日に日に涼しさを増す風が、頬に当たる。夏も峠を過ぎて日が沈むのも早くなってきたけれど、もうこの時間帯には関係ない。
夜も九時を回ろうかというときに、
寺戸はしばし逡巡する。ドアを開けたらどうなるかは目に見えていたが、それでもここは自分の家だから帰らないわけにはいかない。
寺戸は意を決してインターフォンを押した。玄関にやってくる足音が、自分を責めているかのように感じられた。
「瞬、おかえり」
ドアを開けた
「今、ご飯準備するから、ちょっと待っててね」とダイニングに向かっていった奈月をよそに、瞬はリビングに向かっていく。
テレビの電源を切って、
「お、お父さん、ただいま」
寺戸がびくついたように言っても、隆志はいかつい表情をやめなかった。「瞬、ちょっとそこに座りなさい」と言われ、寺戸もそのまま床の上に腰を下ろす。
「こんな時間まで何してたんだ?」
隆志の疑問は至極当然だと、寺戸には思える。
でも、声色には怒りや不満が隠せていなかったから、寺戸は竦み上がってしまう。
「ちょっと、友達と遊んでた。カラオケしたり、スポッチャしたりして」
「それは、こんな遅くまでしなきゃならないことだったのか?」
寺戸は押し黙る。何を言っても釈明にはならないと感じる。隆志の責めるような視線が、刺さるように痛い。
だけれど、次の瞬間には寺戸は頬にひどく現実的な痛みを感じていた。隆志が平手で寺戸の頬をぶったのだ。破裂音にも似た大きな音が、リビングに響く。
きっとそれはダイニングまで届いていただろう。でも、奈月は二人のもとにはやってこなくて、寺戸はじんじんとした痛みとともに、心もとなさを抱えてしまう。
それでも、隆志は厳格な目をしたままでいた。
「瞬! 何とか言ったらどうなんだ!」
隆志は、再び寺戸の頬をぶつ。瞬間、鋭い痛みが寺戸に走る。
手で触って張られた頬の感触を確かめながら、寺戸はそれでも隆志を見ることしかできない。頬を張られるのも、原因は自分にあると思ってしまっていた。
だけれど、隆志は寺戸に見つめられてさらに激昂したのか、おもむろに立ち上がる。そして、寺戸の背中を今度は拳を握りながら殴ってきた。
何度もなされる容赦のない殴打に、寺戸は身を屈めるしかない。
「なんだ、その目は! まずは門限を破ってごめんなさいだろ!」
「ご、ごめんなさい。お父さん。門限を破ってしまってごめんなさい」
「お前は、どれだけ俺たちに迷惑をかければ気が済むんだ! そんなに俺たちが嫌いか! そんなに俺たちが憎いか!」
「そんなことはないです。お父さんやお母さんに迷惑をかけてしまって、申し訳ありませんでした。もう二度としません」
寺戸がそう言うと、隆志はようやく殴るのをやめた。「瞬、顔を上げろ」と言われて、寺戸は言う通りにする。
すると、最後にもう一度平手で頬をぶってきた。その痛みに寺戸は涙が出そうになったけれど、どうにか堪える。
「ああ、もう二度とするなよ。俺はお前を心配して言ってるんだからな。これから門限は絶対に守れよ。それがお前のためになるんだからな」
隆志がそう言って、寺戸も頷いた瞬間、ダイニングにある電子レンジが鳴った。夕食ができた合図だろう。
隆志に「ほら、飯食いに行け」と言われて、寺戸はようやく立つことを許される。
ダイニングに行くと、テーブルには肉じゃがとサラダに、ご飯が盛られて置かれていた。でも、それも一人分で、奈月ははっきりと右の頬が赤くなった寺戸にも「ご飯食べたらお風呂に入ってね。用意できてるから」と言うだけで、リビングに向かっていってしまう。
バラエティー番組の陽気な笑い声がリビングから聞こえるなか、寺戸は一人肉じゃがに箸を伸ばす。温かい肉じゃがは優しい味わいだ。
食べ進めるうちに、寺戸の頬には伝うものがあった。
門限を破ったのは確かに自分が悪い。でも、何度も殴られるほど自分は許されないことをしたのだろうか。
寺戸にはそれが分からず、ただ箸を動かし続ける。テーブルに一筋の涙がこぼれたけれど、隆志や奈月はそれを気にする素振りをまったく見せなかった。