目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第134話、彷徨う心


 人工魔石を回収することになった。

 それと使う使わないはともかくとして、悪魔の工房にそのままにしておけない。ラトゥンとアリステリアはそう決めた。


 慎重に地下工房に戻る。輪郭悪魔がどうなったか、確実に仕留めたかわからなかったからだ。


 焦げた臭いがしたが、悪魔の痕跡はどこにもなかった。人工魔石を作っていたゴブリンもどきの死体は、生焼けの状態で転がっていた。記憶が回収できるかわからないが、ラトゥンは暴食の腕でそれを処理した。


 壁に並べられていた人工魔石を取り、袋にしまう。黄、青、緑、赤と色とりどり。魔石というより、磨かれて宝石のようだった。


「これが人間だったなんて、気が滅入る」


 悪魔の所業だ。憎悪の感情しか浮かばない。

 この魔道具屋は、フィエブレとかいう組織の傘下らしい。ここを潰したとして、人工魔石製造から手を引く可能性は? 職人がいなければ、そもそも無理だろうが、他にも人工魔石作りの職人がいたら?


「ラトゥン」

「何だ――」


 振り返った時、アリステリアの指が、ラトゥンの口を押さえた。


「今、フィエブレを潰そうとか、考えていなかった?」

「……どうかな。いや、思ったかも」


 聖女は、心が読めるのか。そんな素振りはこれまでなかったが、ラトゥンは眉をひそめた。


「何でわかった?」

「難しい顔をしていたから。たぶん、そうじゃないかって」

「そんなわかりやすい顔をしていたかな、俺は」


 あらかた回収し終わったので、外へ出るべく階段へと足を向ける。


「ラトゥンは、聖教会の大聖堂へ行くのよね?」

「そうだな」


 大聖堂地下にある奇跡の石を手に入れれば、ラトゥンは暴食を体から引き離し、ラトに戻ることができる。同時に聖教会本部を潰し、復讐を果たす。


「自分の目的があるのに、フィエブレという組織とも事を構えようとしてる?」

「目の前で、人が不幸な目に遭っている、あるいは遭おうとしているのを、見て見ぬふりをしていいのか……」


 ラトゥンはしばし迷う。


「わかっている。目的を果たすべく、前へ進むべきだ。寄り道をしている場合は……」


 寄り道もいいのではないか? そんな言葉がもたげる。

 自分のちっぽけな正義感で、泥沼に浸かろうとしている。フィエブレがどれほどのものかわかっていない段階で、軽はずみに手を出して、大聖堂どころではなくなってしまうのではないか?


 それは本当に正しいのか。為すべきことができなくなっては、これまでの旅は無意味になってしまうのではないか。


「俺は、昔はハンターだった」

「うん」


 アリステリアは頷いた。


「ガキの頃から、ハンターという職業に正義の味方のような、ヒーローみたいなものと思って憧れていた」

「子供というのは、そういうものでしょう?」

「強い者に憧れる。そうかもしれない」


 ラトゥンは首を振る。


「現実は、そこまで正義の人ではないし、格好のいいものではなかった。でも、そうであろうとはした」


 一部のハンターからは白い目で見られた。かつて所属していたギルドのマスターも、正義感で動くラトをよく思っていなかった。


「暴食に憑かれて、悪魔になった。それでも奥底にあるものは、変わらない。皮肉なことに……」

「人も、悪魔も、清い心もあれば悪しき心もある。姿形は、さほど重要ではないのかもしれない」

「やめてくれ。それでは俺は剣を振るい難くなる」


 苦笑するラトゥンである。悪魔は全部敵であれば、戦いでも容赦なく剣を振るえる。


「全部が敵、という考えはよくないと思うな、わたくしは」


 アリステリアは笑う。


「人間だって、そうでしょう?」

「それは、そうだな」


 人だって悪い奴はいる。だがそれを以て、人類全てが悪い、悪だとはならない。もしそれを一方的に決めつけるのだとすれば、それは差別と偏見というものだ。


「しかし、そう考えると、人は悪魔を無条件で悪と見ているよな。決めつけている」

「そうね……」


 アリステリアは考える素振りを見せる。


「圧倒的に敵。そもそも名前からして悪い魔だものね。人と同じように考えること自体、無理があるかもしれない」


 でも、と彼女はラトゥンを覗き見た。


「ラトゥンは悪魔だけれど人だもの。あなたは人として考えていいんじゃない」

「いつまで人でいられるか……」


 自嘲がこぼれる。


「人の姿をしている間は大丈夫だと思うが、暴食の姿をしていると、その思考が悪魔のそれに染まって、人である俺が溶けて飲み込まれていくような……」

「ラトゥン……?」

「上手く言えないが、境界がなくなっているというか、暴食そのものになりつつあるような、そんな気がしてきているんだ」


 それが怖い。いつか人間であるラトゥンは消えて、暴食と一体になる。暴食の姿になることでそれが進んでいると思うのだ。


「あと何回、暴食の姿になれるかわからない。いや、なることは簡単だが、人間である俺ではなくなる……。それがなければ、大聖堂は後回しにしてもフィエブレを潰してやろうと思えた」


 いつまで今の自分でいられるかわからない。時間はあまり残されていないかもしれない。


「自分優先なんだ、俺は。ヒーローにはなれない」

「あなたの心は気高いと思うわ」


 アリステリアは微笑んだ。


「物事には優先順位というものがある。それを決めるのは自分自身。そして生きてこそ、自分自身を保ってこそ意味があるの。身を滅ぼしてでも人のために、というのは賞賛されるけれど、わたくしは、身を滅ぼすのは自己満足だと思う。……もちろん、咄嗟の場面とかは別よ。他に手がなかった場合も別だけれど」


 取り繕うように、アリステリアが補足した。


「生き続ければこそ、人のためにもっと動ける。助けられる。あなたが暴食から人に戻れれば、またハンターに戻って、ヒーローになればいいのよ」

「生き続ければ、か。そうだな……」


 そのためにも、大聖堂から奇跡の石を手に入れ、そして聖教会と戦わないといけない。


「それとラトゥン、わたくし思うのだけれど……」

「何だ?」

「優先順位の話だけど、聖教会とフィエブレ、どちらを優先すべきかって、被害者の数を考えたら断然、聖教会の方が問題じゃないかしら?」

「……。……それはまあ」


 そうかもしれない。ラトゥンは頷いた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?