グレゴリオ山脈の奥深くの谷を目指して、魔力式蒸気自動車は進む。しかし――
「酷い道だ」
ラトゥンは、下から突き上げてくる振動に眉をひそめた。
街道はすでになく、山の麓への道しかない。そしてこの道が、道というにはお粗末なもので、でこぼこしている上に、至るところに草が生えている。
「これでもマシじゃぞい!」
ギプスは振動を押さえつけるようにハンドルを握りながら言った。
「いかに通る者が少ないか、その証じゃな!」
人が多く行き来するならば、道は整備されるもの。それがないというのは、通行量が少ないことに他ならない。
「とりあえず、休憩じゃ! きゅーけい!」
「あ、何だ? 着いた――わけじゃなさそうだな」
クワンが荷台から前を覗き込んだ。ギプスはブレーキを踏み、道から車を避けさせて止まった。
「水分補給じゃわい」
「旦那の?」
「車のじゃ! こいつも水を飲むんじゃ」
蒸気自動車は、走るためには水も必要である。ラトゥンは立ち上がりノビをした。道のようなものを走ってきたせいで、座っていても尻が痛い。
ギプスが給水をしながら言った。
「おい、クワン。暇潰しに何か面白い話をしろ」
「は? 何ていうムチャブリだよ」
クワンが露骨に顔をしかめると、ギプスは首を横に振る。
「お前さん、どうせ他にやれることないじゃろ。戦闘でも戦力にならんし、こういうところで貢献しなきゃ、喋るお荷物でしかないぞ」
「辛辣ぅ。……あーあー、わかったよ、何か話せばいいんだろ」
荷台から足をブラブラさせながら、クワンは考える。
「つっても、面白い話なんてなぁ」
「昔話でもいいぞ。……どこの生まれだ?」
ラトゥンは言った。純然たる興味であった。どこで生まれて、どう生き、盗賊になったのか。クワンは少し考え、そして語り出した。
「生まれ、ねえ……ウスラという町だ。村以上だが、町と呼ぶには微妙なところだった」
「ウスラ? 聞いたことがないのぅ」
「今はもうないからな。襲撃されて滅びた」
ギプスの呟きにそう返すクワン。エキナが心持ち表情が曇った。領主の娘だった彼女は、今はなきミゼリコーディ領のことが脳裏をよぎったのかもしれない。
「物心ついた頃には、路地裏だった。両親のこともわからないし、周りにはおれのような孤児がそれなりにいた。そいつらと徒党を組んで、食べ物を盗んだりして糊口を凌いだ」
よくある話だ。ラトゥンは黙って聞く。ハンターだった頃、世間ではそういう貧しく、ストリートに生きている子供が割と珍しくないというのを知った。
町や村を出れば、危険な魔獣や、下級悪魔が出没し、犠牲者が出ることも多い。そうやって親が死に、生活できなくなった子供が出てくる。
ハンターが害獣退治を仕事としてやっていけるのも、そういう世界だからだ。その点、ミゼリコーディ領は恵まれていたと思うラトゥンである。
「そうやって生活しているうちに、より強い勢力と合流して盗賊になった」
「ラー・ユガー?」
「まだ、その時はラー・ユガーじゃなかった」
クワンは首を横に振った。
「最初のグループは、あっさり壊滅した。そりゃ、ナイフを持ってイキがっているだけのガキばかりだからな。きちんと訓練を受けた兵隊に勝てるわけがない」
「領主の軍に喧嘩を売ったのか? 馬鹿なのか?」
ギプスのそれは辛辣だが、普通に考えればそうなる。盗賊といったところで、貧困が生み出したあぶれ者。元々、戦士職についていた者ならともかく、農民や町民などの一般人が、いきなり戦えるようになるわけではない。
「別に喧嘩を売ったわけじゃない。仕事をしていたら、討伐隊が出てきたってだけだ」
「そりゃ、領内で盗賊団なんて現れたら、領主の力量を疑われるからな」
ラトゥンは頷く。自前の軍隊なり、ハンターを複数雇って、さっさと鎮圧するに限る。
「で、そうこうしているうちに、盗賊のグループを渡り歩くことになった」
クワンは懐かしむような顔になる。
「貧困という共通点があるが、色々なところから来ていた。だから、グループが潰れたら、生き残りの誰かが、どこぞに盗賊がいるから、そこで仲間に入れてもらおうってことになる」
「その行動力があるなら、普通に職を探したほうがよくないか?」
ギプスは首を振った。
「ちっとは戦えるようになっておったのなら、ハンターになる手もあったじゃろうに」
「当時は、ハンターのなり方なんて知らなかったからな。魔獣や下級悪魔と戦う術があったわけじゃないし、ちょっと脅すことが精々のチンピラが多かった」
知識が偏っていて、まともな生活について教えてくれる人がいなかった。親も知らず、悪いことをして育ってきた人間が教えることは、当然ながら悪いことばかりだ。
中にはそれなりの知識を知っている者もいた。しかし、そこから盗賊に身を落としたことからわかる通り、ドロップアウトしたことで世間を恨んでいて、善悪についてよい方向のことを語る者は稀だった。
大人の中には、自分本意の者もいて、何も知らない子供を自分の子分としたり、危険なことに対する盾代わりに利用した。子供の方も突き放されれば、奴隷として売り飛ばすなんて脅されるから、従わざるをえない。
つまりは、世間的な道徳心やまともな知識について、学べる環境にはなかった。年長者は新入りに嘘を教え、世間と盗賊は違うものだと刷り込んだのだ。
そんな話を聞いていたら、エキナがすっかり消沈していた。繰り返すが、ミゼリコーディ領がどれだけ恵まれていたのか、それを強く感じているのだろう。
「いくつかグループを潰したり再生したりを繰り返したある日、おれはラー・ユガー盗賊団と合流した。そこは元騎士やハンターもいたから、ちょっと他のに比べて強かった。仲間もどんどん増えていって、名前も知られるようになってきた」
ほんの少しだけ、誇らしげになるクワン。しかしラトゥンとギプスは、首を横に振る。これは盗賊の成り上がり話だと思うと、手放して喜べない。
「そんな中、あなたは組織の幹部になった」
エキナが言うと、ギプスは給水作業を終えてハッチを閉めた。
「おう、それそれ。名のある盗賊団の幹部じゃ。何か特技でもあったのか?」
「人より多少要領がよかった。それと顔と体」
優男は皮肉げな表情を浮かべた。
「これになる前は、割と可愛がってもらったものさ」
文字通り、体一つで成り上がった。自分から取り入ったのか、あるいは団に入った後、大人たちにやられたかは、クワンが言わない限りはわからない。
――確かにアジトじゃ、戦闘に加わることはなかったな。
ラトゥンは記憶を辿る。頭領のギラニールのことを『旦那』呼びしていたのは、その辺りも関係しているのかもしれない。
「で、幹部に成り上がったわけだ。それで、聖教会の悪魔との関係は?」
「おれが盗賊団に入った頃には、もう繋がりがあった。連中の指名する場所で仕事をして、商売のあがりの一部をはねていた」
そうすることで、お目こぼしされていたというか、処理されずに利用されていた、とクワンは説明した。
これまた、ありそうな話で、取り立てて不審な点はない。ただ引っかかっていることがある。ラトゥンは記憶を呼び覚ます。
以前、クワンは何と言っていたか。――聖教会の仕事で盗賊団をやっていた。だが根っから、あの悪魔たちの駒だったわけじゃあない。
『おれが盗賊団に入った頃には、もう繋がりがあった』
辻褄が合わないそれに気づいてしまったからラトゥンは、どこか納得しているような顔のギプスに言った。
「あまり間に受けるな。こいつの言った話は嘘だぞ」
「嘘?」
ギプスとエキナは目を見開く。クワンは大仰に肩をすくめた。
「おいおい、酷いぜ、ラトゥンの旦那。おれが嘘なんて――」
「矛盾点を一から指摘してやろうか? 面白い話だったよ。いい時間潰しになった」
ラトゥンが言えば、降参とクワンは両手を広げ、荷台に寝っ転がった。
「結構、本当の話だったんだけどなぁ……。嘘も混じっていたけど」