町の一角が騒がしい。
二等悪魔のフラーブは、その騒動に一瞬視線を外した。どうやら、町長の屋敷がある辺りだ。
もしかしたら、先ほどから車を離れて町を散策しに出たラトゥンという男の仕業ではないか、とフラーブは考えた。
彼とその部下たちは、町の宿の敷地内でキャンプをしている独立傭兵の一団を監視していた。
上司であるモリュブ・ドスの招集を受けて、聖教会の秘密の一端を知ったかもしれない者たちの処理の任務に就いている。
ラトゥンもその対象なのだが、要排除対象なのは、クワン――ラー・ユガーである。独立傭兵と行動を共にしているのは、単なる捕虜ではないようで、何かしらの裏取引を臭わせる。
聖教会を裏切った、あるいは不都合な事実を喋られても困る。故にその息の根を止めねばならない。
宿屋の近くにある建物の屋上から監視するフラーブだが、そこへ黒装束――人間に化けた下級悪魔が、下から見られないように態勢を低くしながら駆けてきた。
「フラーブ副隊長」
「伝令か?」
「いえ、まだ。具申なのですが、あちらの騒ぎが気になります。あっちはモリュブ・ドス隊長のいる屋敷ですから、万が一があれば作戦自体変わるかもしれません。……一度戻ったほうがよいのでは」
お喋りなやつだ、とフラーブは思った。この下級悪魔は神経質な方かもしれない。
「我々の任務はなんだ?」
「卿と本隊が到着するまで、標的を監視することです」
「その通りだ。我々は、標的から目を離して戻るということはない」
それでは任務放棄になってしまう。後でモリュブ・ドスに叱責ないし制裁を受けるのは自分だぞ、と恨みをぶつけたくもなる。
「だがお前の懸念も一理ある。……ビリの班が、ラトゥンとかいう奴の追跡に行ったっきり、返事がない」
車を離れた対象にも、きちんと監視の目をつけていたフラーブである。しかし今、屋敷の騒ぎがラトゥンの仕業であるならば、追跡していたビリの班は全滅している可能性もあった。
「標的は他にもいて、それを無視して帰るわけにもいかん。こちらから一人、様子見に行かせろ。我々は、監視を続ける」
方針は定まった。監視部隊から一人が出て、屋敷へと向かう。
フラーブは視線を敷地の車へと向ける。宿は病人で一杯だったか、彼らは外でキャンプをしている。最重要標的であるクワンは、ずっと車中にいて、寝込んでいる。モリュブ・ドスの呪法が作用しているようだ。悪魔はともかく、普通の人間では抗い難い。
さて、こいつをどう始末しようか、とフラーブは、本隊が到着する前の待ち時間を使って考える。
車の外にはドワーフが一人いて、薪を見つめている。先ほどからほとんど動いていないのは、ウトウトしているのか、あるいは呪法が作用しているのか。
近づくにしても、このドワーフの死角から車に乗り込み、一気にクワンを――
フラーブはそこで、一団にはもう一人いることを思い出す。ラトゥンは離れていて、残るは元処刑人だったと思われる銀髪の女。名前が出てこないのは、王都で活躍した銀髪の死刑執行人は『処刑人』呼びだったせいだろう。彼女の名前を知っている者が聖教会にどれくらいいるかは疑問である。
だが、それはともかく、処刑人はどこへ消えた?
フラーブは視線を走らせ、彼の位置から死角になっている位置を見張っている下級悪魔に短距離念話を飛ばす。
二等悪魔であるフラーブには、残念ながら長距離念話はできない。だが現在の宿の敷地周りにいる部下たちの範囲であれば何とか届く。
『女は見えるか?』
『フロッブ、ドワーフしか見えない』
『こちらラーベ、ドワーフの位置の反対側に、処刑人女がいます』
どうやら別方向を見張っているようで、フラーブや左翼展開しているフロッブの班からは見えなかっただけだったようだ。
先ほどの屋敷での騒音に気を取られた僅かな間に、監視網をすり抜けていたらどうしようかと思い、フラーブが安堵しかける。
念話が飛び込んできた。
『副隊長、こちらラーベ。処刑人女に動きあり』
『見えた』
銀髪女が立ち上がり、しきりに自分の前方あたりの建物の屋上方向を見ている。……まさか、こちらの監視に気づいた?
念話が聞こえたとでもいうのか? いやしかし、これまでも何度か念話は行っていて、その時は何も。
『処刑人女、屋上へ来る!』
右翼見張りのラーベが、切羽詰まった念話を送ってきた。銀髪女は、人間とは思えない跳躍力を使って、壁を蹴り、一気に屋上へ飛び上がってきた。
さすが処刑人――フラーブが感心する間もなく、下級悪魔らが、銀髪女と接触した。ラーベが爪を伸ばし、瞬間的に処刑人女に斬りかかった。
次の瞬間、下級悪魔の首が飛んだ。
「やりやがった!」
フラーブは移動するべく足に力を込めた。
『全班へ! 女に気づかれた!』
・ ・ ・
「こそこそしているのは、わかってましたよ」
エキナは不敵な笑みを浮かべた。
宿屋近くの建物の屋上から、ちらちらと監視する存在には気づいていた。
ラトゥンから敵が攻めてくるかもしれないと聞いて、気をつけていたら、何やら遠巻きに不審な人影が宿の敷地を囲むように配置についてきたので、これは――と思ったのだ。
遠くで大きな物音がした時、おそらくラトゥンだろうと考えたエキナは、この屋上の監視者たちが動き始める前に先手を打つことにした。
クワンは戦力外。ギプスも本調子ではなさそうな今、敵が動き出してからでは防ぎきれないかもしれない。それが理由だ。
屋上へ蹴り上がった時、目の前には黒装束の男がいた。近くでみて、これが人間ではなく、悪魔であるのを本能的に察した。悪魔との契約の力か、人間か悪魔か見ただけで大体わかるようになっていた。
だから、目の前の男が悪魔の爪を伸ばした時には、エキナはエクセキューショナーズソードを振りかぶり、その首を刎ね飛ばしていた。
「まず一人」
その屋上には、他に二人の黒装束がいた。あからさまに敵だとわかるのは面倒がなくてよい。
向かってくる敵――エキナはまず距離が近い右の黒装束へ駆けた。素早く飛びかかってきたそれを、加速した勢いで足元をくぐり抜け、ブレーキ。敵が着地したところに、振り向きざまの回転を利用した一撃で、その胴体を真っ二つに切り裂く。
「二人目と――三人目!」
隙を衝こうと肉薄してきた黒装束。体をそのまま回転させ、二人目を斬ったそのままの軌道に三人目を捉え、そのままエクセキューショナーズソードで両断した。
「留守番を任されましたからね。好き勝手はさせませんよ……!」