一時間ほどに及んだ面接が終わった後には、雫は寺戸に対して心理検査を実施した。知能検査や性格検査、発達検査といった入所者全員に実施している集団式の心理検査だ。
面接が終わった後も拘束されることに、寺戸は若干倦むような目をしていたけれど、それでも雫が目的を説明すると、全ての心理検査に取り組んでいた。
とはいえ、寺戸は集中力があまり続かないようで、しょっちゅうよそ見をしたりして、心理検査には少なくない時間がかかった。
雫もその度に、粘り強い姿勢で寺戸に接する。寺戸は何とか雫の言葉を聞き入れていて、断続的にでも心理検査に回答してくれていた。
寺戸が全ての心理検査に回答し終えた頃には、時刻は正午を回っていた。
昼食を食べてもらうため、雫は寺戸を別所に引き渡すと、自らも職員室に戻って昼食休憩を取る。コンビニエンスストアで買ったパンを食べて、少しスマートフォンを見ながら頭と身体を休めた雫は、昼食休憩を終えるとすぐに寺戸と行った面接や心理検査の結果のとりまとめに入った。面接で得た情報や、心理検査の回答をパソコンのファイルに打ち込む。
その間に、雫は市役所にも電話をかけた。寺戸のことを確認すると、寺戸は血が繋がった両親のもとに生まれ、今まで三人で暮らしてきたという。
寺戸が言っていた養子という話は嘘だということが分かって、雫は寺戸を少しでも訝しんでしまう。
どうしてそんな嘘をついたのだろう。寺戸が面接で言ったことは、どこまでが本当だったのか。
それを知る術は、今の雫にはほとんどなかった。
「では、これから寺戸瞬さんの、鑑別方針の設定に関する会議を始めたいと思います。皆さん、よろしくお願いします」
那須川がそう切り出すと、雫たちも同じように「よろしくお願いします」と頭を下げる。
外では空が少しずつ藍色に染まり始めた中、雫たちは第一会議室に集合していた。出席者は寺戸の担当である雫と別所、診察を行った医師の取手と所長の那須川だ。
改まった空気に、雫は背筋を伸ばす。那須川が、落ち着いた声で言う。
「では、寺戸さんの鑑別方針を設定するにあたって、まずは山谷さん。担当技官として寺戸さんに行った、面接と心理検査の結果を報告していただけますか?」
いの一番に那須川に指名されて、雫は返事をしてから「皆さん、手元の資料をご覧ください」と口にした。三人が事前に配られていた資料に目を落とす。雫は、緊張しながら続けた。
「まずは面接ですが、初回の面接で寺戸さんが語ったことは、資料に書いてある通りです。寺戸さんは本人が言うところには友人も多く、満足がいく学校生活を送れているようです。家庭環境も『別に普通です』と語っていました。ただ」
そこまで言って、雫はいったん言葉を区切った。一つ呼吸を整えてから再び続ける。
「面接で寺戸さんは『自分は二歳の頃に孤児院に出されて、本当の両親は別にいる』というようなことを言っていました。でも、これは市役所に確認してみたところ嘘で、寺戸さんは生まれたときから血の繋がった両親と一緒に暮らしているとのことでした。ここから考えると、他の事柄でも寺戸さんが本当のことを言っていない可能性は、十分に考えられます。鑑別を進めるにあたっては、そのことも考慮する必要があると私は感じました。また、寺戸さんはこちらの呼びかけにも無視をすることがあり、それがどういった意図によるものなのかは、現時点では私には判断しかねます。よってこれからの面接を始めとした鑑別において、寺戸さんが無視をしないような呼びかけが大切になると、私は考えます」
雫がそこまで一度に言うと、第一会議室には了承するような空気が漂った。「なるほど」と言うかのように小さく頷いている三人を見ると、自分が口にした内容は十分に伝わっていると雫には感じられる。
「では、続いて心理検査の結果ですが……」と続ける。寺戸に発達上の遅れは見られないが、それでもその場しのぎの考え方をすることが多く、長期的な視野に立った思考が困難であることなどを、雫は心理検査の結果をまとめたシートを参照しながら説明する。
三人は最後まで雫の説明を遮ることなく聞いていて、寺戸の鑑別方針をどう設定すればいいか、聞きながら考えているようだった。
「私からは以上です」雫が説明を締めくくると、那須川から「山谷さん、ありがとうございました」という声がかけられて、雫はわずかに胸をなでおろす。
もちろんこれから全員で、寺戸の鑑別方針を考えなければならない、それでも一番緊張する自分の説明が無事済んだことに、ほんの少しでも肩の荷が下りたようだ。
「では、続いて別所さん、現時点での寺戸さんへの行動観察の報告をお願いします」
「はい」と返事をした別所は立ち上がらずとも、姿勢を正していた。「では、皆さん。資料をご覧ください」と改まった声で言う。
雫も手にして、目を落とす。全員がプリントを確認していることを認めてから、別所は続けた。
「そちらにも書かれています通り、私には寺戸さんはここにやって来たことに対して、まだ緊張を抱いたり、委縮しているように見受けられます。山谷さんが言った通り、声をかけても反応が鈍いときが、少なからずありました。ですが、その一方で昨日の夕食の時間では、オリエンテーションで禁止だと説明したにも関わらず、松兼さんをはじめとした入所者に話しかける様子が見られました。私もその場で注意しましたが、もしかすると今感じている緊張やこれから先のことについての不安を、他の入所者と話すことで紛らわそうとしたのかもしれません。もちろんルールはルールとして守っていただきますが、それでも恐れを抱いている寺戸さんに応じた対応を取る必要があると、私は考えます」
別所の説明を雫もプリントを見たまま、一言一句漏らさず聞き入れた。
雫がここに配属されてから、ルールを守らなかった少年はいなかったわけではない。でも、担当教官である別所や平賀を中心に諭すことで、その少年の問題行動は収まっていっていた。
きっと寺戸も自分たちの言うことを聞き入れてくれるだろうと、根拠もないのに雫は思った。
「別所さん、ありがとうございました。では、続いて取手さん。診察や健康診断の結果の説明をお願いします」
取手は返事をすると、雫たちと同じように事前に配布していたプリントを見るように促す。雫はそこに書かれていた内容に、思わず目を留めていた。
「診察や健康診断の結果、数値の面では寺戸さんに異常は見られませんでした。ですが、診察の際に肌を見せてもらったところ、寺戸さんの身体には数ヶ所のあざがありました。それも服に隠れて、人の目にはつきづらいところを中心に。これらが偶発的にできたものとは考えづらく、両親による身体的虐待の可能性も考慮すべきだと、私は考えます」
ここに配属されてから初めて聞く言葉は、雫にも小さくないショックを与えていた。
もちろん少年に携わる者として、児童虐待について大学や集合研修である程度の知識は、雫も身につけてきている。
それでも、実際に寺戸が被虐待児かもしれないという事態に直面すると、雫は息が詰まるような心地を味わう。寺戸の身体にできているあざを想像すると、気分も塞ぎこんでいくようだ。
「そうですか。もしそれが本当だとすると、寺戸さんへの対応も、また少し考えなくてはならなくなりそうですね」
「はい。それと、今山谷さんや別所さんの説明を聞いて思ったのですが、嘘をついたことやルールを守らないといった寺戸さんの行動は、もしかして試し行動ではないでしょうか?」
取手が示した可能性に、雫も軽く膝を打つ思いがした。
試し行動とは、子供がわざと周囲の大人を困らせる行動を取って、反応を窺うことを指す。周囲の大人たちがどこまで許容してくれるか、自分の行動がどの程度受け入れられるかを知ることを目的に行われ、被虐待児にも稀に見られるものだ。
意図的なものかどうかは分からないにせよ、面接のときに寺戸が示した態度に、一つの仮説が立てられた気が雫にはした。
それなら対応方法も、雫はテキストではあるが、学んできている。
「なるほど。確かにその可能性はあるかもしれないですね。もし寺戸さんが本当に被虐待児であれば、満足いくような愛情を受け取っていないことも、十分に考えられますから」
「そうですね。では、もし寺戸さんがまた試し行動と思われる行動を取ってきたときには、本当にやってはいけないこととの線引きをはっきりさせ、一貫した対応を心がけましょう。その際には過剰に叱責することなく、注意するのはあくまでも、寺戸さんが取った行動について。本人が抱えている気持ちは、否定しないように気をつけましょう。もし寺戸さんが本当に虐待を受けているのなら、自己肯定感を持てていない可能性も考慮すべきですから」
そう言った那須川に、雫たちも「はい」と頷く。
一番良くないのは、頭ごなしに否定してしまったり、感情的に怒ってしまうことだ。そうしたら、寺戸はさらに委縮してしまい、鑑別にも支障が出るだろう。
雫は宿舎に戻ったらまた、被虐待児への対応方法が書かれたテキストを確認してみようと感じる。改めて頭に入れておけば、寺戸にもより適した対応ができるだろうと。