パトリの町、町長の屋敷。モリュブ・ドスは、町長ロバールの執務室のソファーに腰を下ろし、出発前のシミュレーションを脳裏に描いていた。
外は暗くなっている。すでに呪法によって、住人はろくに動けないのだろうが、もう少し落ち着いたほうが邪魔なく進められる。
呼び寄せた部下たちも、屋敷のほか、ラトゥンらのいる宿の近くに配置につくだろう。
気がかりは、町で騒ぎになった時の警備隊の介入だが一応、妨害要員を用意したが、ロバールの交渉次第といったところだ。
それはそれとして、あの独立傭兵を相手には、自身の真の姿を晒しても問題はあるまい。それとも殺したはずの魔術師姿を見せたほうが、相手を驚かせて怯ませることができるのでは……。
などと考えを巡らせていると、扉がノックされた。モリュブ・ドスは皮肉げな顔になる。
「入っているぜ」
「……ここは私の屋敷なのですが」
ロバールは呆れも露わにしながら入室した。
「どうだった?」
「警備隊には、町で聖教会が悪魔退治をするので、騒ぎになっても近づかないようにと通達しました」
今回の病の原因は、悪魔の仕業かもしれない――という理由で、教会が動くのである。
「よし、よくやった!」
これで心置きなく、町中で暴れられる。気がかりが解消され、モリュブ・ドスはソファーから立ち上がった。
「これで事前準備は完了だな」
「やる気なのは結構ですが、モリュブ・ドス殿。あまり町を壊さないでいただきたい」
「そいつは、敵に言ってくれ」
モリュブ・ドスは意地の悪い顔で言うのである。
執務室を出ようとした時、危険を感じた。衝撃、そして壁が突然壊れて、破片が飛び散る。
「うおっ!?」
「あっ――!」
とっさに飛び退くモリュブ・ドス。破片をもろに受けて倒れるロバール。土埃が舞い、大穴が空いた壁から、ぬっと黒い影が起き上がる。
屈強な悪魔が立っていた。
「なっ!? て、てめぇは!?」
モリュブ・ドスは驚愕する。そこにいたのは、聖教会が指名手配している最上級悪魔ではないか!
「ぼ、暴食っ!? 何故ここにっ!?」
ギロリと光った悪魔の目。モリュブ・ドスを見た暴食は、弾丸のごとく飛び掛かってきた。
「クソッタレェ!」
守りの構えを取るモリュブ・ドスに、暴食の重々しい鉄拳が激突した。凄まじい衝撃。ガードに使った腕の骨が砕けた。
さらに勢いのまま、後ろの壁を破壊し、二部屋ほど貫通した。背中からの強打が二度、そして三度目で床にバウンドした。
「クソが……。人間だったら、今ので死んで――」
立ち上がろうとしたモリュブ・ドスだが、そこへ暴食は踏み込み、追い打ちをかけてきた。
「っ!」
生きているのを確信しての追撃。折れた骨の再生が追いつかない。モリュブ・ドスは下から攻撃魔法を無詠唱で放つ。自分にもダメージが来る至近での爆裂。
しかし、火系魔法は、暴食の左手が掴み、ロウソクの火のようにふっと消え去ってしまう。そして暴食の鉄拳が、叩きつけられた。
「ぐほっ!!」
胴体に直撃した拳によって、臓器が吹っ飛んだ。背骨も破壊されたような感覚もつかの間、体は床をぶち破り、二階から一階へと落とされた。
目の中に火花が散った。次の瞬間には天井に空いた大穴を見上げていた。そこから黒い塊――暴食が降りてきた。
二回の攻撃で、モリュブ・ドスの体はボロボロだった。人間ならば二度死ぬほど打撃。生きているのは、ひとえに悪魔であるから。
しかし、悪魔だからといって不死身であるわけではない。これ以上喰らい続ければ、やられてしまう。
体内の魔力を使い、損傷からの復活に力を総動員する。だが……。
――再生が間に合わねぇ……!
暴食が腕を振り上げ――横合いから魔弾が飛んできた。
魔術師の格好をした男たち――部下の下級悪魔が、駆けつけたのだ。
あれだけ派手に襲撃があれば、彼らとてすぐに気づく。いや、気づかないほうがおかしい。
暴食は、飛んでくる電撃や氷の塊を鬱陶しそうに弾くと左手を構えて、衝撃波を放った。見えない壁のようなその一撃は、室内の部下たちを吹き飛ばし、壁ごと破壊した。
しかしモリュブ・ドスは、その僅かな間も幸いとばかりに後方へ引いた。暴食はすぐに追いかけてきた。
「しつけぇんだよ、クソが!」
別室に飛び込み、次のドアの方向へ。遅れて暴食が扉周りを壊しながらも、狂犬さながら追いすがる。
「オレはお前に何かしたかよ!?」
まるで恨まれるおぼえがないのに、暴食はモリュブ・ドスを追いかけてくる。聖教会から手配されている暴食だから、悪魔に対しても同族意識など持っていないだろうが、それでもここまで追われることに、理不尽な怒りを感じた。
「治れよ、オレの腕!」
扉を体当たりでぶち破り、屋敷の庭に出た。直後、壁がバラバラになって飛び散り、モリュブ・ドスを襲った。
「クソっ、派手にやりやがって!」
ぶつかる瓦礫に、態勢を崩して転倒する。夜陰に紛れるように飛び出す暴食。そして庭に回り込んだ部下たちが、暴食に向かっていく。
マントを突き破り、背中を生やした下級悪魔は、デーモンスピアを手に、矢のように突き進む。これにはさすがの暴食も回避を迫られる。
一体目を避け、続いた二体目は、暴食の左手に捕まれた。そして飛び込んだ三体目に、捕まえた二体目をぶつけて双方を衝突死させた。あまりの勢いでぶつけたせいで、掴まれた部下は、果物が潰れたように鮮血を撒き散らす。
屋敷周りにいた下級悪魔が次々に集まり、庭の暴食を包囲。四方から攻撃を仕掛ける。
個々の能力では隔絶している暴食といえど、数で押せば下級悪魔とて馬鹿にならない。
だが、暴食は咆哮を一つあげると、その両の腕を右、左にそれぞれ振るった。すると射線にいた下級悪魔が、爪に切り裂かれたように血を迸らせて体を分断された。
風の魔法、見えない刃が、悪魔たちを紙切れのように割いていく。まるで相手にならなかった。
最上級悪魔の名に相応しい無双っぷりだ。魔弾を躱し、暴食がその力を振るうたびに、下級悪魔たちが肉の塊に成り果てる。
「聞いてた話と違うなぁ……!」
モリュブ・ドスは冷や汗が止まらない。
「もう、こいつ。完全体じゃねえのか……?」