人工魔石を回収することになった。
それと使う使わないはともかくとして、悪魔の工房にそのままにしておけない。ラトゥンとアリステリアはそう決めた。
慎重に地下工房に戻る。輪郭悪魔がどうなったか、確実に仕留めたかわからなかったからだ。
焦げた臭いがしたが、悪魔の痕跡はどこにもなかった。人工魔石を作っていたゴブリンもどきの死体は、生焼けの状態で転がっていた。記憶が回収できるかわからないが、ラトゥンは暴食の腕でそれを処理した。
壁に並べられていた人工魔石を取り、袋にしまう。黄、青、緑、赤と色とりどり。魔石というより、磨かれて宝石のようだった。
「これが人間だったなんて、気が滅入る」
悪魔の所業だ。憎悪の感情しか浮かばない。
この魔道具屋は、フィエブレとかいう組織の傘下らしい。ここを潰したとして、人工魔石製造から手を引く可能性は? 職人がいなければ、そもそも無理だろうが、他にも人工魔石作りの職人がいたら?
「ラトゥン」
「何だ――」
振り返った時、アリステリアの指が、ラトゥンの口を押さえた。
「今、フィエブレを潰そうとか、考えていなかった?」
「……どうかな。いや、思ったかも」
聖女は、心が読めるのか。そんな素振りはこれまでなかったが、ラトゥンは眉をひそめた。
「何でわかった?」
「難しい顔をしていたから。たぶん、そうじゃないかって」
「そんなわかりやすい顔をしていたかな、俺は」
あらかた回収し終わったので、外へ出るべく階段へと足を向ける。
「ラトゥンは、聖教会の大聖堂へ行くのよね?」
「そうだな」
大聖堂地下にある奇跡の石を手に入れれば、ラトゥンは暴食を体から引き離し、ラトに戻ることができる。同時に聖教会本部を潰し、復讐を果たす。
「自分の目的があるのに、フィエブレという組織とも事を構えようとしてる?」
「目の前で、人が不幸な目に遭っている、あるいは遭おうとしているのを、見て見ぬふりをしていいのか……」
ラトゥンはしばし迷う。
「わかっている。目的を果たすべく、前へ進むべきだ。寄り道をしている場合は……」
寄り道もいいのではないか? そんな言葉がもたげる。
自分のちっぽけな正義感で、泥沼に浸かろうとしている。フィエブレがどれほどのものかわかっていない段階で、軽はずみに手を出して、大聖堂どころではなくなってしまうのではないか?
それは本当に正しいのか。為すべきことができなくなっては、これまでの旅は無意味になってしまうのではないか。
「俺は、昔はハンターだった」
「うん」
アリステリアは頷いた。
「ガキの頃から、ハンターという職業に正義の味方のような、ヒーローみたいなものと思って憧れていた」
「子供というのは、そういうものでしょう?」
「強い者に憧れる。そうかもしれない」
ラトゥンは首を振る。
「現実は、そこまで正義の人ではないし、格好のいいものではなかった。でも、そうであろうとはした」
一部のハンターからは白い目で見られた。かつて所属していたギルドのマスターも、正義感で動くラトをよく思っていなかった。
「暴食に憑かれて、悪魔になった。それでも奥底にあるものは、変わらない。皮肉なことに……」
「人も、悪魔も、清い心もあれば悪しき心もある。姿形は、さほど重要ではないのかもしれない」
「やめてくれ。それでは俺は剣を振るい難くなる」
苦笑するラトゥンである。悪魔は全部敵であれば、戦いでも容赦なく剣を振るえる。
「全部が敵、という考えはよくないと思うな、わたくしは」
アリステリアは笑う。
「人間だって、そうでしょう?」
「それは、そうだな」
人だって悪い奴はいる。だがそれを以て、人類全てが悪い、悪だとはならない。もしそれを一方的に決めつけるのだとすれば、それは差別と偏見というものだ。
「しかし、そう考えると、人は悪魔を無条件で悪と見ているよな。決めつけている」
「そうね……」
アリステリアは考える素振りを見せる。
「圧倒的に敵。そもそも名前からして悪い魔だものね。人と同じように考えること自体、無理があるかもしれない」
でも、と彼女はラトゥンを覗き見た。
「ラトゥンは悪魔だけれど人だもの。あなたは人として考えていいんじゃない」
「いつまで人でいられるか……」
自嘲がこぼれる。
「人の姿をしている間は大丈夫だと思うが、暴食の姿をしていると、その思考が悪魔のそれに染まって、人である俺が溶けて飲み込まれていくような……」
「ラトゥン……?」
「上手く言えないが、境界がなくなっているというか、暴食そのものになりつつあるような、そんな気がしてきているんだ」
それが怖い。いつか人間であるラトゥンは消えて、暴食と一体になる。暴食の姿になることでそれが進んでいると思うのだ。
「あと何回、暴食の姿になれるかわからない。いや、なることは簡単だが、人間である俺ではなくなる……。それがなければ、大聖堂は後回しにしてもフィエブレを潰してやろうと思えた」
いつまで今の自分でいられるかわからない。時間はあまり残されていないかもしれない。
「自分優先なんだ、俺は。ヒーローにはなれない」
「あなたの心は気高いと思うわ」
アリステリアは微笑んだ。
「物事には優先順位というものがある。それを決めるのは自分自身。そして生きてこそ、自分自身を保ってこそ意味があるの。身を滅ぼしてでも人のために、というのは賞賛されるけれど、わたくしは、身を滅ぼすのは自己満足だと思う。……もちろん、咄嗟の場面とかは別よ。他に手がなかった場合も別だけれど」
取り繕うように、アリステリアが補足した。
「生き続ければこそ、人のためにもっと動ける。助けられる。あなたが暴食から人に戻れれば、またハンターに戻って、ヒーローになればいいのよ」
「生き続ければ、か。そうだな……」
そのためにも、大聖堂から奇跡の石を手に入れ、そして聖教会と戦わないといけない。
「それとラトゥン、わたくし思うのだけれど……」
「何だ?」
「優先順位の話だけど、聖教会とフィエブレ、どちらを優先すべきかって、被害者の数を考えたら断然、聖教会の方が問題じゃないかしら?」
「……。……それはまあ」
そうかもしれない。ラトゥンは頷いた。