵はランクがなく、言った者勝ちな職業だから、調べるのは困難だ。どこかの町や村を拠点にしていれば、聞き込みもできるのだが、今のところ、その手掛かりすらない。


「さすがに二人掛かりで返り討ちにあってるからなぁ」


 処刑人と同等か、それ以上の実力者と思われる独立傭兵。一度に二人を同時に相手にする気は、モリュブ・ドスにはなかった。


「しかたねえ。子分どもを呼んで、頭数は揃えておくか」


 時間稼ぎ、ていのいい盾。下級の雑魚悪魔では、あの二人に個々では太刀打ちできないだろうが、要は使い方だ。

 そもそも、雑魚悪魔がいくらやられようが、モリュブ・ドスにとってはどうでもいいことでもあった。


「さて、その間に情報を仕入れますかね」


 モリュブ・ドスは姿を変える。


『さすがに二度もやられるなんて、サマにならないからねぇ。小細工だってしてやりますよっと』



 ・ ・ ・



 その日、再び悪魔が現れることはなかった。

 しかし、いつ襲われるかわからないという緊張感は、ドーハス商会のカッパーランドとその部下たちに強いストレスを与えた。


 護衛のハンターたちも心なしか重く、クワンもソワソワしていて、何も言っていないのに見張りを勝手にやっているくらいだった。


 ラトゥンとしても、見える位置にいた悪魔の存在は、非常に気持ち悪く、片付けたい気分にさせた。

 しかし、パトリの町まで隊商を護衛という都合上、離れて悪魔を捜索するわけにもいかない。


 遭遇した悪魔は翼があって飛行が可能。探しに行ったところを、飛んで逃げられ、あまつさえ隊商が狙われては意味がない。

 ラトゥンとしては、そんなヘマをするつもりはないのだが、世の中には絶対はない。それで役目を果たせないのでは意味がない。独立傭兵は、不要なリスクを避けるべきだ。


 雨は止み、朝。ギプスが街道の障害物を破壊し、ラトゥンとエキナで残骸を撤去。通り道を確保したことで、ドーハス商会の隊商は出発。ラトゥンたちも悪魔や、昨日のロックエイプなどを警戒しながら護衛についた。


「結局、あの悪魔、来なかったのぅ」


 ハンドルを握るギプスは憮然とした表情だった。隣に座るラトゥンは周囲に視線を配る。


「こんな何もないところを、悪魔が単独でぶらつくというのは、ちょっと考え難い」

「だとしたら、何が目的じゃ?」

「それがわからない。だがこちらに槍をぶん投げてきたからな。攻撃の意思はあったわけだ」

「……隊商の誰かが狙われておったか?」


 ギプスが隊商の馬車を睨む。ラトゥンは腕を組んだ。


「俺を狙ったのでなければ、あの場にいたのは、カッパーランドだな」


 しかしあの時、外を出歩いている者は、雨に濡れるのを避けるためにフードを被っていた。それで特定の人物を判別するのは、不可能とは言わないが困難だと思う。


「ただ、隊商を狙ったというのも確証はない。槍だって、特定の誰かを狙ったわけではなく、誰でもよかった、という可能性もなくはない」

「だとしたら愉快犯、通り魔みたいなもんじゃが……」

「槍を投げてから何も仕掛けてこなかったからな。このまま何も起きなければ……、本当にノラの悪魔で通り魔だったかもしれない」


 下級悪魔の中には、イタズラというには度を超した攻撃で、人様に迷惑をかける者が時々現れる。ハンターには、そういうノラ悪魔の被害報告を受けて、討伐することもあった。


 隊商は進む。心配されたロックエイプが現れることもなく、悪魔も現れないまま崖地帯を抜けた。落石がなくホッとし、よく晴れた空の下、街道を行く。


 もう悪魔のことも忘れかけた頃、ドーハス商会の目的地であるパトリの町が見えてきた。

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