「お帰りなさいませ、大司教猊下」
老司教、ガハバトは、王城から馬車で戻ってきたヒュイオス大司教を出迎えた。武装神官のみならず、神殿騎士が警護についているそれは、厳重そのものであった。
無理もない。この王都に、かの暴食が潜入しているという情報がある。聖教会に恨みを持つ暴食が、いつ仕掛けてくるかわからず、聖教会は厳戒態勢をとっている。
大聖堂へ入るヒュイオスは、顔色ひとつ変えず言った。
「暴食に動きはあったか?」
「いいえ、今のところは何も」
神殿騎士団も動員し、暴食とその仲間たちの手配書を王都に配布している。目撃情報があれば、すぐに伝わるようできている。
「仲間については、目撃報告があり、尾行、もしくは捕獲に動いたのですが、見失ったというのが現状でありますな」
「暴食はともかく、人間の仲間すら捕まえられないのか」
ヒュイオスの声は普段から重々しい。あまり感情を見せないのだが、それでも僅かに苛立ちが混じっているのを、付き合いの長いガハバトは気づくのである。
「まあよい。捜索はかかっているのであろう?」
「もちろんです、猊下」
二人は、大聖堂の奥の別棟へ進む。神官たちが頭を下げるが、まるで壁の飾りとばかりに関心を示さない大司教と司教であった。
会議室に到着すると、他の幹部はすでに揃っていた。ガハバトは口を開く。
「では大司教猊下……」
「うむ」
王城にヒュイオスが行った、その報告を皆が拝聴する。
「王の病はますます進行しておる。もう二週間ともたないだろう。……国が荒れるぞ」
その言葉に、ほとんどの幹部がニヤリとした。ここにいるのは悪魔ばかり。人間の王が死ぬこと、そしてその後に起こる騒動に、如何ほどの同情もない。
むしろ、混沌を待っていた。
「第一王子と第二王子、どちらが次の王となるか……」
ガハバトは、ヒュイオスを見た。
「あの王は、何か言っておりましたかな?」
「王としては、不出来の長男よりも、優秀な次男を王にしたい――その考えに変わりはないようだ」
「それは……」
司教たちは小さく笑った。
「荒れますな。間違いなく」
「その不出来の王子は、自分こそ王にふさわしいと豪語しておりますから……」
「あれは人族にあって、尊大さと勘違いでできているゴミですからな。……よくもまあ、あの王からあのような馬鹿が生まれたものです」
司教らは、第一王子に対して嘲りの言葉を吐いた。本人がいれば怒髪天を衝く光景が見られただろうが、あいにくとこの場に王子はいない。
悪魔でさえ、聖書が読み、その文言を口にできるのに、あのボンクラ王子は、祈りの言葉さえ記憶できず、成人してなおスラスラ言えたことがない。
「まあ、そのように歪められましたからな。あまり言ってやりなさるな」
とある司教はそう肩をすくめた。王子の教育係の一人は、聖教会から派遣された聖職者である。当然、その中身は悪魔なので、ろくな人間にならないよう仕込みはしてあった。幼き頃よりそうだったのだがら、歪で矮小な人間に育つのも無理もなかった。
「第一王子と第二王子は、争うだろう」
ヒュイオスは告げた。
「欲に塗れた者たちが第一王子につき、国を思う者は第二王子につく。我々は両方を支援するが――」
どちらが倒れても生き残れるように、であるが。
「どちらを優先するかと言われれば、当然、第一王子である」
「馬鹿が王であれば、国は乱れますからな」
ガハバトはしたり顔である。
「暗君の時代こそ、人は救いを求める。我ら聖教会に」
悪魔は狡猾である。実力行使に出れば、国一つ獲ることはできなくはない。だが悪魔の国となれば、周辺国も黙ってはいない。
だから表には出ない。人間たちの裏で暗躍し、影の支配者ポジションにいる。そうすれば、国の乱れ、それに対する怒りは、人間の指導者に向き、悪魔たちは素知らぬ顔のまま、こっそり裏で支配できるのである。
聖教会には枢機卿がいるが、それも表向きの盾であり、実質、大司教のヒュイオスが聖教会を牛耳っていた。
「さて、人間どもの話はこれくらいにして、各部門の報告を聞こう」
ヒュイオスが指示すれば、ひとりずつそれぞれの担当においての近況報告を行う。
「――自動人形兵の新生産工房は、来月に完成となります。第一陣の魂は、工房製造に携わった労働者たちを使います」
先日、暴食がランサの町の自動人形兵の地下工房を破壊した結果、聖教会では自動人形兵の補充ができずにいた。現存するものの整備や補修は可能であるが、新規補充ができないのは問題だった。
特に今後の王国の情勢悪化を考えれば、自動人形兵の動員機会も増えると予想されている。
「王子同士の武力衝突の方が早いやもしれぬ。工房の完成を急がせるのだ」
大司教はそう告げた。
「モンスター製造部門」
「はっ、現在、新型のフレッシュゴーレムの開発を急いでおります」
担当部門の司教が答えた。
「従来の二倍の大きさを予定しておりますが、使われる新鮮な肉の調達については、問題なく」
「あまり襲撃などしてくれるなよ」
別の司教が口を挟んだ。
「人間を殺しすぎては、収支に影響する。大事な金づるである」
「飢饉が発生して、税を納められなくなった村を処理する予定だ。心配なく」
「……その飢饉、仕込んだないだろうな?」
「まさか。だが二年連続だからな。さすがに去年と違って、もう出せるものもないだろう。どうせ飢餓で死ぬなら、使ってやろうというのだ」
司教たちが話すのを、ヒュイオスは黙って聞いていた。
人から搾取し、利用し、使えないとあれば実験や材料とする。聖教会の名とかけ離れた非道っぷりは、さすが悪魔の巣窟である。
着々と、国内の乱れに備える聖教会であるが、ヒュイオスは、やはり暴食の存在が気になっていた。
あの悪魔の力があれば、この世界にさらなる混沌を呼び寄せられる。今のままでも悪魔は強いが、より強大な力を得られれば、裏から人類を支配するという手を使わずとも、堂々と表から支配できるのではないか。
――そのためにも、暴食の力を手中に収めなくてはならぬ。
ヒュイオスは、会議をよそに、窓から王都の風景を見つめるのであった。