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第122話、人と悪魔の境界線


「あれ、ちょっとヤバくない?」


 クワンが引いた様子で指すのは、ランサの村。そこで暴食の悪魔が燃え盛る家屋をその左手で破壊して回っている。

 実際は喰らっているのだが、左手で建物の壁などをごっそり抉り取り、崩す姿は、破壊行為に映った。


「火を消して回っている……?」


 アリステリアが、わずかに首をかしげる。炎に包まれ、容易に近づけない村から、火を消している風にも見えたのだ。


「どのみち、わしらには今は何もできん」


 村の周りで、不審な存在はいないか警戒しつつ、ギプスは一瞥をくれる。エキナは不安そうに暴食――ラトゥンを見つめる。


 傍目にも、暴食の行動はどこか違和感があった。一番、彼を見ているのはエキナで、それ以外の面々は、ラトゥンの暴食姿をあまり見たことがない。だがそれでも妙な雰囲気を感じとっている。


「ラトゥン……」


 何があったのか、エキナの心中は荒波にもまれる小舟のように揺れていた。

 彼は教会に入った。あの地下に下りて、元神殿騎士だった自動人形、そして村人の魂が封じられた自動人形兵の様子を見に行ったはずだ。


 そして、おそらく見たのだろう。炎に炙られ、壊れた人形兵たちを。特にエポドスと呼ばれた作業人形の中に封じられたアイガーという人物について、ラトゥンの知り合いだった。


 元神殿騎士らしいが、あの聖教会嫌いのラトゥンが見逃し、気にかけるほどだ。おそらく良い人だったのだろう。そういう人を目の前で失ったとしたら? ラトゥンが感情に囚われ、その隙を暴食に狙われてしまうのではないか。


 今は何もできなかった。暴食が村の炎を喰らい、取り除くまでは。



  ・  ・  ・



 頭の中が、ぼー、とする。暴食は、廃墟しか残っていないランサの村に立っていた。

 あれだけ燃えていた火は消えた。本能が求めるまま、すべてを喰らい尽くした。


 吹き抜ける風が肌を撫でる。高温にさらされていた体から蒸気が上がっている。どうしてそうなのか暴食――ラトゥンの思考が追いつかなかった。


 今、彼の脳裏にあったのは、虚無感だった。

 あれだけ突き動かしていた衝動はなくなり、しかし満たされない心に虚しさが込み上げる。


 ――俺は、何をしている。何をしたのか……。


 大きく抉られたような、何か大事なものが、ごっそりなくなってしまったような感覚が押し寄せる。それが何なのか、わからないまま。


 空が青い。何事もなかったような空。いつも見せるその色。変わらないもの。

 しかし、木材の焼けた臭いが鼻をつき、ここで起きた惨事をラトゥンに忘れさせない。どうしてこうなった……?


「ラトゥン」


 呼びかけられ、わずかに頭を動かす。エキナとアリステリアが、焦げた村の中へと足を踏み入れ、やってきた。


「大丈夫ですか?」

『……ああ』


 返事をするが、それ以上の言葉が浮かばなかった。何か言うべきだった気がするが、何を言うのが、それが浮かばない。


「どこか、怪我でも?」


 エキナが気をつかう。それが心地よかった。


『いや』


 怪我はない。多少の傷なら、再生する。この悪魔の体は、そうできている。しかし返事はやはり淡白だった。

 何か言うべきだろうか――またもそう脳裏を過ったが、言葉も浮かばず、また面倒臭く感じてきた。


 そんなラトゥンを見て、どう言えばいいのかエキナは躊躇う。一方でアリステリアが口を開いた。


「それで、いつまでその姿で、いるつもりなのかしら、ラトゥン?」


 その姿とは――ラトゥンは一瞬考えてしまう。何かおかしいだろうかと考え、理解した。


『あぁ』


 暴食の悪魔、その姿のままだった。事が終われば人の姿に化ける。それは暴食を狙う聖教会から身を隠すための知恵だった。


 ――この姿が本来の姿なんだが……。


 そう思ったところで、ラトゥンは頭に手をやった。

 暴食に取り憑かれて、体は悪魔になった。だからこの姿が本来の姿であるのは、間違いない。しかし、そこではたとなる。


 ――いや、俺は人間だ。


 悪魔ではない。体がそう変化してしまっただけで、ラトゥンは人間だ。心は人間のはずだった。それが悪魔が自然だなどと……。


「ラトゥン、大丈夫ですか!?」


 エキナの声が先ほどより緊迫感があった。様子がおかしいことに気づいたのかもしれない。ラトゥン――暴食は手を振る。


『問題ない。……大丈夫』


 人の姿に――そう考え、自分が普段どんな姿をしていたのか、思い出せなくなる。ラトゥンの姿は、もちろん、脳裏に残っていたラトだった頃の姿も。ぼんやりとして、少しずつ形をとりつつあったが、それがはっきりしない。

 記憶が混濁しているのか? 自分がラト、ラトゥンであるのはわかるが、それが本当に自分なのか自信がもてなくなる。


 ――オレは、暴食。……悪魔。


 こちらが自然なのだ、という感情。いや、違う。


 ――俺は、人間だ!


 体が縮む。人の形に、人の姿になる。視線を、心配そうな顔をしているエキナに向ける。


「どこか、おかしいところはあるか?」

「いえ、どこも。ラトゥンはラトゥンですよ」

「……そうか」


 安心して、思わず息を吐き出した。思ったより呼吸が乱れている。気持ちを落ち着け、深呼吸。


 ――意識が、暴食と混ざり始めている。


 ラトゥンは顔には出さないが、その事実に戦慄した。これまでは、何となく、ぼんやりとした不安だったが、今ははっきりと自分が飲まれつつあるのを自覚した。


 暴食の姿になることで、より暴食そのものになり、それに違和感がなくなる。業火に包まれたランサの村には、悪魔の姿でなければとても入れなかったから仕方がないとはいえ、いよいよ危ないところまできた。


 これ以上は、本当に人間であることを忘れてしまう。そしてそれに対して、抵抗がなくなりつつある。あまつさえ、このまま悪魔になってしまっても、自分自身何が変わるのだろうか、などと思ってしまう始末だ。


 聖教会への復讐。そして、自身を人間に戻す。そのために、これから王都に向かい、聖教会の総本山である大聖堂へ行かなくてはならない。


 荒事となれば、暴食の力を借りることになるだろうが、次にその姿になったところで、果たしてラトゥン――ラトの心のままでいられるかどうか、自信がなかった。

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