悪魔神父を倒したラトゥン――暴食は、静かになった場を見渡した。
見える範囲に動く者はいない。壁面に、ぼんやりと光る魔法陣があった。モリュブ・ドスを取り込んだ記憶の欠片が、それだと囁く。
この魔法陣が、パトリの町の病の元凶である呪法。これを破壊すれば――
『……!?』
ラトゥンはそこで猛烈な違和感をおぼえた。死体の数を数え、そして気づく。下級悪魔が一人足りない!
『あの時か……!』
最後の一人を討とうとしたところで、神父が戦いに介入してきたので、そのまま放置となってしまっていた。その下級悪魔は、あろうことが上司である神父を見捨てて逃げたらしい。
『ちっ、余計な面倒を……』
魔力を飛ばしてサーチをかける。ここで暴食を実際に見た者は極力残したくなかった。最初からここへは皆殺しのつもりで踏み込んでいるのだ。
『いた……!』
地下空洞を抜けて、教会へ出ようと急いでいる悪魔の姿を捕捉した。
『逃がさん!』
・ ・ ・
『ひっ! ひっ!』
下級悪魔のスコーブは背中の翼を使って、一気に穴を飛び、教会に出る階段通路に飛び込んだ。
ここからは翼が邪魔になるので、走る、走る、走る!
『まさか、暴食だなんて……!』
パトリ教会は終わりだ。暴食によって潰されたのだ。神出鬼没の最上級悪魔。聖教会に逆らい、逆に教会と関係するものを破壊していく恐るべき敵。
モリュブ・ドス卿がやってきて、聖教会の秘密を知っている者の口封じをやるという話は聞いていた。
しかしそれは、あくまでモリュブ・ドス卿の仕事であり、スコーブやキール神父と言った、パトリ教会の悪魔には関係のない話だった。
迷惑をかける、と卿から一声はあったもののそれだけだ。一応、警戒待機はしていたものの、直接手を貸すようなことはなく終わるはずだった。
何故か、暴食が教会に乗り込んできて、滅茶苦茶になった。暴食がいるとか、来るとか、そんな話はまるで聞いていない。
まったくの予想外の展開だった。
暴食は聞きしに勝る悪魔であり、下級悪魔をバッタバッタとなぎ倒すと、キール神父が研究していた異形の化け物モーンストルムを仕留め、研究所の奥、地下祭壇まで踏み込んだ。
そこからの展開は、スコーブを除いて全滅。異形もキール神父も暴食に倒されてしまった。
難を逃れたスコーブは、暴食が神父と戦っている間、入り口近くに伏せて、様子を見ていたが、その神父がやられたら、即逃走にかかった。
もはや、残っているのは自分だけだった。最後の一人であるスコーブには、ここで起きた出来事を、聖教会の同胞たちに報せる義務がある。
特にあの、『暴食』の件ともなれば。パトリ教会がやられたことよりも、重要な情報となる。
スコーブは地上への階段を駆け上る。近くにいる味方といえば、モリュブ・ドス卿とその部隊だ。
しかし町で戦闘をすると言っていた彼らだから、果たして捉まえることができるか。
パトリ教会の祭壇裏に出る。そこには同僚たちの死体がいくつも転がっていた。暴食によって蹂躙された血の現場だ。
しかし今は何もできない。もし暴食が、トドメを刺し損ねたスコーブのことを思い出せば、追ってくる可能性が大だからだ。
今までは聖教会の施設を襲ってきた暴食が、悪魔を一人でも見逃したなどという話は聞いたことがない。もしかしたら、いるかもしれないが、期待はしない。そういう『もしかしたら』なんてものに頼ったら最後、やられる。
舌先三寸で、言いくるめられる人間と違って、悪魔は冷酷無比。自分が逆の立場だったとしても、絶対に温情はかけない。
だから逃げる! 全力で逃げる!
暴食によって破壊された教会の扉へ、スコーブは一目散に走る。背中がチリチリしてきた。
もうあいつがそこまで来ているような気がする。いくら暴食でも全力で逃げているこちらにそんなに早く追いつけるはずがない。
そのはずなのに……!
重圧が凄まじい。もうすぐそこまで迫っているという錯覚に陥った。
あと一歩――教会の外へ。スコーブが外の空気に触れた時、後ろから猛獣の唸り声のようなものが聞こえたかと思うと、猛烈な力で掴まれ、教会に引き戻された。
『うわっ! あああぁぁぁ――っ!』
悲鳴は途絶えた。スコーブが、そこから外に出ることは、二度となかったのである。
・ ・ ・
生き残りを寸でのところで捕まえ、捕食した暴食――ラトゥンは、教会に戻り後始末にかかった。
まず目的であった呪法の魔法陣を破壊する。何がなくても、これは最低限やっておかねばならない事だった。
これで何も知らないパトリの町の住人たちも、体調不良から脱することができるだろう。ギプスや、ついでにクワンも具合がよくなる。
目的を果たしたラトゥンは、地下の研究室を調べた。ここで何が行われていたのか、嫌な予感を振り払い、資料を漁る。
その結果、このパトリの町の聖教会では、生物を掛け合わせたキメラモンスター『モーンストルム』の研究と製造を行っていた。
幸いというべきか、人間はまだ素材に使われていなかった。だが、今後の研究候補に、人間と別の生き物を掛け合わせるという、吐き気をもよおす案もあったから、このまま気づかずに進行していたら、悪夢のような『人間モースストルム』が発生していたかもしれない。
ラトゥンは記録も含めて、資料はすべて焼却処分にした。後から調査に来るだろう聖教会に、研究成果や今後の進展について教えてやるわけにはいかない。
処分し終えると、朝が来る前にラトゥンは教会を後にした。
深夜ともあって誰も訪れなかったようで、中の惨劇――悪魔どもの死骸が見つかることはなかった。朝以降、教会にお祈りにきた者が気づいて、騒ぎになるだろうが。
教会の敷地を出たら、エキナが待っていた。
「お疲れさまです」
「……お疲れ」
ラトゥンは顔を引きつらせた。
「いつからいた?」
「それなりに前から」
エキナはニコリとした。
「こちらにも下級悪魔が襲ってきたんですが、全滅させました。褒めてください」
近づいてきたかと思えば頭を傾けて、撫でてくれと言わんばかりのエキナ。ラトゥンは後ろめたさで一杯になる。
「お、おう、よくやってくれた」
「……」
「……怒ってるか?」
「わたしが? 何にですか?」
にっこにこのエキナである。
「町長の屋敷から真っ直ぐ帰らず、どこかに寄り道したことについては、ラトゥンにも事情があったんでしょう。ええ、そのことで怒ってはいませんよ。ただ……話は聞かせてくれるんですよね? ラトゥン?」