クワンは、ラー・ユガーだった。
魔女の口から明かされたそれに、ギプスもエキナも目を剥いた。
ラー・ユガー盗賊団の幹部を自称していた男が、実は組織の名前を持った当人だった。つまり、幹部ではなく、ボスだった可能性が出てきたのだ。クワンと名乗っていたそれが、嘘であることは、すなわち周りを騙していたことになる。
――まあ、こいつが色々嘘をついているのは知っていた。
ラトゥンは、薄々嘘に気づいていたから、特に表情には出さなかった。さすがにボス本人だったとは思わなかったが。
ばつの悪い顔をしているクワン。魔女の言葉はどうやら本当のようだと、周りは受け取った。
「おれは――」
クワンは、些か躊躇い、周りを見ずに魔女を真っ直ぐ見つめた。
「元の体に戻りたい」
男ではなく、元の女に。その部分は、嘘ではなく本当なのだろう。フードを被り、表情も見えずらい魔女の顔、しかし紅の唇が笑んだ。
「それが君の願いかい? クワン、それともラー・ユガー?」
「どちらでもいい。頼む、元の体に――」
「駄目だ」
魔女は冷淡に返した。
「駄目……?」
「そうだよ、君は何を勘違いしているのか。私が君の願いを叶えるわけがないじゃないか」
「!? な、何故――!? おれはここに――」
「言わないとわからないのかい? ならば教えてやろう。私は親切だからねぇ」
魔女は顔を前に出した。
「君は、私の白い毛並みちゃんと戦っていない。それが答えさ」
「!?」
「言うなれば、前と同じさ。誰かを盾にして、ここにきた。それだけで、願いを叶えてやる道理はないよ」
煙管を吸う魔女。
「今回ペナルティーがないのは、ちゃんと順番を守ってここにきた。白い毛並みちゃんを倒したラトゥンの後にね。今回はちゃんと真っ当にきた。だから私は何もしないよ」
魔女は紫煙をくゆらせる。
「そういうわけだから、周りの二人――ギプスと、エキナだったか。君たちも何か願いがあったとしても私は何もしない。願うことを許されるのは、白い毛並みちゃんと戦い、それを倒したラトゥンだけだ」
俺だけ――ラトゥンは、左右のギプス、そしてエキナを見やる。ドワーフは肩をすくめた。
「まあ、そういうルールなら、そうなんじゃろうて。わしは、お前さんたちの案内をしただけじゃから。今さら願いなど――」
言いかけ、俯いた。
「いや、もしかしたら、とは思っておったが、まあ、個人的なことじゃ、気にするな」
願いがあるとか、言っていたような気がする。ラトゥンは思い出したが、ギプスがそれ以上言うつもりがないのを察し、黙ることにした。
「わたしは、ラトゥンが願いを叶えられるのなら、それで」
エキナは迷いもなく、すらすらとそう言った。
「そのために一緒にいたので、わたしは別に願いとかはないです」
「物分かりがよいことだ」
魔女はニヤニヤしている。
「結構。素直なのは私は好きだよ。さて、ラトゥン――」
魔女は座り直した。
「聞こうか、君の願いを。……私は気が短い上に、気が変わりやすい。話すのなら、今のうちだよ」
「元の体に戻りたい」
ラトゥンは単刀直入に言った。
「あんたも戦いを見ていたのならわかるだろう。俺は今、悪魔の体だ。悪魔に乗っ取られつつある。完全に悪魔になる前に、元の……人間の体に戻りたい」
「あれは凄かったね」
魔女は笑みを崩さなかった。見ていたというのは本当だから、ラトゥンが今さら悪魔だといったところで、驚きもしない。嫌悪や恐怖という、悪魔に対して抱く当たり前の感情も無縁なようだった。
「ただの悪魔でもないね。あの力は、上級悪魔のそれも上回っている。……そうだねぇ、君は、『暴食』だろう?」
「!」
見てわかるのか、とラトゥンは図星をつかれて驚いた。
とはいえ、あれだけ派手に、敵――白い毛並みちゃんを腕に取り込んだのだから、知識量もおそらく半端ないだろう魔女にはわかるのかもしれない。
ラトゥンは表情には出さなかったが、ズバリ言い当てた魔女に、エキナは驚いていた。しかしギプスは――
「暴食? なんじゃそれは」
「最上級悪魔の一つだよ」
クワンが低い声で答えた。
「確か、聖教会が追っていた最上級悪魔だ。何で悪魔同士で追いかけているのかはわからないが」
「俺が暴食だから何だと言うんだ?」
ラトゥンは、真っ直ぐ魔女を見据える。
「俺は人間に戻りたい。下級悪魔だろうが、最上級悪魔だろうが、人に戻るなら関係ない。俺があんたに願うことはそれだけだ」
「ふむ……」
魔女は考え込む。ラトゥンは問いを投げる。
「できないか?」
願いを叶える魔女の力が頼りだったのだが、限度があったか。期待していただけに、もし叶わないとなると、どうしたらいいのかわからなかった。
「惜しい……」
ボソリと魔女は言った。
「何だって?」
「……ラトゥン、君は、人間でいた頃よりも、今の方が圧倒的に強い」
魔女は煙管を置くと、立ち上がる。すると彼女の後ろに青い火の玉のようなものが複数浮かんだ。
「人魂!? 幽霊か――!?」
「これはね、人の魂だよ」
魔女は笑った。火の玉のようなそれに手を伸ばすと、鳥かごのような小さな檻が当たった。
「私の個人的なコレクションというやつだよ。ちょっと理解が及ばないことに遭遇した時とか、気分を落ち着ける効果があるのさ」
魔女は、ラトゥンの考えが理解できなかったようだった。特に取り乱した様子もなかったが、精神の安定を図る必要があるほど衝撃だったのか。
「君たちも、落ち着きたい時は真似するといい」
「あいにく、人魂の持ち合わせがなくてね」
「なに、人魂である必要はない。ただの炎でもいい。……いや、今はどうでもいい話さね」
魔女は話を戻した。
「それで、ラトゥン、君は人間を超えた存在になったのだろう? 何故、人間に戻りたがるのかな? その力を手放して、ただの人間に戻る。それでいいのか?」
「悪いのか?」
ラトゥンは挑むように言った。
「悪魔は嫌われ者だ。それでいるより、人間の方がいい。……おかしいか?」
「人は、力の魔力に溺れる。一度得たものを失うのを嫌がるものだ」
魔女は、檻の中の魂を、ペットを愛でるような顔をした。
「だから、おかしいといえばおかしいんだ。だから私は、問うたわけだ。何故、とね」
「誰もが力に溺れるわけじゃない」
ラトゥンは答えたが、心の中で別の答えが浮かんだ。
「いや、違うな。力があり過ぎる。だからそれが『怖く』もある。このまま力に取り込まれたら、俺は、俺でなくなってしまう。……それが怖いんだ」
人としてのラトゥン――ラトは消え、心身とも暴食に成り果てる。その力を自在に振るい、まさに悪魔の如く。
「俺は、それを望んでいない」