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第71話


「では、寺戸さん。少し緊張を解すためにも、まずは軽めの話をしましょうか。寺戸さんは何か好きなことや趣味はありますか? 何をしているときが、一番楽しく感じられますか?」

 やはり寺戸からの反応はない。目もずっと長机に落とされている。雫にとっては面接の導入となる定番の質問だが、寺戸は答えたくはないのだろうか。

 でも、そのまますぐに本題に入ることは雫にはしづらくて、どうにか頭を回して言葉を捻りだす。

「あの、ちなみになんですけど、私は音楽を聴くのが好きで。特に邦楽のバンドの曲を聴くことが多いんです。好きなバンドもいくつもありますし、以前東京に住んでいたときには、それこそ何回かライブハウスに足を運んだりもしていました。長野にもライブハウスはあるんですけど、忙しくてなかなか行けてないので、いつか行ってみたいと思っています」

 寺戸が話さないのなら、自分から話すしかない。自分から心を開くことで、寺戸も心を開いてくれるかもしれない。

 そう願って雫は自分の趣味を話したのだが、相変わらず寺戸の反応は鈍かった。先ほどから視線はずっと上がっていなくて、雫には声が届いている実感が乏しい。

 そこまで怯えているのか、もしくは意図的なものなのか。寺戸の俯きかけた表情から、その真意を読み取ることは雫にはできなかった。

「……もしかして、寺戸さんは趣味の話などはしたくありませんか? 私としては、本題に入る前に少しでも寺戸さんと話しておきたいのですが」

 そう言ってみても、寺戸は首を振ることさえしなかった。面接が始まってからというもの、目に見える動きに乏しく、目を開けたまま寝ていてももっと挙動を示すのにと、雫には思えてしまうほどだ。

 反応の薄い寺戸に、これ以上この話を続けても意味はないと雫は感じる。何のウォーミングアップもないまま本題に入るのは、少し思いきりが必要だったが、でも他にどうすればいいのかは、今の雫には分からなかった。

「……分かりました。では、本題に入りましょう。まずは寺戸さんがここに来た理由について、今一度お訊きします。警察でも訊かれたこととは思いますが、鑑別のためには必要な過程なので、答えてくださいね」

 雫がそう切り出してみても、寺戸はやはり背筋を伸ばしたり、座り直したりといった、目に見える反応を返してくれなかった。膝の上に手を置いた姿勢で、固まってしまっている。

 これから訊くことは寺戸にとって負担がかかることだが、鑑別のためには避けては通れない。雫は呼吸を整えると、持参した警察の調書を見ながら、寺戸に語りかけた。

「寺戸瞬さんは一〇月二四日、友人である松兼順二さんとともに、学校のクラスメイトである野村航のむらわたるさんに暴行を加えて、全治三週間の怪我を負わせた。運動部の部室棟の裏という人目につかないところに野村さんを呼び出して、殴る蹴るといった暴行に松兼さんと一緒に及んだ。これは間違いないですね?」

「……いいえ、違います」

 ようやく声を発した寺戸に、雫は内容とともに驚きを覚える。声変わりを終えた低い声は、雫の心に確かな波紋を広げた。

「そうですか。具体的にはどのように違うというのですか?」

「僕たちは野村くんを殴ったり蹴ったりしてません。松兼くんも同様です。野村くんがそうなったのは、誰か別の人にやられたからじゃないですか?」

「別の人とは、具体的にどなたのことですか?」

「それは分かりません。僕たちはその場に居合わせていなかったので」

 寺戸の言葉に、雫は耳を疑うような思いがした。警察の調書には間違いなく寺戸と松兼が暴行に及んだと書いてあるし、何より被害者である野村がそう証言している。目撃者もいることから、野村が嘘をついているとは考えづらい。

 寺戸は自己保身のための嘘に走っている。そのことは雫にもすぐに分かったが、かといって嘘をつく寺戸の人格まで否定してはいけなかった。

「寺戸さん、それは本当ですか?」

「はい、本当です。僕たちはやってません」

 そう言う寺戸は雫の顔から目を逸らしていて、それはありもしないことを言っている証拠のように雫には思われる。

 そんなことを言っても、反省していないと見られて不利になるのは、寺戸自身だというのに。

「寺戸さん、分かっていると思いますが、嘘をつくのは良くないことなんですよ。特にこういった場では」

「……それ、もしかして脅しですか? 僕はやってないって言ってるじゃないですか。嘘なんてついてないですよ」

 すぐに真偽が発覚する類の嘘でも、寺戸はなかなか認めなかった。自分の非行を認めることは、反省への第一歩だというのに。

 寺戸は頑なで、雫もそれなりの対応をするしかない。

「分かりました。そのことも含めて、面接が終わった後にもう一度、警察に確認してみたいと思います」

 なるべく丁寧な言い方を心がけたのだが、それでも少し脅しているようだとは、雫は自分で言っていても思う。たとえ原因が、警察の調書と異なることを言っている寺戸にあったとしても、だ。

 当の寺戸は「ええ、お願いします」とも「それはやめてください」とも言わず、ただ口をつぐんでいる。その目は雫の顔色を窺っているようで、そんな目をするのなら、最初から嘘をつかなければよかったのにと、雫は思ってしまう。

「では、寺戸さん。続いては、寺戸さんの交友関係について訊かせていただきます」

 そう雫が話題を変えてみても、寺戸は頷いたり、姿勢を正すことはなかった。その雫の出方を窺うような目と、雫の目はほとんど合わず、合ったとしてもすぐに逸らされてしまう。

 今までの少年は少なからず自分をちゃんと見てくれていたから、寺戸の態度に雫はやりづらさを感じてしまう。

 だけれど、それを表に出すことなく、雫は寺戸にいくつか質問を投げかけた。寺戸も雫の質問を無視する瞬間はあったものの、雫が粘り強く訊くとぽつぽつとだが応えてくれる。

 曰く、自分は社交的なタイプで、友人もクラスを問わず多くいるらしい。雫がそう言った寺戸にかすかにでも疑いを抱いてしまうのは、やはり寺戸の目が自分から逸らされていたからだ。

 もちろん、この瞬間に何が真実なのかを知る術は雫にはない。後で親や学校の担任や、担当の家庭調査官らから詳しく事情を訊く必要があるだろう。

 それでも、心の中では少し疑わしく思いながらも、雫は寺戸が言ったことを否定することなく、いったんは全て受け入れる。「それは違うのではないか」と指摘したら、寺戸を傷つけることにも繋がりかねなかった。

 それからも寺戸の学校での様子について訊いた雫は、「ありがとうございます。寺戸さんの交友関係や学校生活については、概ねですが把握することができました」とひとまず、答えてくれた寺戸を労った。少年鑑別所という慣れない場で一対一の面接を受けることは、誰にとっても小さくない負担がかかる。

 いくつか言葉を交わしたことで、雫は寺戸の心が少しでも解れていることを期待したのだが、未だおずおずといった表情が、そうではないことを物語っていた。

 それでも、雫は気を落とさずに、次の質問に移る。一時間ほどの初回面接は、折り返し地点に達しつつあった。

「それでは、寺戸さん。続いては寺戸さんの家庭環境や、家での生活について訊かせていただきます」

 雫がそう面接を展開させると、寺戸の身体が小さく震えた。それは本当に瞬きする間の出来事で、目を凝らしていなければ見逃してしまいそうだったけれど、雫はそれを寺戸にも抑えきれない生理的な反応だと解釈した。

 もしかしたら、訊いてほしくないことなのかもしれない。

 それでも、面接で情報を得て鑑別方針の決定に生かすためには、雫には訊くほかなかった。

「寺戸さんは両親と三人で青木島のアパートに暮らしている。まずこのことは間違いありませんね?」

「……いいえ」

 やや逡巡した後に寺戸はそう答えていたから、雫は一瞬でも驚かずにはいられない。調書には確かに「両親との三人暮らし」と書いてあるのに。

 まだ目が合わない寺戸に、雫は「いいえ、とはどういうことでしょうか?」と、なるべく冷静に訊き返す。寺戸は、少し言葉に詰まりながら答える。

「確かに僕は父親と母親と三人で暮らしてますけど、でも本当は僕たち血が繋がってないんです。僕は二歳の頃に孤児院に出されて、今の両親が引き取る形で、一緒に暮らし始めたんです」

「それは養子ということでしょうか?」

「はい、そうです」

 寺戸は苦々しい表情をしていて、振り返りたくない過去を振り返っているのだと、雫に印象づける。

 でも雫は、寺戸の言葉を額面通りには受け取らなかった。本当かどうかは、役所に問い合わせてみればすぐに分かる。この場で嘘をつくメリットは、一つもない。

 相変わらず寺戸が目を合わせてくれないことも、雫の疑念に拍車をかける。

 でも、今は何が本当のことなのかは、雫には分からない。だから、雫は寺戸が本当のことを言っている可能性も考慮して、「なるほど。分かりました」と相槌を打った。寺戸はやはり声に出して返事をしてくれない。

 それでも小さくは頷いていて、会話をする姿勢を示しつつあることに、雫はほのかな安堵を抱き始めていた。


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